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学校を休ませることは虐待ですか?と児童相談所に連絡。

異例の短い夏休みが終わり、新学期が始まった初日。私は初めてニンタの学校を休ませてしまった。それも、自分の都合で。

幼稚園も保育園も、小さな子に朝食をとらせて着替えさせて持ち物を準備して家をでることは、たやすくない。それでも、親の都合で休ませたことは一度もなかった。

もちろん、小さいうちは「朝の支度は大変だけど、休ませたら一日中親が面倒をみなくてはいけなくて、もっと大変」という理由もあって、死ぬ気で頑張ったのだと思う。最近のニンタは、ミコと一緒だとケンカで泣き叫ぶこともしょっちゅうだが、私と2人で過ごしているときは割と大人しく、1日家にいても、なんとかやっていけるだろう、という裏の事情もあった。

話は2日前に戻る。土曜日の朝、夫から1枚のメモを渡された。この週末、こども3人を連れてお墓参りに行く予定であること。金曜日のうちに仕事が終わらなかったので、月曜日の早朝に出社すること。の2つが書かれてあった。

直接、話をせずにメモにしたのは、このことに関して過去に何度も揉めたので、言いにくかったのだと思う。

話はさらにさかのぼる。

もともと、夫は朝食を食べずに、コーヒーだけ飲んで出社する人だった。朝のこどもの支度は私が1人でやり、それを横目にゆっくりしているときもあったし、朝起きると、もう居ないというときもあった。

こどもが増えるにつれ、朝の支度はどんどん大変になっていった。産まれたばかりの下の子を、クーハンに乗せて足で揺らしながら、幼稚園のお弁当を作る。しかし、抱っこか授乳を欲しているわけで、クーハンではごまかせずに、火のついたように泣き続ける。

「朝の支度が大変なので、一緒に朝ごはんを食べて欲しい」と何度もお願いしたが、自分のペースで出社時間を決めることは、夫にとってとても大切なことであったので、なかなか受け入れてはもらえなかった。

夫としての妥協案は、「時間があるときは、朝の支度に参加する」ということだった。けれど、仕事のことで頭がいっぱいの夫は、心ここにあらずで、あまり戦力にならなかった。

例えば、離乳食を食べさせるにしても、まだ食事に慣れないうちは、ちょっと気に入らない食事であれば、すぐに口から出されてしまう。出された食事をスプーンで受け止めて、あれ、もうちょっとスプーンで潰してからの方がよかったかな、などと再トライしたり、味が良くなかったかな、と他の好物に混ぜたりして試行錯誤するということが、よくある。

「ミコに離乳食を食べさせてくれる?」と夫に離乳食を渡すと、とにかく早く家を出たいので、口に運んでは吐き出し、口に運んでは吐き出し、機械的に全部の離乳食をミコの口に運んで、皿はカラになっているが、中身は全部床に落ちているだけ、ということになる。嫌がらせしているんじゃないかと疑いたくなるぐらい、朝の夫は冷たかった。

しかし、2番目のニンタに障害があると分かり、そのサポートのために3番目のミコを保育園に入れることになってから、夫は朝の育児に本格的に参加するようになった。「ミコを保育園に送り届けてから出社する」ということがハッキリと夫の役割になったので、わかりやすくなったのだと思う。朝食ナシで保育園に連れて行くわけにもいかないので、マジメに食事の介助もするようになった。

保育園は7時から開いているが、7時までに全ての支度を終えて送り届けるには5時くらいから起きなければいけない。そうやって必死にやっても、出社は通勤時間を入れると8時。朝早く出社して仕事を片付けたい夫にとっては、すでにスタートが遅い。その時間帯は通勤電車も混んでいるし、いいことが何もない。夫は早朝の出社を諦めて、毎日フレックスを利用して9時くらいに家を出るようになった。「フレックス使えたのか…」と心の中で、積年の恨みが蘇ってきたが、何年も頼み続けていた「朝の参加」がかなえられたことは、とても助かることであるので、過去のことはぐっと心の中に押し戻した。そして、「フレックスを使う」ということは、会社にとってどれほどの迷惑なのかは知らないが、夫にとってはとてもとても嫌なことで、だからこそ長年、抵抗していたのだと思う。その最後の砦を諦めたことが、どれほどつらいことなのか、ということを、私が理解することは生涯ないだろう。少なくとも、簡単なことでなかったということは、肝に銘じなければいけない。

