自転車に乗れなくても生きていけるけれど
うちの2番目の子、ニンタ6歳。ニンタには知的障害があり、運動もとても苦手。自立歩行はできるが、長く歩くと疲れてしまうので、4歳当時、大きな駅では電車の乗換などで歩ききることができなかった。
4歳というと15キロくらいだったろうか。私では抱っこの移動ができなくなった。そこで、まだベビーカーを利用していたが、体がどんどん大きくなってはみ出して、ベビーカーのタイヤに足がからまってケガをしそうになる。
そこで、何度目かの検査入院のとき、私はこども用の車椅子をレンタルすることにした。荷物も多いし、新幹線の駅は広い。0歳から使っていたベビーカーでは、限界だった。
レンタルした車椅子を、ニンタはものすごく気に入った。私もニンタを乗せて押してみて、驚いた。車椅子の大きなタイヤは、ベビーカーの小さなタイヤと比べ物にならない軽さでニンタを運んでくれる。こんな快適な乗り物があったのか。
入院中も、ニンタは車椅子を気に入って、病院内をほんの少し移動するときでも、常に車椅子を使いたがった。ニンタの歩行や運動機能の訓練をしてくれている理学療法士の先生にとても申し訳なく思ったが、こんなに便利なものがあるのに頼らずにいられようか。
長距離移動が苦手なら、車椅子で移動すればいい。私はそのとき、そういう前向きな気持ちで車椅子を受け入れた。
◇
ニンタは、1歳半からリハビリに通っている。1歳半でつかまり立ちしか出来ず、歩くことができなかったからだ。そして何ヶ月か通い続けて雰囲気にも慣れた頃、私は理学療法士の先生に「この先どうなっていくとか、わかりますか?」と無茶な質問をぶつけた。
その当時の私はまだ知らなかったが、発達には個人差があるので、将来予測はとても難しい。先生はとても困って「私個人の印象で、としか言えないんですが…自立歩行などは出来ると思いますが、運動面での苦手は残るかもしれません」と捻り出すように答えた。「じゃあ、体育が苦手、みたいなことで?」「そうですね」。
それを聞いた私が思ったこと。それは(体育が苦手でも生きていけるから、まあいいか。でも推薦入試とかは、体育の成績も入ってくるから、そういうのは利用できなくなって、受験で一発合格狙うしかなくなるのかなあ。)…という、とてもお気楽な事だった。その時は、ニンタに知的障害が残るとも思っていなかったので、体育の成績がどうのという問題ではなくなっていくのだけれど。
その後、ニンタが歩けるようになったのは2歳くらい。その後もハイハイと平行しながら少しずつ歩く距離を延ばしていき、初めて近所の公園まで手を地面につけずに歩けた日のことは、今でもよく覚えている。
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歩行前のニンタで、私が特徴的だと思ったのは「後ろ向きの動きができない」ということだった。
赤ちゃんは、ハイハイできるようになると、果敢に階段もすぐ登ってしまうので、危なくて目が離せない。そして、階段を降りる時は、後ろ向きで手探りならぬ足探りで降りていく子が多い。
ニンタもハイハイができるようになって階段は登ったが、後ろ下がりができないので、階段に前向きにお座りをして、手で体を支えながら次の下の段に座りなおす。そしてまた次の段に座る…ということを繰り返して降りていった。そして結局、歩いて降りることができるようになるまで、ずっとそうやって「座り降り方式」を採用して階段を降りていた。
(ただ、赤ちゃんの動きというのは個人差があって、後ろ下がりが苦手だから発達に難あり、ということにはならない。これもあくまで、私の個人的な感想。聞くところによると、ハイハイを全くしないで、お座りのポーズでズリズリ移動、その後いきなりつたい歩き、という赤ちゃんもよくいるそうなので、本当に発達の経緯は人それぞれだと思う)。
その、後ろ下がりが苦手、という現象が関係しているのかいないのか、ニンタは「またぐ」という動作が長いことできなかった。
もうすっかり一人で歩けるようになっても、お風呂の浴槽にまたいで出入りができない。よくよく考えてみると、太ももあたりまでの高さをまたぐ時、まず片足でまたぎ、その後、進行方向に背を向けて、もう片方の足を抜くようにする。その、進行方向に背を向ける時の動作が難しいのではないだろうか!?…というのが、私の推測だった。
加えて、太ももまでの高さというのは、かなり高めなので、障害物に両手をつき、自分の体を支えることが出来ないと危ない。もし両手が頼りにならないとしたら、片足立ちになる瞬間が二回あるわけで、片足でバランスをとる必要もある。
ニンタの場合、腕の力も足りないし、体幹が弱いから片足バランスも難しい。いろんな要素がからみあって「またげない」ということになっているとも考えられ、素人にはお手上げだった。
結局どうなったかというと、ニンタの身長が伸びて、浴槽が障害物として低くなったこと、そして全体の筋力も徐々についていったことで、5歳くらいのときには、またぐ動作もできるようになってきた。ジャングルジムなどの遊具も、あまり好きではないけれど、後ろ向きに降りるような動作も少しは挑戦するようになる。
