母とワイ

褒めない母ではなかったはず、と前回書いた記憶ねーなの流れから頑張ってほりだしているのだが。

褒められたはずなんだよなあ。きっと。
さすがにそこまで冷たい人ではなかった。

ただ覚えてないってことはその褒め言葉、私はちゃんと受け取れなかったんだろうなあ。

母は東京生まれで、区議会議員の祖父と保育園の園長さんの祖母の間に生まれた長女。弟ひとり。

習い事はほとんどできず、さだまさしのラジオやら何やらを青春に過ごしていたらしい。大学に入ってインカレ系の繋がりで父と出会ってそのまま結婚。

私が産まれる前に1人女の子を流産しているらしい。その後は不妊治療したかは不明だが私が生まれたのみ。

母はバレエがやりたかったから。私にバレエをやらせた。小学生くらいのときにあなたはバレエでプロになるのだ、高校くらいで留学してバレエ団に入って青い目の旦那さんを見つけてハーフの可愛い子を産むんだって言われたのをよく覚えてる。

何かを話せばおーいいじゃん、良かったじゃんとかそんなふうに言う人だったと思う。
すごいね、よくやったねと褒めてくれる人だったかは、分からない。

メンタルと心臓を病んでからはなかなか壮絶だったが、私が実家を出て落ち着いたらしい。酷く太っていたのが嘘みたいに病院の言うこと聞いてすんなり痩せて聞き分けのいいひとになった。

私が実家を出るなんて、きっと思わなかったんだろう。娘のほうから自分に線が引かれるなんて思いもしなかったんだろうな。

でも、泣きながらやった中学受験のドリル的なものは今でもよく覚えてるし、怒られる時正座させられて掃除機の先端でつつかれてたのも覚えてる。それで泣くと泣くのは反省してない証拠、お前の中のお前も知らない本心が人を利用して見下しているんだと怒って外やベランダにたたき出されたところでだいたい思い出せなくなる。その後はひたすら泣いていたからだと思う。

私は多分、ほめてもらってたんだろう。
でももう今母からの褒め言葉は疑って素直に受け取れないから、嬉しい気持ちで受け取っていた母の褒め言葉をきっと今後思い出せることは無いかもしれない。


私は今も多分ずっと誰かによくやったねってほめてもらいたいのだ。

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