優しいウソが世界を変える。
虚構が今の僕らを作り出した。
そう言っても過言ではないと思いました。
認知革命が生み出した一番のポイントが「虚構」という概念なんですよね。
要は、人が増えすぎて、これまでと同じやり方じゃマネジメントしきれなくなったから、虚構(伝説・神話・宗教)をつくって、虚構で繋がることで見知らぬ人同士の協力や、社会的行動のスピードを格段にあげたんだなと。
そう考えると、会社のビジョンとか宗教の教えとかも虚構で、神様の存在自体も虚構なんですよね。
しかし、その虚構の作りこみ具合と、人々の陶酔度合いで、見知らぬ人同士でも協力しあえると。
虚構って表現すると、なんか冷たく感じますが、僕はそれを「優しいウソ」と表現したいなと思いました。
王権神授説は「王権は神から与えられたものだ」という優しいウソで秩序を保っていたけど、いつしかそこに優しさが薄れてきて、人々の不満が爆発して、フランス革命で「人は皆、平等で自由だ」という優しいウソで、それまでにあった、廃れてしまったウソを塗り替えただけに過ぎないのかなと。
振り子時計と同じで、行きすぎた価値観は、いずれ揺り戻しが起こるんだなと。
それが、時代の流れで今の今までずっと振り子が左右に振れながら、時が進んでいるんですね。
誰もが「このままじゃアカン!なんとかせな!!」という正義を胸に改革を進めていきます。
恐らく、そこに私利私欲はほとんど無くて「人々のために!世界のために!」という大義名分で動いてるはずなんですよね。
じゃないと、私利私欲レベルの熱量で革命は起こり得ませんからね。
ただ、そこに乗っかって私利私欲を満たす者も現れてくるというだけで。
宗教も伝説も神話も会社のビジョンも全ては「みんなを幸せにしたい!」という正義からくる優しいウソなんだなって。
そんな風に感じました。
僕らは、「競争原理の中で切磋琢磨することが正義。頑張らないヤツは死ね。」という資本主義的な自立を求める優しいウソを「競争なんてしなくていい。人はみんな幸せな人生を全うするために生まれてきた。頑張って無理なんてしなくて良い。」という、ある種社会主義的な優しいウソで塗り替えようとしているのかも知れません。
でも、もっと言えば農耕社会以前の狩猟採集社会に戻そうとしてるのかもです。
資本主義の始まりは「貨幣」が誕生した農耕社会でもあるので、その前にあった狩猟採集社会を見てみると、僕らがやろうとしてることに限りなく近いなと思ったんですよね。
ただ、旧時代に戻るのではなく、農耕社会的な現代に狩猟採集社会的な世界をつくるということだなと。
その新しい概念を『デジタルハンター』とでも言いましょうか。
インターネットを駆使して狩りをしながら、狩猟採集社会的に生きていく。
固有の領土は持たず、それぞれが自立してるので、争いが起こらない。
拠点を転々と移していきながら、幸せな人生を全うする。
そんなイメージですかね。
以上、今日のnoteでした〜。
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