病名が確定して食事療法を始めたのが4歳の時だったので、これは治療の効果か、それともただの成長か、真実はお医者さんでもわからないのだけれど、5歳あたりでいろいろと運動面が伸びてきたのは、本当に嬉しいことだった。
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その次は、「両足で飛び降りる」ということが長いことできなかった。トランポリンなど、両足でジャンプすることはできても、ほんの数センチの段差があると、体が固くなって、あきらめて片足ずつ歩いて降りてしまう。リハビリのサーキットでは、よくこういう飛び降り系があったので、本当にあと少しなんだけど、どうしたら良いものかと私も考えた。
これは本人の恐怖心が関係しているんだろうとも思い、家にある薄い雑誌の上から飛ばせ、次に厚めで大きい「風土資料記」みたいな本の上から飛ばせ、最後に家で一番分厚い5センチくらいの画集の上に乗せたが、そこでストップ、数日間の停滞があった。そして画集から初めて飛び降りられた時は、上の子いっちゃんが「とんだ!ニンタがとんだ!」とアルプスの少女ハイジの名シーンみたいなことを言い、ニンタも嬉しそうに何度も繰り返し飛び降りた。まだ椅子みたいな高さからは飛び降りることができないが、これは大きな成長だった。
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そして小学校入学。保育園ではニンタがやろうとしない限り、鉄棒も縄跳びも無理にさせようとしなかったが、小学校の体育ではとりあえず、無理でもなんでも、一応挑戦させてみるようだった。
ニンタはそれまで、鉄棒といえば両手でぶる下がることしかできない。そして小学校で初めて、両手で体を支える「つばめ」に挑戦したそうで、先生が抱き上げてサポートしたが、「こわいこわいこわい!」と言ってダメだった。
そこで、家にある簡易的な置き型鉄棒(あかちゃん用のブランコがつけられるようなアレ)の下に、家中の布団を敷いてふわふわにして、ニンタを持ち上げて鉄棒につかまらせたら、肘も膝も曲がっているが、お腹のあたりを鉄棒に預け、なんとか「つばめ」ができた。これにはニンタも嬉しそうで、「鉄棒やりたい!」と何度も言ってくるようになった。しかし、学校のグランドの鉄棒は変わらず「こわいこわいこわい!」だそうで、家から布団を持っていきたいくらいなのだが、仕方ない。
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次にマット運動になった。マット運動は無理でしょ…と思ったが、先生は前転(でんぐりがえし)の姿勢を教えて、補助をつけてぐるり、とニンタを根気よく回しているらしい。
私も何もしないのも申し訳ないので、寝る前に布団の上でやるようになった。3番目のミコは年少だが、軽々とやってみせる。1番目のいっちゃんも、下二人がやっていると「私もやるやる」と言って、でんぐりがえしをする。そうやって3人で順番を奪い合ってやるのが楽しいようで、何度も繰り返す。
学校で教えてもらったから、最初のフォームはだいたい合っている、でも頭を布団につけて、ぐっと力を入れると、蹴る力が足りなくて足が横に流れて倒れてしまう。
あと少し、もうちょっと。これは何か既視感があるな、と思ったら、乳児期の「寝返り」だ。ああ、寝返りするかな?するかな?と、じりじりしながら見守っていた、あの感じ。私は就寝前に、ときにはハンドクリームを塗りながら見守り、ときには補助をつけて回転させ、練習につきあった。
そして、3人で競うようにでんぐりがえしをすること数日、とうとうニンタも補助なしでまっすぐにでんぐりがえしを成功させた。一番喜んだのはいっちゃんで、「おかあさん、なんでもっと喜ばないの!」と言われたが、なぜだか、私は4人目の寝返りを見届けた人のように、しみじみとした嬉しさだけしかなかった。
もちろん同時進行で学校での特訓があってのこと。まさかニンタが前転できるようになるとは思わなかったので、喜びや驚きというより、感慨深いというような感じだったのかもしれない。
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次はボールをキックする授業になった。片足でバランスをとる、ボールをよく見て足をふりあげる、一つ一つの動作が全て苦手なのだが、なんとなくこれも形になってきた。
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そして、家でも嬉しい出来事が。それは自転車。
3歳くらいから時々補助付き自転車に乗せてみたが、ニンタはペダルを足で押す力が足りないので、すぐに逆回転させて空回りしてしまい、「なんですか、この乗り物は!」とでも言いたげだった。
ペダルを漕ぐ、ということは口で教えるのも難しく、見本を見せてもなかなか理解してもらえない。とりあえず、ニンタを自転車に座らせてペダルに足を置かせ、その足を親が中腰になって手で押し、ペダルを踏むと前へ進む感覚を、体で覚えてもらおうと試みた。
