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すべて1人芝居

小学校になんとなく行きたくない、登校拒否気味の母である私に、「懇談会に連続3日出席」という試練がやってきた。

なんとなく、などと書いたが、理由はハッキリしている。障害のあるニンタを親としてしっかりサポートすることが出来ていないし、そのくせ校長先生に給食の内容について不服を表明する手紙まで出しているからに決まってる。

行きたくない。ニンタにとても熱心に指導してもらって、感謝しているのに、行きたくない。引け目があるから。

1日目はニンタが交流級として在席している、いわゆる「普通級」の親の集まり。ニンタは国語と算数以外は、先生の手を借りながらこちらで過ごしている。

2日目はニンタの支援級の親たち。いわゆる「苦手なことがある子」が学年問わず集まっていて、それぞれ別のカリキュラムをして過ごす時間や、全員でコミュニケーションの練習を兼ねたゲームやイベントもたまにある。

3日目は、上の子、いっちゃんのクラス。

私は3日のうち、どれか1つでもサボれないか、と思ったが、新一年生の懇談会は出席率も高いし、顔合わせの意味もあるから行っておきたい。いっちゃんはもう高学年だから、親も「毎年同じでしょ」と、来ない人も多いのだけど、普段下の2人にばかり手がかかっている負い目がある中で、いっちゃん本人から「いっちゃんのは行くよね!?」という直球のリクエストを受けて行かざるを得なくなった。

そして、私には答えの出ていないことが1つあった。ニンタのことを、普通級の親御さんにどう説明するか、ということだ。

どうも何も、私はどストレートに「障害があって支援級に行ってます」と説明するのだけど、ある出来事から、その説明は必要なのか、と迷いがでているところだった。

それは保育園のお迎えのときのこと。3番目のミコを迎えに行くと、ミコの友達のお姉ちゃんが一緒に来ていて、
「○○小の1年なんだよ!」
と話しかけてくれた。
「え!ミコの上の子も1年だよ!○組!」
「そっか、私は□組!」
「そうなんだー。ニンタって言うんだよ。支援級も行ってるよ」
「病気なの?」
「そう、病気があって先生のお手伝いが要るときがあるんだ」
「ふーん」

私としてはいつもの説明を子供向けにしただけだったのだが、別れてすぐに、いや待てよ、と思った。ニンタには持病も障害もあるが、障害や苦手があるだけの人を病気とは言わない。「支援級=病気」という表現をしたその子に、ちゃんと否定しておくべきだったのかな、他の支援級の人に失礼だったかも、と悶々としたのだった。

後日、小学校で個人面談があり、ニンタの普通級の先生にそのままお話すると、「ニンタちゃんは○組だよ、だけでいいと思います。支援級に行っているとか、そういうことは関係なく、ニンタちゃんはこのクラスの生徒ですから」。というキレイな回答をいただいた。

そういってもらえるのはありがたいが、どうにもスッキリしない。というのも、いっちゃんがまだ低学年だったとき、クラブ発表会なるものがあったのだが、「あのクラブにはまともな子が他にいなくて、だからウチのクラスの子が代表になった」と私に言ったことがあったからだ。つまり、支援級の子が多いクラブだと説明しようとした、その言葉がそれだった。

そのとき、まだニンタに障害があることはハッキリしていなかったが、親として叱りとばし、まともじゃない、なんて表現がどれだけ間違っているのか、しつこく説明した。もちろんいっちゃんも幼くて、語彙が少なかったせいもあるとは思うが、学校の中で支援級がどんな存在であるのかが垣間見えるような気がしたし、支援級が謎のブラックボックスになってしまっているのでは、と危惧する一件だった。

実際、見学に行くと、支援級と普通級は完全に分断されていて、交流はほぼなかった。しかし、ニンタの入学の前後で少しずつ改革が進められ、なんとか風遠し良くしようとしている先生たちの努力が伝わってきた。けれども、個人面談での先生のキレイな回答にもあったように、支援級とはこういうところだよ、という積極的な教育はないようで、みんな一緒、という曖昧な表現で個人個人の感じ方に一任されているような印象だった。

