🍀夏のnote俳句公園│大金賞・金賞・銀賞🎊おめでとう!!🎊
お待たせいたしました。前置きは少なめに。
前回告知いたしました通り、ここに
大金賞・金賞・銀賞の発表と講評を掲載いたします!
わーい‹‹\(´ω` )/››‹‹\(´ω` )/››‹‹\(´ω` )/››わーい
受賞句を詠まれた方々のnoteも、どうぞご覧下さいませ✨
それぞれ気になる記事を、併せてご紹介いたします🤗
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👑銀賞👑
へそ天の猫の肋骨夏薊
晴田そわか
猫の愛らしさを遊び心たっぷりに表現した。
「肋骨」にどきりとする。少し健康状態の良くない猫かもしれない。が、当の猫は呑気なものだ。何せへそ天である。
へそを天に突き出して眠る仰向け猫は、ここでは想像あるいは思い出の中にいるものと解釈しても良さそう。
作者晴田そわかさんは、季語・夏薊の姿に、愛する猫を彷彿とさせられたのだとも考えられる。創作過程はこの際問わず。
へそ天の猫はかわいい。この子が目覚めたら、一緒に遊びたい。ご飯もあげよう。
発想が夏薊から猫の肋骨に飛んだのだとしても、猫の肋骨から夏薊に飛んだのだとしても、また、実在の光景としてただへそ天の猫と夏薊がその場に在ったのだとしても。
生まれた句の素晴らしさに、拍手を。
楽しい一句。良いものは良いと書くべきだ。
なお、この作品含むそわかさんの二つの良句は、最終選考でどちらも落とせなかった。
優秀賞と銀賞、ダブル入賞とするほかない。
読者諸氏にも褒め讃えられたい才能である。
(✨気になる記事✨⤵︎ ︎)
👑銀賞👑
揚羽蝶追いかける猫追いかける
ゆず
楽しい一句が続く。こちらは天真爛漫。
季語・揚羽蝶のひらひらと飛んでゆく姿が目に浮かぶ。追いかける猫の姿も容易に思い浮かぶ。
平易な言葉が分かりやすく、子どもにもよく伝わる。読者に伝わりやすい句を詠めるのも大きな強みだ。俳句入門の手本と言える。
気持ちよく詠んだその心が、まっすぐ届く。「追いかける」のリフレインが、読者のわくわく感を煽る。蝶にリフレインは良く合う。
ぼくは童話や絵本の中を駆けている、不思議な猫と少年少女を想起した。揚羽蝶効果か。
追いかける猫も人物も幸福感に満ちている。作者ゆずさんは笑顔で俳句を楽しんでいる。
素直な幸福が作品から伝わるからこそ多くの読者をも嬉しくさせ、心地良くさせるのだ。
(✨気になる記事✨⤵︎ ︎)
👑銀賞👑
肉球のそっと触れたる夏の浜
ひろ生
かわいい。笑
なぜそっとなのか、容易く想像出来る。
夏の砂浜は熱い。猫は好奇心を滾らせつつも恐る恐る前足を踏み出すのだ。
どこから踏み出すのか。おそらくは、ビーチに敷かれた主の休み場・レジャーシートからだ。
つまり、この猫は家猫と考えられる。
さらに想像を膨らませたくなる。
もしかしたらこの猫は、初めて海へ連れてこられたのかもしれない。
臆病な性格なのかもしれない。
主はまだ幼い子どもかもしれない。
普段はどんな家庭の中で暮らしてるのか。
いくらでもイメージが広がってゆく。
再び作品そのものに戻る。思考を鎮めてただ句を読む。五感には何が響くか。
潮の匂い。波音。太陽の光。砂の手触り。猫の手触り。にゃあ、と鳴く声。幸福な世界。
(✨気になる記事✨⤵︎ ︎)
👑金賞👑
猫の目のレモン色揺れ芒種かな
こひのむ
世界の安定を祈りたくなる、平和的一句。
この作品が、この日のこひのむ世界のバランスを美しくコントロールしているように感じられた。
猫の黄色の瞳にフォーカスし、上五中七に潤いを与えた。瞳そのものは光るが揺れていない。瞳のカラー、レモン色のみ揺れた。
猫の目に映るこの世界の色がひととき揺れたのであって、猫自身はその存在に揺らぎのない静かな賢者の佇まいのようだ。
季語・芒種と詠嘆「かな」がこの静穏な猫の姿を明るく支えている。
芒種ゆえ、実りある未来が暗示されている。この世界のレモン色が揺れる時に合わせて、希望の種はまかれるのだ。
(✨気になる記事✨⤵︎ ︎)
👑金賞👑
譲渡後の空のゲージや夏の朝
めろ
この句の中には猫も犬もいない。
それでも、動物愛護の心が溢れているのは一目瞭然。テクニカルな王道現代俳句である。
上五中七の切なさ、下五・季語「夏の朝」の元気、絶妙の取り合わせだ。動詞はなし。
アポロには作者めろの「わかるか?」という声が聞こえる。わからいでか。
譲渡の手続きがすべて終わったあと、空になったゲージにはまだ受け渡したばかりの動物の体温と匂いが残っている。
ゲージ「や」この詠嘆の効果も抜群だ。
この夏の朝に人は何を思うだろうか。手を離れた子の幸せを願うに決まっている。
そしてまだ譲渡されないものたちを世話し、新たに現れる迷子も受け入れるべく、一日が始まる。
春でも秋でも冬でもなく、夏の朝。
人は命を継ぐために、また汗を流すのだ。
この別れを偲ぶ暇もないのかもしれない。
(✨気になる記事✨⤵︎ ︎)
👑大金賞👑
嬰児のつかまり立ちに添ふ仔猫
紫乃
嬰児(みどりご)は、赤子だ。季語ではないが聖性を帯びる、非常に美しい言葉。新緑のごとき伸びやかな生命感に満ちている。
ようやくつかまり立ちができるくらいの小さな子どもさん。ちなみに3歳くらいまでの子は嬰児と言える。
この句でこの子に寄り添う命もまた小さい。まだ頼りない仔猫だ。
春先から、野良猫たちの恋と出産が増える。
仔猫は春の生物の季語の中でも、格別に愛らしい。家猫たちは、人を頼り人に寄り添う。
人間と猫、幼い命のありのままが愛しい。
詩心と句力は、平和な日常にこそ伸びる。
優しい気持ちでスケッチした結果、春と夏の季節感が仲良くすんなり隣合ったのだ。
新しい俳句の可能性を考えさせられる挑戦的な作品でありながら、だれがどう読んでも心あたたまる光景。
善の才能は愛を与え与えられる中に伸びる。
自然に成長する仔猫のように、再生する新緑のように、これからも自然に、健やかに、この才能はまだまだ伸ばされてゆく予感がする。
(✨気になる記事✨⤵︎ ︎)
素敵な俳句をありがとうございました!!
ラブあんどピース🍀
🐱優秀賞の発表と講評はこちらです⤵︎ ︎🐱
🐱中岡はじめさんの感想記事。必読です⤵︎ ︎
編集後記を後日投稿します(~ ¯︶¯)~ ふらふら
春の鳥と恋と猫の俳句もいかがでしょうか❤