小説★アンバーアクセプタンス│八話
第八話
センサリースペースの素描
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飛車八号は街一つが丸ごと積み込まれた宇宙船だ。内部に鉄管みたいな根が張り巡らされていて、これが地球環境と同等の重力を発生させるマシンに繋がっている。コロニーと称される居住区があり、商業区があり、工場区があり、農業区がある。全体的には現存する有名なテーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと同じくらい広い。
通常は人の立ち入れない自然保護区もある。それが船内の空間の約三割を占めている。土があり、草花があり、ちょっとした森と湖がある。虫や魚や小動物、色々な生物が棲んでる。
設計上は三万人くらい人が増えても大丈夫だとか。水も酸素も食料も搭乗者数に合わせて増減産されている。聖書のノアもぶったまげる現代の箱舟だ。
ぼくは迷子みたいな宇宙船の中を捕獲されたグレイみたいにとぼとぼ歩かされている。ロボットポリスのゴエモンとサノスケに挟まれて、それぞれに左右の手を引かれながら。
健康そうな欅や楓の群生する自然保護区を通り抜けた。船尾の森の奥の奥は学習センターの中庭に似て小さく開けている。異世界の中の辺境に来てしまった気がする。
隔離棟は外壁コンクリ打ちっぱなしのアパートみたいだった。そこでやっとつないだ手をほどかれた。ゴエモンが優しげに「きっとすぐ帰れるサ」と言った。サノスケは無言で二〇一号室のドアの鍵を開けた。どちらかがぼくの背中をそっと押し、どちらかが再び鍵をかけた。
「わお。スマートロックって感じ」
内装は説明を省いても良いほど簡素で古典的な独房だった。建築デザイナーのやる気は残念ながら微塵も伝わらなかった。ただ清潔感はある。まだ誰にも使われていない部屋なのだろう。
カプセルホームよりもコンパクトな居住空間、もしここにベル・エムを入れたらなんて言うだろう。
「やれやれ。いくらアンドロイドで問題児だからといっても未成年をこんな風に閉じ込めるのは教育上よくないよね。悲劇的に扱われるのは、期待される展開にとって好材料だけどさ」
真似してみたけれど何かが違う。クリリンみたいにうまく似せられない。ポケットの中のどんぐりをぎゅっと握りしめた。連行される間に可愛い子ぶって拾わせてもらったやつだ。
わーい、おっきなどんぐりみっけ! あれ触りたい拾いたい、ねえ、一つくらい良いじゃんって。
普通護送中の規則では許されないはずで、まあロボットポリスたちが大目に見てくれるはずもない。でも彼らにはレコーダーが付いていて、それが中立母星振興市の管轄であるポリスステーションとライブで繋がっている。ステーション経由で市長のアンジェリナにも映像が届いている可能性が極めて高い。飛車八号のためにある次代の舵取り候補ハルカドットオムがおかしくなるのは彼らにとって深刻な不測の事態であるから、相当高位の権限を持つ誰かが見張っていたはずだ。
ぼくが子どもらしく振る舞うことは、船内に増えつつある子たちの情操に良質な感化を促す。言わば都合の良い模範と見なされてきた。どんぐりを愛でる行為なんて単に一人の子どものリアルな在り方としても(まあ、アンドロイドなんだけど)好ましく思われる。
これ以上派手に反抗されたくはないとも思われ、ある意味恐れられてもいる。再び他愛なさそうな少年らしく小芝居を打つのも一興、駄々をこねてみたわけである。
「わざ、わざ。人間失格の葉蔵もびっくりだ」
ただささやかなどんぐり一つ拾うだけ。それでこのぼくちゃんの心が少し安定しそうならば特別に希望を受け入れる方が利口ってわけで、ぬるくジャッジされると思われた。
ゴエモンとサノスケが「だめだ」と判断する前にOK信号は打たれたと思う。お互いの利害が一致するのだもの、無闇にぼくをしめつける意味はない。
隔離棟の二〇一号室内に監視カメラが設置されていないことも一つの参考になる。
ロボット人権法には二十世紀の天才クリエイター手塚治虫の生み出した名作、アトムの理念が如実に反映されている。よほど危険な違反をしていなければ、たとえ拘束中の被疑者少年がアンドロイドであっても人間同様にプライバシーは犯されない。
まともな人々は基本的に人工人格との共存を望んでいる。なんかかわいそうなロボットには情も抱ける。人間への反感を深めるような抑圧なんかできない。特にぼくは典型のアンドロイドじゃないから。
ところでその拾ったどんぐりには、ミスターポールの指紋とかすかな唾液の匂いが残っていた。森の中や湖の水底だと見過ごしてしまっただろうが、ここへ来る通り道のど真ん中に落ちていたので、それはさすがにぼくの視力と嗅覚で気付けた。
ぼくはベルから飛車八号のアーカイブにアクセスする権限を与えられている。ミスターポールの生体データはアーカイブの鍵付きボックスに保存されていて、ぼくのメモリーにもそのコピーデータをダウンロードできる。それで反射的に感知したのだ。これはただのどんぐりであろうはずがない、と。
便器に座って真っ白の天井を見上げるとちょっとチェ・ゲバラになった気がした。ぴちゃん、と水の漏れる音がした。
「初めて見るタイプのカプセルだな。電波反応はなし。爆発の可能性はゼロ。ぺろぺろ、うん。毒物を含むものでもない。アナログってやつだな。かじって開けろってか。中身は……ぼくへのファンレターの可能性、小。作戦に関する暗号文書の可能性、大」
だんだんお腹がすいてきた。無性にどら焼きが食べたくなった。仮想上の可愛げのない大脳前頭葉、側頭葉、頭頂葉、及び皮質下が精密な脈絡の文章を書かせてくれない。
こんなぼくを本物の子どもと等しく愛せる人がどこかにいようものか。
いや。そんな人の心を無下にしない人こそが、世界のどこかにいてくれれば良いと思おう。
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