しかし、たいていすぐにニンタが「もう嫌だ」とぐずりだし、自転車はただの「押してもらう椅子」になった。親が諦めて押し始めると、下り坂でするする進むときでも、ニンタはペダルを全く動かそうとしなかった。
そんな停滞期を経て約3年。最近、ニンタに変化が現れた。走り出しに力がいるので、ニンタはオリジナルのスタート方法を考案したらしい。ブランコを漕ぐ要領で、上半身をぐんっと揺らせて、その衝撃で自転車を少し前に進めて、その勢いがあるうちにペダルを踏む。すると、ゆるい下り坂であればペダルを漕ぐことができるようになった。
成功と失敗はまだ半々くらいだけれど、「足で漕ぐ」という、口で言ってもどうにもならない動きを、なんとなく掴んでくれたときの喜びは、言いようがない。自転車は一生無理かもしれない、と思っていたのに、この先、ストライダーなどでバランスがとれるようになれば、もしかしたら、ニンタは自転車に乗れるようになるかもしれない。2輪が無理なら、シニア用の4輪自転車という選択肢もある。
もちろん、自転車に乗れなくても生活に支障はない。年老いたら多くの人が自転車に乗らなくなる、その程度の乗り物だ。
でも、自転車に乗れるというのは「楽しみ」のひとつではある。いつもより遠くへも行ける。荷物も積める。補助付き自転車を漕いだ嬉しそうなニンタの顔を見たら、この先も練習をやめるわけにはいかない。
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そういえば、この一年で持久力もついてきたようだ。
先日、少し遠い公園までミコも連れて遊びに行ったところ、ニンタが「もう帰りたい」と言い出した。以前であれば、もう疲れて歩けない、抱っこで帰る、と泣くしかなかったが、その日のニンタはぷりぷりと怒って、1人でずんずん家の方へ走り出した。私は、まだ遊び足りないミコをなだめながら、50メートルほど離されながらニンタを追いかけ、結局そのまま家まで帰り着いた。
「帰りたい」という時に、泣いて抱いてもらって帰るのと、自分の意志で自分の足で帰るのとでは訳が違う。ニンタは自由を手に入れたんだな、と思った。
◇
私は、車椅子を初めて使ったときのことを思い出していた。車椅子を前向きな気持ちで受け入れた、4歳のときのことを。
車椅子だと自由でなくなるわけじゃない。工夫が必要になるだけ。しかしそれは、かなり労力のいることで、それを毎日続けたことのない人間が軽々しく「車椅子でも自由だ」と言うことなんてできない。
ニンタが短い距離を歩けるようになったとき、それ以上は望まない、歩けるだけで十分だと本気で思ったのに、ニンタがそれ以上のことを求めて動き出している今、自分の意志で動ける自由について、痛感する。
車椅子だって平気だ、と覚悟した私の決意がどれだけ甘かったか。自分の体が自分の思うように動かない大変さを、私は何もわかっていなかった。覚悟とは「ケアする私」の覚悟であって、ニンタの精神的な負担については、全く考えが及んでいなかった。
覚悟といえば聞こえはいいが、ただ現実から目を背けただけだった。自由に動くことができないことを悲しむまいとする、私なりの防御だった。
ニンタが予想に反してひとつひとつ出来ることを増やし、どうだ見たかと言わんばかりの笑顔を見せたときに、私が目を背けていたことが、貴重で輝かしいことなのだと知り、そして言葉をどう駆使して自分を納得させても、やはり手に入らないことは残酷なことなのだと思った。
でも、それでさえも人は乗り越えていける力がある。それはこの数年間、私達がお世話になった療育やリハビリで知り合った人達から学んだことだった。
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ニンタが成長していることは、ただただ手放しに喜ばしい。今後の停滞や後退の可能性もあるけれど、それは今考えても仕方ない。
良かった、嬉しい、の気持ちと共に思うのは、今までニンタがどれだけ大変だったか、そして今でも毎日がどれほど困難か、私が本当の意味で知ることはないのだ、ということ。
そして、世の中の障害者が、どれだけ労力をかけて生活しているかも想像する。それを乗り越えたからこそ言える「障害は不便だが不幸じゃない」という言葉の重みを、少しでも知った気になっていた自分は、浅はかだった。
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ニンタに無理強いしたくない気持ちは変わらない。でもこの先、出来ることが増えてほしいとも思う。そして、私は何年経っても、出来なかったときのニンタを覚えていたい。私がニンタにしてやれることなど限られているのだから、せめて、ニンタが私に教えてくれたことは覚えていたい。
自分で移動できること、自転車に乗れること。出来れば幸せだし、出来なくても不幸ではない。その狭間で見たこと、感じたことをニンタの糧にできるように、私は親として記憶する。いつかニンタが必要としたときに、取り出せるように預かっておこうと思う。
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