そういう、学校でのインクルーシブ教育が不完全に感じている中で、懇談会は悩ましかった。一対一で話す時には「障害があって支援級に行ってます」でいいが、懇談会につきものの「自己紹介タイム」があったら、どうしよう。同じクラスには支援級の子がもう1人居て、その人はみんなの前で自分の子の障害を説明したいと思っているだろうか。私が1人だけ説明してしまったら、追い詰めてしまうかもしれない。

私は答えのないまま一年生の懇談会に参加したが、やはり自己紹介が始まった。席順からいって、もう一人の支援級のママさんより私が先で、私は無難にニンタが内弁慶で実は家では気が強いんです、という話をし、もう一人のママさんもクスリと笑ってしまうようなエピソードを披露して終った。

その後、担任の先生の自己紹介に続いて、支援級の先生も自己紹介した。「このクラスには2名支援級の生徒が居て、私も毎日このクラスに来ていますので、どうぞよろしくお願いします」。というような内容だった。

誰が支援級か、などということは、シッカリした子であればもうわかっているだろうし、こどもから聞かなくとも、それとなく親同士の噂で伝わるものだ。そしてもし、この場で初めて「2名居る」と知った人は純粋に誰だろう?と思っただろうし、そんなクイズのようなことになるのなら、やはり私は自分で言いたかった。

私は一人で勝手に気疲れし、ヨタヨタと家路についた。

私はなぜこんなことに神経を尖らせているのだろう。噂話だろうが、なんだろうが、どんな形で伝わったっていいじゃないか。「虫が苦手です」「まだ一人で寝られない怖がりです」「障害があります」みんな同じだと思えていないのは、何よりこの私なんじゃないだろうか。

なんだか、円満離婚をアピールしたがる芸能人みたい。私はこどもの障害をよく理解していて、前向きなんです、心配しないでくださいって言いたいだけだ。

ついでに言えば、私はニンタの障害を「よく理解」などしていなくて、毎日手探りだし、全然前向きでもないし、恥ずかしいとはさすがに思っていないけれど、周りに対応で気を使わせるんじゃないか、ということに関してはめちゃめちゃ気になっている。

心配アリアリの親だ。

一方で、周囲の人は、誰がどんな障害があるのかなんて、さほど興味はないだろうし、冒頭の「校長先生への不服表明」など、山ほどある話で、こどもの学びをサポートできないダメ親も、先生たちは山ほど見てきただろう。

全部、全部、私が気にしているだけ。私以外誰も気にしてない。

勝手に一人で疲れて、本当にバカみたい。

家に帰ると、いっちゃんが録画したお気に入りの刑事ドラマを見ていた。「どうだった〜?」と聞かれたので、「自己紹介でニンタの障害のことを言おうか言うまいか迷って言わなかったけど、本当は言いたかった!」と素直に言ったら、少し気分がスッキリした。

本当は言いたかった。結局そうなのだ。みんな同じなんてやっぱり綺麗事だ。ニンタは生きていくのに困難があって、これから6年間過ごす人たちに、それをハッキリ自分の口で言いたかった。どこをどうひっくり返して検証しようが、正しくても間違っていても関係ない、私は言いたかった。

その後の2日間は、大きく疲れる事象もなく、なんとか全日程が終った。

私は、同じクラスの、もう一人の支援級のママさんに、今度聞いてみようかと思っている。あの自己紹介のとき、支援級に行っていることを言いたかった?って。答えがどちらであっても、私達はあの場でいろんな思いを交錯させていたのだろうから、お互いの助けになれることがあるかもしれない。

一人芝居に疲れたので、劇団員を募集している。障害の程度も、親の受け止め方や方針もバラバラなので、なかなか難しいとは思うが、たまたま同じクラスになったご縁なのだから、ちょっと手招きしてみよう。

やんわりとフラれたら、そのときはまた、ここに泣きに来る。

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