そうして、私たち夫婦は、手のかかるニンタとミコ、どちらかがどちらかの面倒を見ることで、なんとか朝の時間を乗り越えてきた。一番上のいっちゃんは、食事さえ出せば自分でサクサクと支度をするまでに大きくなっていた。

しかし、たびたび「明日は早く出社したいんだけど…」という申し出が夫からあった。私は毎回しぶい顔をしたが、了承した。保育園には遅刻をしても良い。なんとか1人で2人の面倒を見て、いつもよりはだいぶ遅い時間になるが、別々の保育園に送り届けることができた。

しかし、それは「結果的にできた」というだけであって、私の心のダメージはけっこうなものだった。まず、「明日は早く出社したいんだけど」と言われてから、次の日が怖くて夜眠れない。朝も恐怖で早く目が覚める。1人で2人同時に朝食を食べさせているときに、どちらかが大きな声で泣いたり、食事をひっくり返したりすると、冷静さが保てなくなり、大きな声で怒鳴りつけ、後でひどい自己嫌悪になる。「明日は早く出社したいんだけど」は、恐怖の呪文だった。

ニンタが小学校にあがり、過酷さは増していた。小学校は朝の時間が早い。保育園と違って、遅刻もさせにくい。といって、体力のないニンタを5時にたたき起こすわけにもいかず、ギリギリのところで起こし、ギリギリの時間で食事をとらせ、ギリギリで出発する毎日。

また、保育園は自転車で送っていくのが通常だったが、小学校では歩いていくのが「ふつう」だ。私は体力のないニンタを無理に歩かせることもないと思ったし、ランドセルは私が持つのも重いほどだったので、私がニンタを送っていく場合は自転車で途中まで行き、学校の近くで降りて、少しだけ2人で歩いた。ニンタだけでなく、家が遠い子や、遅刻しそうな子を、親が自転車の後ろに乗せて学校近くまで連れて行く光景はときどきあって、それは「暗黙のズル」とでも言おうか、学校で公に認められているわけではないが、こどもも親も「よくあること」と黙認していた。

しかし、夫はそれをよしとしなかった。ただでさえ運動能力のないニンタを甘やかすのもためらわれたのだろうし、登校する生徒を自転車で追い越して行く後ろめたさも、嫌だったのだと思う。

ニンタの登校は、保育園の送りよりも、ずっとずっと労力のいる仕事となった。

そして、コロナ禍と、コロナ禍に伴う夫婦喧嘩と、小学校での環境の変化で、ニンタではなく、私の方が疲弊していった。小学校は、私が思った以上にニンタへの教育に熱心だったが、それでもニンタに対する心配は尽きないし、給食のことで思ったように対応してもらえないこともあって、もどかしかった。ニンタに関する「会議」や「面談」も何度もあって、それは保育園の暖かな先生とのおしゃべりとは違って、真剣勝負で臨まなければいけないような雰囲気があり、だんだんと親である私が登校拒否のような気持ちになってきて、学校へ向かう足取りが重い。また、誰もが経験する「○日までにコレを持ってきて」という小学校独特の無茶ぶりが、いっちゃんとニンタの2人分になったのも地味に負担だったし、特別な配慮が必要なニンタには、提出書類も持ち物も、いっちゃんの比にならないくらい多かった。

ニンタの障害がわかって、食事療法を始めてから、私の体調は良くなったり悪くなったりをずっと繰り返している。体に負担がくることもあったし、心に負担がくることもあった。今は、だいぶ悪い方に傾いていると思う。

私がそんな状態なので、コロナ禍から、朝食は夫が作るようになった。夫は料理が苦手なので、簡単なものしか出来ないが、とにかく食べられればなんでも有難い。私はニンタのお弁当の準備、ニンタとミコの食事の介助、歯磨き、着替え、持ち物の確認などを担当するようになった。

しかし、それにしても朝は時間がない。早く起きればいいとわかっているが、夫は仕事で疲れ、私は心が疲れているので、朝が起きられない。毎朝、もう今日こそ遅刻ではないかと思うギリギリの攻防が続いている。

