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20200924(Thu)

とある事情で鬱になって、睡眠障害になって、バセドウ病が発覚して慌てふためいた去年だったけれど、それが今も続いてるのは想定の範囲内だなと感じる。バセドウ病は数値が下がってきているので安心できるけれど、他の薬のやめ時がわからない。離脱症状が怖い。もし、正常であった時、正常な自分が怖い。正しい人間の形として歩む事がとても怖くて、それでまた落ち込んでしまう。底に沈んでいる今だからこそ、ある程度ポジティブになれると分かっているから、正常になる事が怖い。

もし、「もう治っています。正常なのでお薬をやめていきましょう。」と話が進み、減薬が進み、断薬まで行けた時。その状態での、不安や悲しみや憎しみの原因が私には突き止められるのだろうか。正しい「不安の持ち方」「悲しみ方」「憎しみ方」がわかるのだろうか。物心ついたころから私の副交感神経は元気が無く、いつも動機も病気もなんでもかんでも自律神経失調症が私を庇ってくれた。今は鬱と睡眠障害とバセドウ病が盾になってくれる。

病気を盾にしないで1人で社会と戦えるのかと、実際不安が大きい。それを考えることは極力したくないのでしないけれど、いつかぶつかる問題なのは知ってる。ただ、予習も復習も答えも無い。だから考えるのは今じゃ無い。

そんな私は、病院へ行って「ルネスタが効かない日が多いんです。」と口にして、量を増やすか薬を強くするかを選択されるだろう。毎日米のように飲む薬にもっと栄養価があればいいのにとすら思う。未来食、みんな錠剤じゃん。ね。いいや。行けるところまで新しい薬とか、いろんな薬飲みまくってやろうよ。楽しいじゃんね。眠剤の味比べとか。比べちゃダメか。まぁいいや。

よくねむれれば、私はそれでいいや。

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