きょうだいの中で誰が一番好き?
一番上のいっちゃんが、お気に入りのアニメを見ていた。
私はそのアニメを詳しく知らない。知らないなりに途中から見ていたら、ちょっと幼くて頼りないキャラクターがでてきて、かわいらしい。
何の気無しに「この子、なんかニンタに似てない?」と聞くと、いっちゃんは少しムッとして「似てないよー」と答えた。
あ、しまったな。と思ったが、もう遅い。
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私の失敗を解説したい。
まず、アニメを途中から見た何にもわからない新参者が、そのキャラクターをアレコレ言う事そのものがマナーに欠ける。いっちゃんはそのアニメやキャラクターに思い入れがあるだろうに、軽々しく踏み込むべきではなかった。
そして、もっと悪いのは、それを障害のあるニンタに例えた事だった。
障害のある子というのは、成長がゆっくりで幼い分、親から見たらかわいらしく見える事がある。それはそれで否定はしないが、きょうだい児であるいっちゃんからしたらどうだろう。
なんでも人並みに出来る自分。しっかりした自分。
それよりも、「出来ないこと」が愛されてしまう世界だとしたら。
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先日最終回を迎えた朝ドラ「おかえりモネ」にこんなシーンがあった。
主人公の父親は、若い頃にジャズトランペットを吹いていたのだが、「俺の音は真っ直ぐ過ぎてつまらない。もっと陰とか傷とか不幸を背負っていないと、色気のある音が出ない」と思っていた。
そこで、同じく若かりし頃の主人公の母親が「正しくて明るくて、ポジティブで前向きであることが、魅力にならない世界なんてクソです!」と一喝するのだった。
私はこの言葉に、いっちゃんを重ねていた。
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「いっちゃんが、しっかり者で頑張り屋で賢い事が、魅力にならない世界なんてクソです!」
私は本気でそう思っているけれど、それと障害のあるニンタを可愛く思ってしまう気持ちは、どう両立していけばいいのだろう。
きょうだい児の苦しみは、親や世間からのプレッシャー、ケアラーにならざるを得ない環境、きょうだいとの関係、いろいろあって、私はなるべくその苦しみをいっちゃんにさせまい、と日々思っている。
でも、一番の課題は「親から愛されている」という確信が持てるかどうかだと思う。
障害のあるなしに関わらず、こどもは「きょうだいの中でも、一番に愛されている」と思いたいものだと聞くし。
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以前に見た子育て番組「すくすく子育て」で聞いた言葉も思い出す。
姉妹を育てていた大日向雅美先生が、お子さんに「私と妹、どっちが好き?」と聞かれたとき、「妹は宝石、あなたは宝物よ」と答えたと言う。その場はそれで切り抜けて、後に「あれって結局どういう意味?」となったそうだが、いい回答だなあ、と私は思った。
「どちらも一番よ」とか、「順番はつけられない」という言葉では、こどもは納得できない。であれば、どの子にも「あなたが一番よ」と答えなさい、というのが番組としての答えだった。
なんだか答えをごまかしているように思われるかもしれないけれど、それが本当のところだ。比べることなんて出来ない。どの子もそれぞれに一番だ。
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ニンタに障害がある分、私はいっちゃんに対してしつこいくらいに「あなたが一番」と伝えていかなければいけないんだと思う。
今でもそうしているつもりだけれど、伝わったかどうか、その答えがわかるのは、いっちゃんが大人になってから。ずっとずっと先の事なのかな、と思う。
(ちなみに、一番下のミコはまだ全身で愛情を受け取っている様子で、自信たっぷりに見える。末っ子ならではの良さかもしれない)。