見出し画像

どんな記録も生きた記録

障害のあるニンタは療育手帳(障害者手帳の一種)を持っていて、それはごくたまに障害者割引で駐車場料金が安くなったりするだけのものなので、どうしても必要かと言われると、よくわからない。

でも、福祉サービスを受ける最初のときに必ずその手帳を見せるし、私が知らないだけで、手帳がなければ受けられないサービスもあるのかもしれない。

更には、学校やら療育やら、新しい場所に行ったとき、ニンタの状態を説明するのに、その手帳はとても分かりやすい。

そしてもしかしたら、ニンタが大人になって、仕事はどうするのか、どうやって生きていくのか、そういう局面になったときに、障害者手帳があったから生きていけるという、そういう事があるかもしれない。

療育手帳は何年かに一度更新が必要で、その度に発達検査を受ける。ニンタは知的障害で認定を受けているので、もし急にお勉強ができるようになったら手帳は失効となる。

残念ながら、失効になるほどの急成長はないが、発達検査の結果はいつもとても気になる。検査の最中は別部屋で待機するので、どんな検査か、ニンタの態度はどうだったのかはわからないが、希望者には後日、発達年齢、或いは精神年齢と呼ばれるものが現在何歳何ヶ月と判定されたのかは教えてもらえる。

精神年齢というのは、おそらく定型発達の子の平均値で出しているのだろう。7歳であれば平均的にこのくらいの事が出来ますよ、という目安。

療育手帳を持っている子の親あるあるで、この実年齢(生活年齢)と精神年齢の差というのは、大きくなればなるほど開いていく、というパターンがよくある。

例えば、2歳のときに「半年ほどの遅れ」と言われて、「でも個人差もあるし」と平静を保とうとするも、3歳では「1年の遅れ」と言われて動揺し、4歳で「かなりシッカリしてきたから今回は取り戻すか」と臨むと「一年半」という具合に突き落とされ、障害児の親として右も左も分からない走り出しで、毎年残酷な結果が伝えられる。

自分の子だけを見れば、こんなに出来ることが増えたのに、周りとの差が開く一方というのは、最初はなかなかやりきれない。

でも仕方がない。定型発達の子が時速40キロで走る車だとしたら、体感として、ニンタは時速20キロくらいで走っていた。走れば走るだけ差がつくのは当然の事で、私は最近ようやくその事実に慣れてきた。

ニンタは4歳でグルコーストランスポーター1欠損症という病名が分かり、治療を始めた。その治療によって、突然定型発達のように時速40キロで走れるようになるわけではない。でも、時速20キロだったものが徐々に上がって行き、最終的に時速30キロくらいになれば上々、という程度の希望があった。

今の所、やや時速は上がったようには見え、もしかしたらそのMAX時速30キロに達したのかもしれない。しかし、定型発達の子のスピードというのは、こちらから見るととんでもなく早いので、20キロが30キロになったところで、見える景色はあまり変わらない。おそらくニンタの知的障害という認定は一生変わらないだろう。

余談だが、排気量50㏄の原付きスクーターは、どんな道路であっても時速30キロ以上で走ってはならない。他の車が60キロ近いスピードで走るような大きな道路でも、30キロで走らなければいけないのは逆に危ないくらいで、あの交通ルールはどうなのかとよく言われるけれど、まあルールなのでそれはさておき。

ニンタは一生、原付きスクーターで人生を歩むのだ。高速道路にも乗らず、レインボーブリッジを渡ることもなく。

そうして、定期的に「精神年齢」が告げられる中で、もう一つの懸案があった。

それは、ニンタが下のきょうだいのミコに抜かれる時の事だった。

これも障害児あるあるで、赤ちゃんだった下の子が、上のきょうだいを抜くことを心配する親は多い。年上のプライドが傷つけられるんじゃないかとか、きょうだい関係がいびつにならないかとか。

実生活では、すでに多くの事で下のミコがニンタを抜かしている。ミコはもう自転車に乗れるし、積み木やブロック遊びでは、ニンタが思いつかないような大作を作る。かろうじて、ミコはまだ平仮名が書けないので、そこだけはニンタが威厳を保っている。

でも、それもミコが小学生になれば、あっという間に追い越されるだろう。ミコだって平均的な時速40キロの子かどうかも怪しいが、ニンタよりもするするとスピードを出して走っている事は明白だ。

そうしてじわじわとミコがニンタを抜かしていくけれど、今の所、心配するほどの事は起きていない。思い返せば、一年半程前は、ニンタがミコに競り負けることが悔しくて泣いて荒れ、きょうだいゲンカが派手になった時期だった。その時はとても心配したが、過ぎ去れば、あの程度で済んで良かったと思う。

この先、二人がニンタの障害を理解した時、どうなるかはまだわからないけれど。

とにもかくにも、現在は、徐々に揉め事は減少し、それなりに仲良く、それなりに喧嘩をして、大変騒がしく暮らしている。

療育手帳の判定の話に戻る。ニンタ7歳、精神年齢では下の子ミコ4歳の月齢を下回る結果となった。

これで名実共に抜かされたのだな、と私は一人で思い、それを誰に告げるでもなく、告げる必要もなかった。そして昔に想像していたような悲しみも不安もなかった。

更に意外だったのが、私は今日のこの日の事を覚えておきたいと思ったことだった。

ニンタが初めて歩けるようになった日のように、初めておゆうぎ会でお友達と一緒にダンスを踊れた日のように、これも大切な成長の記録のように思えたのだった。

ニンタが生きて大きくなれば、下のきょうだいに抜かれるのも当然のこと。もしニンタが6歳までの寿命だとしたら、この日も訪れなかったわけで、ニンタがこの年齢まで生きたからこその小さな節目である。

そして平均値よりも三年以上遅れたこの精神年齢も、ニンタが原付きスクーターでトコトコと走った結果で、セダンやトラックや、中にはスポーツカーで走る子も居る中で、よくぞここまで走ってきたと、誇らしく思う。

ニンタは、下のミコに抜かれるほどの長い年月生きてきたのだと思うと、誕生日などよりも、もっと意義深い日であるように思うのだった。

発達検査の度、どんどん開いていく年齢差に、私は落ち込まなくなった。これは障害の受容の一つなんだろうな、と思う。

これからも、平均値との年齢差は開いていくのだろうけれど、その差が大きくなるという事は、ニンタが時速30キロでも前に進んでいるという事なので、もう怖くない。

そしていつかニンタの病状が悪くなったら、発達が全く進まなかったり後戻りする事も、あるかもしれない。

成長中の子が、一度出来た事が出来なくなるというのは、想像を絶する。私達親子はそうなった時に耐えられるだろうか。

わからない。

でもその時に、時速30キロで生きてきた経験は、必ず私達を助けてくれる。平均値との差なんて何の基準にもならないという事を、少なくとも私は知っているからだ。

ニンタの気持ちを思うと、ミコに抜かれたこの日を、おめでとう、とまでは言えないけれど。

ああ、ここまで大きくなったなあと、おかあさんは思うのだ。

サポートいただけると励みになります。いただいたサポートは、私が抱えている問題を突破するために使います!