取り込まれてはいけないこと
※俳優の三浦春馬さんが亡くなったことをうけ、記しました。心に余裕がある方のみ、閲覧下さい。また、個人的解釈を含みます。反論異論はたくさんありますでしょうが、これは私が感じたことのため、控えていただければ幸甚です。※
そんなに彼のファンではなかった。
ドラマも特別見たこともなく、映画も、その他の雑誌も見たことが無いと思う。
ただ、口元のセクシーな黒子を持ったハイヒールを履いて美しく踊れる男性、それが私の中では彼のイメージとしてとても強かった。
後は、たくさんの笑っている雑誌。写真。ふとした番組でのゲスト。cmもきっとやってたよね。不思議と彼に対しての興味は無いものの、嫌悪感もなく、ただ"なんだかすごい人"だと、知らないながらに思っていた。
イメージとしての彼は、順風満帆で、友達もたくさんいて、欲しいものも手に入って、やりたいこともできていた。きっともっとしたいことがあって、日常は輝やきに満ちてたと。私とは正反対だと思っていた。
報道を聞いて、涙が出た。冒頭にも記したがそんなに彼のファンじゃなかった。でも私の、きっと私たちの勝手なイメージが作り上げていった"三浦春馬"は保てなくなったんだと、フッと思った。
エネルギッシュな部分はカメラの前で写真の中で全て出し切ってきたんだと思う。だからあんなに輝いていたんだ。
じゃあ、その後は?出した後は?
ゾッとした。エネルギーなんて勝手に出る訳がない。当たり前だ。車だってガソリンスタンドに行かなければ補充できないのに。
彼のガソリンスタンドはどこだったんだろう。
彼の"三浦春馬"を留める為のガソリンスタンドはどこにあったんだろう。
そう考えると、もう辛かっただろうなと、暗闇の中で1人しかいないと思うエネルギーを失った彼を考えると、苦しくて胸が張り裂けてしまうかと思った。どんなに苦しい思いだったのか、決断は思い切りでないと無理な事だったんだろう。直前まで直前まで謝っていたんではないか、とか、望んでたのだろうかとか、憶測でしかないがそれでも苦しくて、私はそこで泣き続けてしまった。
テレビ番組も昨日からつけることが出来ない。楽しみにしていた映画も観ることは出来なくなった。きっと知らない間に彼にはエネルギーを貰っていたんだと思う。だから、それをもうもらう事が私は辛い。失ったと思う事実が辛い。
けれど、それにきっと取れ込まれてはいけないんだと思う。エネルギッシュな人が居なくなる事もあるんだと。自分も同じだと、思う事も大切だけれど、同じことをしていいわけじゃない。事実は事実でしかなく、それを受け止めるしかないのだと思う。
ただ、私にはもう少し時間が必要で、もう少し経ったら彼の映画の一つでも観ようと思う。
きっと、一つでも手を抜いていない人の一生懸命な作品を見ようと思う。
何かが失ってから気付く事しかない人生なのはきっと、何かを軽んじてるんだなとも感じた。やだねぇ、ほんとに。
春馬君、お疲れ様でした。チラチラと見ただけの私にキラキラとしたエネルギーをくれてありがとうございました。おやすみなさい。
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