交通安全キーホルダーと幸福について
誰かと会話していて、面白くて笑ってしまうあの時間。涙が出るほど笑う時もある。
それが私の一番幸福な時間。
だから、家族ともそうありたいなと思っていた。
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私はお笑い番組を見るのが好きだけれど、残念ながらそういう話術は持ち合わせていなくて。十数年前、夫と結婚したときに、どうしたらこの人は笑ってくれるだろうかと真剣に考えたものだった。
夫の幸せを願って、という気持ちもなくはなかったけれど、自分にとって最高のあの時間を家庭でもやりたい、という思いのほうが強かった。
その後のことは、ものすごーく端折るけれど、結局、夫を大笑いさせることは叶えられず、現在は別居に至る(これはこれで冗談みたいな話だ)。
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一番上のいっちゃんが5歳くらいになって、会話の妙を理解し始めた時には感動した。同じタイミングで「それおかしいよね!?」というツッコミポイントに気がつく時とか。やっと家の中に仲間が現れた、という気持ち。
私の影響もあってか、いっちゃんもお笑い番組を見るのが好きで、中学生になった現在も、賞レースなどはワイワイ言いながら二人で見る。面白いと思うポイントは違うけれど、そういう仲間が家に居るという事はとても幸福な事だと思う。いっちゃんが気の利いた一言を言って、私が大笑いすることもある。
いっちゃんはどんどん成長していくので、それは期間限定の事かもしれなくて、いっちゃんと笑い合う事が出来て本当に良かったなと、ちょくちょく思うのだ。
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下の幼い二人の言動に『笑わされてしまう』ことはあっても、いっちゃんのように心が通じ合って笑い合うような事はまだない。もしかしたら、この先はあるかもしれない。
でもすでに先日、こども全員が関わった会話でちょっと印象に残ったものがあったので、書き記しておきたい。
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新一年生になった三番目のミコは、交通安全教室で、白バイのキーホルダーをもらって帰ってきた。
このキーホルダーは、現在四年生のニンタも新一年生の時に同じものをもらって、とても気に入ってあちこち持ち歩いていた。
持ち歩きすぎて、どこへいったか分からなくなってしまったが、ニンタはミコのキーホルダーを見た瞬間に記憶が呼び起こされ、自分の白バイはどこだ、と言い、家中大捜索になった。
探せど探せど、ない。全員に配られているキーホルダーだから、フリマサイトなどで買えるかもしれないよ、などとなぐさめるが、ふと思った。
ミコはずっと無言で無関心にしている。白バイキーホルダーもほっぽりだしたまま。ニンタに取られまい、と必死なそぶりがない。
「ミコ、もしかして、このキーホルダーいらないと思ってる?」
ミコは頷き、私は「じゃあよかった!ミコ、これニンタにくれる?」と頼むと、事もなげに、もう一度頷いた。
わあっとニンタが喜びをはじけさせて、キーホルダーの封を開けようとするが、手先が不器用なニンタは開けることができない。
ミコは、自分の手柄でニンタを喜ばせることができたので、得意そうに「ミコがあけてあげるよ!」と言う。爪先で接着面をひっかいてセロハンの袋を上手に開けて、キーホルダーを取り出し、椅子の上に乗ると「白バイだー!」と高々と突き上げた。ニンタは大喜び。
全て丸く収まってほっとした私が「『紅だー!』の言い方だね」と言うと、一部始終を見ていたいっちゃんが「しーろバイーに染ーまーるー!こーのオーレーをー!」と、ヘッドバンギングしながら歌ってくれたので、続けて二人で「なーぐさめーるヤーツーはー!もうー居ーなーいー!」と声を合わせて歌った。
はは、面白い。
その時はそう思っただけだったけれど、その後何回か思い返して、これは奇跡的な瞬間かも。と嬉しくなっている。
喧嘩の絶えない下二人が、仲良くしているところとか。いっちゃんと、何十年前に発売された歌になぞらえて笑い合う事とか。
こんな平和な事があるだろうか。そうそう、これだよ、こういうのが欲しかったんだよ。話術もセンスも持ち合わせていない私達から、奇跡的に生まれた笑える瞬間。
どこにでも転がっているような会話だけれど、額に入れて飾っておきたい一瞬だった。世間様にお見せするレベルではないけれど、ここに書いて飾らせてもらう。
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絶対に自分と同じ人間はこの世に居ないのに、同じ事を同じように感じて、心が繋がったかのように思う瞬間が、人生において最も幸福なのかもしれない、と、最近よく思う。ドラマを見たり歌の歌詞を聞いていても、そこの部分にものすごく注目してしまう。
それは笑いじゃなくても、悲しみでも怒りでもいいし、相手は家族じゃなくたっていいんだけれど。
家に居る小さい人たちと、白バイの交通安全キーホルダーでちょっと盛り上がった事が、私の幸福を語ることについて、とても象徴的だなと思う。
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