バランスをとらない
私は「結局、バランスが大事だよね〜」という結論に落ち着いてしまう事が多い。
何があったというわけではないけれど、最近折々に考えている、このバランスという言葉について。
仕事とプライベート、勉学と余暇、攻撃と防御、競争と平等、向上心とありのまま、勤勉と怠惰、統率と自由。
どれをとってもバランスを欠けば極論へ走るので、「バランスは大事」という考え方に異論はない。これからも大切にしていく。
でも、バランスをとらない、という立場を貫いた場合、強いメッセージを送ることが出来るんだな、とも思う。
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バランスが大切なのは重々承知だけれど、今の世の中がものすごく傾いていると感じた場合、あえて批判覚悟で自分の全体重を片側に乗せる。そういう役割を貫いている人が、世の中には居て。
そういう人のメッセージは、強く、目新しく見える。
メディアなどでコメントを求められる人は、そういう立場に置かれることが多いのだろうと思うし「バランスが大事ですよね」なんて誰でも言えることだから、どっちかに体重乗せてください、と言われてしまうのかもしれない。
で、その体重を乗せた側が、あんまりひどい方向だと炎上するのだろうし、目を覆いたくなるものもある。
そういう非人道的なバランスの悪さや悪目立ちはさておき、世の中の改善を加速させるためのバランスの悪さは、時に必用なんじゃないかと思う。
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私もこうして、誰でも読める場所に文章を書いている以上、何かを発信する立場ではあるのだけれど、私は我が身かわいさで、これからも無難にバランスをとって生きていくと思う。
ただ、自分のこどもに障害があるとわかった時点で、そこはちょっと譲れないというか、「全体の幸せを考えて良い塩梅で」などと言っていられない時が出てきてしまった。
「障害者の人権は大切で、平等であるべきですが、それは周りに迷惑をかけない範囲で」というバランスの取り方は、もう無理だと思っている。
本音のところでは。
でも、私は小心者であるので、声高にそういう主張はあまりできない。世間が怖いだけではなく、誰かに不利益が生じた場合、その責任をとりたくないのだと思う。
でも、だからって自分の弱さを嘆いたりしないし、弱い者は弱い者として、じわじわと正しいと思う方向へ体重を乗せていく。私は先導者にはなれないけれど、最後に必用なのは大衆の力であって、その大衆の一人にはなれるだろうから。
道を切り開いたりしないけれど、諦めない。そういう人が多数派になったときに、本当に世の中は変わるらしいので。
私は歴史に名前を残さないけれど、そういう自分の役割について、とても自覚と責任を感じている。