再び、話は2日前に戻る。「月曜は早く出社する」と告げられた私は、「それはもう決定事項なの?」と聞くと、「そうだ」と言う。昔の私ならば、なんとか1人で頑張ろうと思ったかもしれないが、そうやって頑張ってみても、どうにもならなくて大パニックになったことが何度もあった。今までの失敗から学んでいたので、最悪の事態を想定してスタートすることにした。

「私1人では無理だと思う。ニンタは学校を休ませてもいい?」夫は「いいよ」と答えた。私は、連絡帳に「夫の不在と私の体調不良のため、送迎ができません。欠席させますが、ニンタは元気にしております。また明日よろしくお願いいいたします」と連絡帳に書いて、日曜のうちに、上のいっちゃんに渡した。「もしも奇跡が起きて、おかあさんが1人でニンタの準備ができたら、そのときは必要ないけど、多分無理だと思う。明日、連絡帳をニンタの先生に渡してほしい。いっちゃんは、今日のうちにコンビニで自分の朝ごはんを買ってきておいて」。

月曜の朝になった。暗いうちから夫の目覚ましがなる。いっちゃんが起きる気配がして、しばらくしてから、いっちゃんに体をゆらされた。「おかあさん、起きれる?」体はずしっと重く、頭は靄がかかったままだった。いいんだ。今までずっと無理を繰り返して体を壊してきたんだから、今日は無理をせず、ニンタは休ませると決めたんだから。私は首をふった。「そっかー」いっちゃんは諦めて部屋を出て行った。そのうちニンタとミコも起きたようだったが、私は気付かなかった。

どのくらい時間が経ったか。いっちゃんに再び体をゆらされた。「おかあさん、ごはんだよ」私はびっくりして目をさました。いっちゃんは、1人で朝食をとって家を出ると思っていたからだ。リビングに行くと、私と、いっちゃんと、ミコの3人分、冷凍チャーハンを解凍したものがよそられていて、その上に昨夜の残りの焼き鮭をほぐしたものが乗っていた。「ニンタのごはんは分からないからさあ、焼き鮭だけ食べてるよ」。いつもぐずぐずと食事をとらないニンタは、1人でもぐもぐと焼き鮭を食べていた。

いっちゃんへの感謝よりも、ただただ情けなかった。食事をこどもに作らせたこと、朝起きることもできなかった自分。

いっちゃんの本心はわからないが、悲壮感はなく、「あたしもやればできるのよ」というカラっとした態度でチャーハンを食べ、「じゃあねー」と出て行った。

食事さえ食べてしまえば、ミコを保育園に行かせることはできる。家からとても近いし、荷物も少ないし、給食もあるから。なにより、ミコを休ませると、一日中ニンタと喧嘩になって、私がどうにかなってしまう。私は、心を無にしてミコの歯をみがき、保育園に送って行った。

さあ、この勢いでニンタも学校に行かせることができるだろうか。すでに1時間目が始まっているが、今日は4時間目まである。今からでも遅くはない。しかし、今日は給食がないから、お弁当をつくらなければ放課後デイサービスに行けない。お弁当を作らずにデイサービスだけ休んでもいいが、そうしたら、今度はデイサービスに代わって、私がニンタを学校に迎えに行かなければいけない。

それよりなにより、今、学校へ行く気力が、私にない。

無理しちゃダメ。無理しちゃダメ。私は自分に言い聞かせた。

放課後デイサービスにメールで連絡する。これこれこういう事情で欠席させたので、放課後デイサービスもお休みします。という内容。

すると、すぐにデイサービスから電話があった。「おかあさん大丈夫?そういうときこそ、ニンタちゃんを預けた方がいいと思う。家まで迎えに行くから、今から来ない?お弁当を作れないんだったら、代わりに私がコンビニとかで買ってもいいから」

とても有り難い申し出だったが、食事療法をしているニンタの食事を、コンビニで誂えるのは、不可能ではないが、なかなか困難だ。おでんはまだ季節ではないだろうし、チーズ、サラダ、サラダチキン…いや、もし行ったコンビニにサラダチキンがなかったらどうしよう。

「家にある残り物とかをお昼に食べさせることはできると思うんです。もし良ければ、お昼を食べた後に家に迎えに来ていただけませんか?」デイサービスの人は快諾してくれ、ニンタは午後の三時間程、デイサービスへ行けることになった。

