夏至を好きになることにした
私は冬が苦手だ。日が沈むのが早いと、「ああもう1日が終わってしまう、あれもこれも終わっていない」と悲しくなるし、寒さで動くのが億劫になるのも嫌だ。冬はもう冬眠と決めて、諦めて過ごそう、と決意したこともある。
冬はひたすら春を心待ちにする日々。だから、冬至は「ここが底です」と言われているようで、前向きになれた。冬至を越えれば、あとはだんだん日が長くなる。
反対に、夏至は悲しかった。まだ夏にもならないのに、「今日が1番、日照時間が長い日です!」と言われて、え!もう!どんどん日が短くなって冬に向かっていくの?と、毎年のことなのに、裏切られたような気持ちになる。
夏至は悲しみ、冬至を喜ぶ、という習慣を何年か続けた後、「これは間違っている」という気持ちになった。日照時間が長いのが好きならば、夏至は1年で1番喜ばしい日のはずではないか。祭りだ。踊り騒いで夏至を祝えば良い。観覧車なら頂上だ。
もともと、私はこういうところがある。何も考えずに楽しんでいるのは、楽しいことが始まる前で、楽しい時間そのものは、「この時間をしっかり覚えておこう」という考えがよぎり、「悲しいときに今日の楽しい時間を思い出すだろうな」などと考える。
それが私の「楽しみ方」で、もう直るものではないと思う。人間的ではあるけれど、でも、1番楽しい時間に、わざわざ悲しみと同居しなくても。
1番上のいっちゃんが、もう少し小さかった時に、「ゲシってなあに」と聞いてきた。私は夏至と冬至の説明をした後、勝手に自分の決意も語った。
「夏至が過ぎると、どんどん日が短くなるから、おかあさんは毎年悲しかったんだけど、もうやめることにした。1番昼間の時間が長い、素敵な日に悲しんでるのは、もったいないから。今日は夏至だー!って喜ぶ。それから、冬至も今までと同じように喜ぶ。あとは春を待つだけだ!って喜ぶ。好きな日を2日に増やすことにした」。
いっちゃんは、「じゃあもうすぐゲシだから、おかあさんは嬉しいんだね」と言ってくれた。
その時から数年経ち、信じられないような猛暑が続くようになった。冬が苦手だと思っていた私も、こんなに暑さがキツイなら、冬の方がマシかも…と思うような異常気象が続いている。
今年の夏至は雨だった。日の長さをあまり実感せず、するっと通り過ぎてしまった。梅雨寒も、これから訪れる暑さを思うと、ありがたい気さえしてくる。
梅雨は気温が低いし、雨は情緒的だ。夏は日が長くて嬉しいし、洗濯物がよく乾く。冬は部屋の暖かさを楽しんで、ゴロゴロするのに最適だ。
そうやって、全部の季節を楽しんで暮らせたら、いいだろうな、と思う。季節だけでなく、どんなシチュエーションでも、楽しめる人。人はそれをポジティブと呼ぶ。
それは私の性格からは、かなり遠い。暑くもなく寒くもない、春や秋の晴天が好きだし、誰かに傷つけられたときに「これでまた一つ強くなれる」とは思わない。
でも、夏至くらいは。1番楽しいときくらいは、素直に楽しめる私でいたい。最近は夏至のイベントもあって、キャンドルナイトって一度参加してみたいなあ、と思っている。
そういう考えで夏至を好きになったので、夏至を喜ぶとき、私は私に優しくなれる。もっと今の人生を楽しんでいいんだよ。先の心配ばかりしなくていいんだよ。
享楽的に生きられない私が、少し自分に甘くなれる日。夏至を好きになるのは、自分の考え方の癖を修正する、練習になっているかもしれない。
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