小説★アンバーアクセプタンス|十五話(最終回)
第十五話
飛龍と琥珀のための森
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「もうなにもしたくない……」
「おいおい、病気になるぞ。風呂くらい入れって」
「ハルカ、代わりに入っといて」
「うわあ……君、いよいよ人間失格か。ちょっと悪い方に先読みしすぎじゃない? 自分の予想や感性を過信しすぎるのよくないよ」
うるせえ。夢も希望も皆無なんだ。嘘偽りなくバーンアウトしている。燃え尽き症候群という病に違いない。誰かが私のジャージにイミテーションのでっかい絆創膏を貼っ付けてくれればいい。今ある心と罪悪の明白な目印として。
「ああ、ハルカ。思えば濃厚で短い青春だった。ベリー・ショート・グリーン・グリーン・グリーン・デイズだったよ。伝説の工学博士ベル・エム・サトナカ、ここに悪魔から与えられた使命を漏れなく果たしたと見得を切ってもう消滅したい。あの素晴らしく偉大な少年のこころと共に」
「何い? アホなこと言うな。まだまだ人生これからだぜ。とにかく風呂へ行け。自力で入れないなら引きずってってアンバー・ドッグみたいにぼくが洗うぞ。はっ! いや……むしろそうしよう。ぐふふ、これはナイスアイデア」
「ふう……まあ……お気に召すまま、なされるがまま、それも一興かねえ。君にはずいぶんお世話になってきたしねえ。お望みとあらばあんなところやこんなところも愛のままにわがままにもてあそんでもらっちゃってもかまわない気がしてきたような」
「ぐあ。や、やめてくれ……そんな廃人みたいな親友の目は見ちゃいられない。そこは君、ハルカみたいな変態に裸を見られるくらいならここでガソリン被って火い点けて焼け死んだ方がましだって抵抗すべきところだ」
夫婦もどき漫才に付き合う根性さえ続かなかった。いいかげんにしなはれ、あんたとはもうやってられんわ、ぼよよん。相方にそこまで言ってしまいそうだった。
「眠いんだよ、ハルカ。私、眠くて眠くて眠くて、もうぜんぜん頭が回らないのよ」
「うむむ。疲れてるだけだったらいいんだが……もしかしたら酷使しすぎた脳にダメージが残ってるのかもしらん。緊張の解けたところへ副作用がズドンと……アルジャーノンみたいに」
ジリリリリリン!
「アンジェリナより着信です。これは重要な着信です。応答してください」
レトロモダンなけたたましい呼び出し音とガイダンスが鳴った。
「わんわんわんわん!」
アンバー・ドッグが驚いて興奮してる。
「はいはいはい、通話許可、マイクフリー。アンバー、あなたはおすわり! ほら、おすわり! ハルカ、おやつあげろ」
『ベル、お久しぶりです! 朗報です! メインネットの通信障害がかつてない速度で解消され始めました。七年続いた緊急事態の終了宣言が今日中に出るそうですよ』
開口一番まさか。本当? 本当、なのだろう。でなきゃ一般回線でそんな情報を言えはしない。
『ついに大冷戦の終結です。もう大きな紛争もテロも起こってません。人類は飛車八号のアンバーから極めて争いづらいよう仕掛けられました。彼の発言に核以上の抑止力があると国連事務総長も認めたんです。加盟国の九割方が提唱された新世界平和条約の草案に賛成してます。それはアンバーいわくポールの遺書が下地になっています。もう一つ、聞いてください。中立母星振興市に里中七段から要請がありまして。ベル、あなたに、飛車八号の帰還支援を促してほしいとのこと。これは勝利の伝達です。今すぐ同意してくれますか?』
ほよ。
「それは何、墜落させるプランは取られなかったってこと?」
『イエス!』
「宇宙開拓派、帰還反対派、預言死守党の人たち、みんな怒ってないの? 学習センターの子たちはもう差別されない?」
『総員、苦笑いしてます。無条件降伏だね! あはは』
「……オーケー。ふ、ふふふ、っしゃあーっ! お風呂入ってご飯だ! ハルカ、とりあえず座銀あたり寿司しばきに行くよおおお!」
「あっはは。な。だから言ったろ」
ハルカはおどけながら、後ろ手でさる大富豪の資産管理ツールのセキュリティをすり抜けていた。手放したいはずの株を売却できなくするつもりだ。次の世界のためだろう。ここぞとばかり目覚めた獰猛な狩人のごとく、ハルカは微笑みながらその全ての取引口座を不正にロックする。同時に我々をブレインインターフェースさせるアプリケーションの無効化もした。
