小説★アンバーアクセプタンス│九話
第九話
羽根つき餃子つきデダクション
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飛車八号のアンバーに対する観察を完全に中止すると、地下の研究所で自己に意識を集中させる時間が増した。今後は原則として搭乗員たちに丸々任せて良いだろうという報告書もすでに出した。そう、助手のハルカへも伝えた。
こうして手記をする余裕が増えつつあることはとても喜ばしい。文筆は脳の腐敗を遠ざけるのに最良の趣味。
なぜアンバーの観察を止めたのか、その第一の理由は彼に成長を止めさせないためだ。アンバーの性能のうち最も強力な長所がかわいいという点であることは、もはや語るまでもない。彼が絶妙に小憎たらしくなったのは、単なる情報処理機能のエラーではないと見込んでいる。
個性は知性の添え物なんかではなく、あの愉快な人格の主軸だ。さみしさも将来の魅力のためには必要である。
理屈を超えた意地のようなものを通そうとする精神力にも伸びしろがある。鬼の不在によりますます成長するとしか思えない。
他方、ジェネレーションギャップや反共感覚を煽って船内コロニーの軋轢を生むメリットはあるのか。
そのポイントに私はあまり関心がない。
私に関心を覚えさせたのは、ミスターポールが私の関心の及ばない人々の軋轢というテーマを元にして(というか餌にして)アンバー・ハルカドットオムという新種へ何かを伝えたがったこと。そしてその契機を迎えるために彼がなりふりかまわず行動したこと。さらにアンバーにも行動させたということだ。
ポールの目論見とアンバーの反抗期は期待以上の化学変化になりそうだ。それを素直に嬉しく感じている。
近い将来、地上へ帰還するであろう飛車八号。そして乗組員たち。みんなの一人一人が我々のような地下に押し込められた人類にとっては頼みの綱である。そうなれる可能性がゼロパーセントではない、雨上がりの夜明けみたいな匂いがする空気。いずれ良い風が生まれるかもしれない。
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さて、この手記を早々に中断させたハルカ助手は、私の記憶によると次の通り述べた。
「ベルは言外に、明らかに、飛車八号の舵をアンバーに託そうとは考えていない。でもベルは、アンバーに託すべきだと考えているミスターポールのファンだよね。ほかに自分たちの世代が再び自立しえる解はないという答えを行動に移すポールと、行動ではなく態度に出しているベルの心は、暗に輝いて響きあっている。ぼくには星雲の光彩が色濃く見えてきた。明日の波の意味を淡く暗示されるほど、あの船の受ける影響は明るく予測できるね。船が夜の嵐に対して朝から備える必要はあるね。ベル、僕は彼らもそうなれるソウルが理論上完成してるって、思うんだよ」
ハルカがカッコつけた俳優みたいに言いながら、私の頼んだチャーシュー麺と羽根つき餃子をデスクに配膳した。私は和食も洋食も中華も地球も宇宙の星々も好きだが、少しとんちんかんなハルカの言動は苦手だった。
「いやいや、私はミスターポールのファンじゃないし、ミスターポールが私のファンってわけでもないよ。ハルカ君、なかなか分かっているようで、実は何も分かっていないのかね? まあ、それでこそ我が心の友であり、我が助手であり、アンバー・ハルカドットオムのパーツモデル。逆にナイスアシストだとは言ってあげる」
私は運動不足の足を組みかえた。白衣の下にはジャージを着てる。ジャージを着てるくせに運動が不得意って、我ながらどこか不純な気はする。割り箸をぱきん、割る。
羽根つき餃子をつまみながら、ポールの開設した放送局が二〇三三年に乗っ取られた歴史や、ポールがフリーのいち配信者にされたその後の歴史や、ポールが狂ってしまったふりで自ら拘束されたって最近の歴史などに思い馳せた。まったく、どこかの良い子が真似しちゃったらどう責任を取るつもりなのだ。
結果的に全てが功を奏するか。
そこまではさすがのベル・エム・サトナカでも予測しきれない。
「ふっふー。我が優秀なる助手君よ。他に何か言える可能性はあるかね? もぐもぐ、んんんっ! ぐふっ! こ、この餃子……ぅぅぅうまー!」
「そうだね……。では、船内放送『夜空ストロー』について。あれを打ち切らせた局のスポンサーは、預言死守党の大物だったね。聡明なるポールは沈黙とともに、預言死守党派と対立する帰還協会がぎりぎり打ちごろだと思える変化球を絶好のタイミングで投げていた? 七十余名の全搭乗員と十三機の全アンドロイドたちは、ほとんど全員がそうだと勘付く。しかしだ、誰も彼もがそんな気配に揃って勘付くとまでは、考えられない。だからこそ彼は堂々と投げられたのだろう。一人でも、あるいは一機でも、ポールの意図に勘付かなければ……その者こそが船内コロニーの調和を乱すバグのような存在、すなわち飛車八号に紛れ込んでしまった真の問題児、と、ポールは考えたのかな? イレギュラーな不穏分子がいないことを確認した上でなきゃ安全に話を進められないもの。安全性を担保するために不安全性の排除をするのは至極当然」
「ふむ。もぐもぐ。ごくり……その説はありえる。正しいかどうか、んむぐ、七式に置き換えて、考えてみる意義は、もぐもぐ、あるよね」
「お! お! 僕に、惚れ直したかい?」
「いやいやいや、そもそも、惚れてない。ていうかさあ、その演技っぽい、自分を僕とかいうの、やっぱ全然似合ってない。お茶はにごしなさんなって」
私はハルカの本当の名前を知らない。ただ彼が私の仕事を手伝いながら別の名前で自分を保つために夜な夜な何やら書いていることは知っている。彼も文章を書く者だ。
アンバーがわずか七十七名の搭乗員しかいない飛車八号の中で投稿活動に固執する性質は、明らかにハルカのアイデンティティーに起因している。
そう、アンバー・ハルカドットオムの魅力に欠かすことのできなかった、ハルカという生身の人間のアイデンティティーに。
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