ニンタはおとなしくテレビを見ている。私は児童相談所に連絡をした。自首だ。私と夫は、ニンタの「学ぶ権利」を奪ったのだ。

児童相談所には、いつも相談している「我が家の担当」とでもいう人がいる。その人が居たので、経緯を話し、質問をした。「旅行で休んだりする子もいるでしょうし、1日休むことくらい大したことではない、という考え方もあると思います。でも、ニンタはまだ1人で学校に行くことができないので、親がサボったら、すぐにニンタの権利を奪うことにつながると思います。これは虐待ではないですか?今後もこんなことがあったらと思うと、見過ごしてはいけない問題のように思っています」

「虐待ではないですか?」という質問に、担当者は慎重に言葉を選んだ。私をこれ以上追い詰めてはいけない、という配慮なのだと思う。迷う担当者に「私は今、落ち込んではいますが、正しい情報を知りたいので、できるだけ率直にお答えいただけますか」と念を押した。

「何日も本人の意思に反して欠席が続いたり、欠席させて親の世話をさせるようなことは、もちろんいけませんが、今回1日のことで、虐待と判断することはありません。もしご心配であれば、体調の悪い時に送迎をしてくれるようなサービスを検討してみましょうか」。

私は、少し落ち着きを取り戻した。ただ自分を責めていた心境から、今後繰り返さないための方法は何か、という問いに、頭がスイッチされた。私は御礼を言って電話を切り、今日の日は諦めて、ニンタと一緒に昼寝をし、残り物で昼食にし、その後デイサービスのお迎えが来て、ニンタは出かけていった。

夫からラインが入る。「学校から連絡があったので、事情を話して、明日は登校できると伝えたよ」。とのこと。「虐待ではないか」と落ち込む私と「1日くらいいいだろう」とおおらかな夫。それでも、学校から職場に直接連絡が入れば、夫も少しは考えをこちらに寄せてくれるかもしれず、今後繰り返すことはないかもしれない。

私が専業主婦なのに、たった1日の朝の支度すら頼めないのか、と、夫も納得できない気持ちがあると思う。私も、どうして無理をしてやりきらなかったのか。今まで無理をして体を壊したから、という理由もあるが、泣いて過ごした1日が終わって、私は自分の本当の目的がわかった気がした。

私は、事件にしたかったのだ。そして、夫に、児童相談所に、学校に、うちは夫が朝早く出勤しただけで、こんなことになりますが、大丈夫ですか?と知らせしようとした、確信犯だ。

あのおかあさんは、危険だ。そう周りに思われることで、こどもを守ろうとした。もしこの先、ニンタが長く休むようなことがあれば、それがただの風邪であっても、学校は疑ってくれるかもしれない。そして万が一、私が嘘をついてニンタを休ませていたら、ニンタを助けてくれるかもしれない。私の登校拒否は本当だが、半分は故意で、SOSを発信したかったのだ。

SOSは届いたと思う。もともと頻繁に児童相談所と連携をとっているし、とにかく、私は助けを求めることに余念がない。それが私のできる親としての仕事だという思いがある。

新学期が始まり、三週間が経った。夫は変わらずニンタを歩いて送り届けているし、その後は欠席もない。けれど、次の通知表の「欠席1」という数字を見たとき、私はまた古傷を疼かせると思う。もともと完璧主義である私も、子育てという修羅場を乗り越えてきた今、さすがに1日学校休んだだけで、どうこうとは思わない。けれど、この「欠席1」は私が自分を優先した数字であるし、同時に、そんな私からこどもを守ろうとした数字でもある。ただの欠席ではない。

だけれども、努めて、努めて、これは「ただの数字で、ただの欠席だ」と突き放すことが、今の私に必要な冷静さであると思うし、必要以上に感傷的になるのは逆効果だ。

もし、どうしてもこの数字を素通りできないのであれば、私が、こどもを守るためにあがいた数字なのだ、と思いたい。メッセージは届いたし、収穫のあった1日だ。

これからまだまだニンタの長い学生生活が続くが、いつか、私も鼻歌でも歌いながらニンタと登校できるようになるかもしれない。あるいは、ニンタが1人で登校できるような日がくるかもしれない。

過渡期、過渡期。子育てにとって魔法の呪文だ。時間が解決することがたくさんある。時が過ぎ、振り返れば、この日の出来事など、ちっぽけに思えるはずだ。自ら引き起こした事件は終わった。私が今できるのは、明日もニンタを登校させることだけだ。

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しじみ
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