台湾の客家人

20年くらい前に客家人人口の多い地域にある日系企業の工場で日本語を教えたことがある。生徒の90%が客家人だった。地元出身の客家人がほぼ半分、残り半分は他の地域出身の客家人だった。年齢は当時40〜60歳ぐらいの人達。今は60〜80歳代であろう。当時60歳代の人達は子供の頃に台湾語の存在を知らなかった。彼らの子供の頃の生活は学校では中国語、家に帰ったら客家語を使い、中国語は学校の先生(戦後に台湾へ来た中国出身者)の言葉で、台湾には中国語と客家語しかなく、台湾語というのは自分達の客家語だと思っていたそうだ。高校生の頃、初めて列車に乗って台中や台北に向かった時、車内の乗客達が話す言葉が全く理解できなくて、びっくりしたそうだ。それで、うすうす自分達は台湾の中で少数者なのかもしれないと気づき始めたそうだ。これと類似した昔話を二、三人から聞いた。

 生徒さん達は皆んな客家人だったけれど、仕事中は客家人同士でも台湾語を使うことが多いと言っていた。台湾語は社会での共通語という認識を持っていたようだ。台湾語は兵役の時に覚えたそうだ。兵役に行くまでは一言も話せなかったらしい。その工場があった地域は元々客家系住民が多い地域であり、工業団地のような地域で、工場が多かったこともあり、全国から客家人が集まっていた。だから違う地域出身の客家人同士の結婚も多く、当時の生徒さんは自分の親戚中が皆んなそれぞれ違う客家語を話すと言っていた。

 当時、僕は授業前によく工場近くのマクドナルドで時間をつぶしていた。ある時、店員さんの容姿が東南アジア系の人のようで、しかもお客さんによって使う言語を変えていることに気がついた。中国語以外に台湾語で話している時もあるし、客家語で話している時もあった。でも顔つきは外国人みたいだった。不思議だったので、その店員さんに出身を聞いてみた。台湾原住民ブヌン族の人だった。でもタイヤル族と客家人が多く住む地域で育ったので、タイヤル語と客家語は子供の頃から話せたそうだ。中国語はもちろん、台湾語もできるけれど、実はブヌン語が一番下手なんだと笑っていた。

 僕が日本語を教えていた工場の工場長は客家人ではなく、ホーロー人(閩南系台湾人)でドイツに留学したことがあり、ドイツ語と英語が話せた。実は工場長も僕の日本語クラスの生徒さんだった。工場の外国人労働者は全員フィリピン人だったので、どうしてなのかと聞いたことがある。第一の理由は英語が通じること。二番目の理由はホーロー語(閩南語・台湾語)が通じることもあったからだ。フィリピン人労働者の中には福建系華僑の血を引く人達もけっこういて、ホーロー語(閩南語・台湾語)で話が通じるので、よくフィリピン人工員と台湾人職員との間に入って、通訳をしてもらっていたそうだ。

 その工場で外国人労働者を雇うことになった時、タイ人労働者も熱心な仏教信者で真面目そうなイメージがあったから選択肢にあったそうだが、やはり言葉が通じやすいフィリピン人労働者を選んだんだそうだ。また、英語が通じるフィリピン人なら、日本の本社から派遣されてくる日本人駐在員ともコミュニケーションがとれると考えたようだ。

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