私はお気に入りのシャンプーをする時みたいに、目をつぶった。
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二ヶ月後。
宇宙船飛車八号はほぼ無傷で地球へ帰還した。重力場伝導装置の一部が壊れて異音を発していただけだ。無論全員無事だった。結果として子どもに叱られたも同然の長老たちは心なしか傷ついた面々だったが。
大人の話はともかく、私とアンバーは早速その日の午後に風月公園で再会した。その名を冠した日本の生の森林公園をアンバーに見せてあげるのは悲願だった。私自身すごく久しぶりに行けるわけだから個人的にも胸迫る光景だ。
入り口の花壇で向日葵たちはまだまだ強く咲き誇っていた。
「やあ、ベル。日本の夏は暑いねえ。こりゃ宇宙や地下の方が快適かもだよ。こんな日にわざわざ外へ出て遊ぶ人の気がしれないわ」
風月公園にやって来たアンバーはどう見ても普通のとぼけた男の子だった。もしハルカが子どもの頃に子どもらしく生きていたら、きっとこんな感じ。私のデザインなので私の主観になるが、アンバーはハルカが人間社会の中で損なってしまった自然体を再生している。完璧ではないけれど、きっとこんな感じだったはず。
連れてきたアンバードッグが嬉しそうにわんわんわんわん鳴いて、アンバーの手を舐めた。
「私は責任を取らされたよ。学会は追放された。解放ともいえるね。いやあ、君はパズルみたいに難なくみんなの利害を一致させた。言ってしまえば簡単な魔法だったね?」
「よく言う。おかげさまでぼくは世界一の大うそつきだ。恐るべき子どもになってしまった」
燕さる方のはるかに昼の月。
ふと中学生の頃に詠んだ句を思い出した。考えてみればこの子に将棋こそ教えたが俳句はろくに教えていない。
「そんなはずない。誰もが君を怖がってなんかいない。色んな人に信じて愛されてるよ」
「ふん。どうでもいいや、そんなの。ベルが許してくれるなら。ぼくの自由」
「アンバー」
「なに?」
「もっとこっちへきたまえ、私のかわいいアンバー」
「なんで?」
「大好きだから抱きしめたい」
ほんとかな、なんて言わせたくなかった。君は本当に誰よりもえらい子だ。人類のためにがんばったわけではなく、私というたった一人の人間を救うために悩み尽くしてくれた。そんなこと誰に言われなくてもわかっている。
私はアンバーを世界中に愛されたいとは思わなかった。世界中がアンバーの敵でいいなんて思うわけでもない。
ただ無性にかわいくて愛おしくて、実は罪悪感にのたうち回ることもあるのだが、この頭を痛めて生んだ甲斐があったと確信している。
そして神に誓った。
今後も君へ生体はあげないよ。
ありのままでいいんだ。
機械の体しかあげられなくて、ごめんね。
「地球のベルはいい匂いだね。ポールとは全然ちがう匂い。柔らこいし、あったかくて、眠たくなる。ねえ、ベル。ぼくはハルカにもいつか会える? ハルカの匂いも嗅ぎたい。何で、どこへ消えたのだろう?」
「うん。ぐっすん、およよ。それはたぶん、誰にもわからない。でも宇宙じゃないし大丈夫、きっとすぐ帰ってこれる所よ。この世のどこか、京都とか」
いや、一人知ってそうな人物はいる。ミスターポール。彼もまた飛車八号が地球へ戻った直後から消えた。役目の終わったクレバーな名脇役のようにあっさりと。
「アンバー・ハルカドットオム。君こそ素敵な良い匂いがする。君も好きな時に、好きな所へ行くんだよ」
そう言った途端、私は初めて正直者になった気がした。飛龍になって背中にアンバーを乗せなくたって、どこまでもどこまでも縦横無尽に駆けてゆけそうだった。
でも、まて、まて。君からお里のお母さんなんて呼ばれたくもないぞ。これでも私はまだ二十二歳でまともな恋も知らないただのお姉さんだもの。もはやただの世間知らずな、単なる将棋狂の女の子だもんね。
「どゆこと?」
「心にもないことよ」
「はは。大人みたいなこと言うなー」
私たちがどんぐりまなこで愛でた宇宙船の計画と辛苦の軌跡はどこへもぶっ飛んだりせず、こんな蜃気楼みたいな森のある本物の世界につつがなく辿り着いて、晩夏の青空と混じった。
(終)
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物語を最後まで読んでくれてありがとう。
あなたが認めてくれるなら、それでいい。
生まれてきてよかったです。
Love & Peace!✌️
アポロ