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猫と段ボール城(猫抜き)の由来

月日の過ぎるのが年々早く感じるようになってます。かつて、わたしは「猫と段ボール城」というブログをやってました。もう10年以上前のことになります。愛猫との毎日をつづったエッセイブログでした。いろいろあった挙句にブログサービスそのものが終了してしまいもう跡形もなくなりましたが。

あまり猫のことには触れないようにしてきたのですが、実は猫好きです。特に愛猫と同じような黒猫をツイッターのTLなどで見ると、愛猫の名前でついモニタに声を出して呼び掛けてしまう程度には猫狂いです。ヘッダの画像も亡き愛猫に似ているからという理由で選びました。

彼女は東京時代からずっと私と一緒に苦楽を共にした仲でした。私の若かった時代はいつも黒猫の彼女とともにありました。魂の一部だったと言っても過言ではありません。実家である宮城に戻ったときも一緒でした。

猫とくらしたことがある人は分かると思うのですが、猫と暮らすと彼らを中心に生活が回っているのが通常になります。猫のいない暮らしなど考えられなくなります。

私の大好きな漫画家サラ・イネスさんの「誰も寝てはならぬ」に「俺と利久之助(主人公の愛猫)は屁の匂いを嗅ぎあう仲や」というくだりが出てきて、主人公はそのために妻に見限られますが、わたしと愛猫との関係はまさにそういったものでした。

黒猫の彼女は2010年の7月15日に死んでしまいました。私の健康管理上の不注意と医療ミスが原因でした。私はそれ以来猫と暮らしていません。暮らしぶりが変わってペット不可のアパートに住んでいるせいもありますが、亡くなった彼女のことが忘れられず、私は猫を飼うのには不適格な人間なのかもしれないと思うようになったことも原因です。自然の多い田舎で蝶や鳥を追う晩年を過ごしてもらえたことがせめてもの救いですが、死なせてしまったことが今でも辛くて、もっと違う方法をとれば、違う獣医に連れて行けば、十分に治療ができれば、もっと生きたはずなのになどふとした時に考えてしまいます。
彼女が亡くなって数年は完全にペットロス状態でひどいものでした。面影の似た猫を見るたびに涙が出てくることが今でもあります。

夕暮れの空に上弦の月がかかるとき、黒猫の彼女が巨大になって目を細めてこちらを見ていると思えて「ちーちゃん」と呼びかけたりもしていました。

いつも心のどこかに彼女のいた分の空白があるような気がしています。何か自分の一部が嚙み合っておらずしっくりこないまま12年過ぎました。空白はたぶん彼女の形をしていると思います。

彼女がいなくなったのに「猫と段ボール城」という名前のブログ始めたのは、いつかまた彼女に巡り合えると信じているからです。私はあまりオカルトや迷信を信じないほうですが、猫は七度生まれ変わるらしいので、今は会えないけれど他の人のところに生まれ変わっている。私の準備が整ったら、きっとまた彼女は私の前に現れてニャーと鳴いて知らせてくれる。そう信じているのです。

そんなわけでの、猫と段ボール城(猫抜き)です。


これを書こうと思ったのは、愛していた猫さんを亡くされて苦しんでいる方をお見かけしたからです。何か言葉をかけようとしても、かける言葉が見つかりませんでした。その方と猫さんたちにとってあまりに過酷でむごすぎる。

どうか一日も早く猫さんたちの病気が収束しますように。

もう誰も亡くなったりしませんように。

亡くした悲しみが少しずつでも回復しますように。

今夜少しでも体を休めて眠ることができますように。

神様というものがいるならお願いします。

祈っています。

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