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感情のドミノ

noteをまた書きたいな、と思いながら数ヶ月。子育ては三人三様でいろんな変化があって、全て書き留めたい気持ちになるし、私の日々の変化や夫婦のこともある。

話題には事欠かないのだけれど、どうもこう、改まって文章にする気力が起きないままここまできた。

なので、ちょっと形を変えてみようと思う。もう少し肩の力を抜いて、頭の整理をするための、なんでもない文章を書く。

人の感情ってドミノみたいだなと思った話。

今日、テストをひかえた一番上の子、いっちゃんがスマホを見続けていたので、ついガミガミと言ってしまった。

いっちゃんからしたら、テスト前なのに遊んでいる時間が長くて怒られた、という現象に見えているんだろうけど。

その前があって。

ちょっと私の気持ちがモヤモヤしていたのだ。

私はテレビのワイドショーを見ていて、「あのコメンテーターの意見は納得いかないなあ」などと日常によくある違和感を心に持っていた。

するとたまたまその話題が知人との間であがって、知人の意見はコメンテーターと一緒だったので、「あっ」と思ったけれども、意見を戦わせるほどの内容でもなかったので聞き流した。

で、知人と私はどうして意見が違ったかと言うと、知人はその前にちょっと嫌なことがあって、その出来事とそのニュースが似ていたので、コメンテーターと同じ意見になったのだ、という事らしかった。

知人の話とそのニュースは構造的に違うのでは、と思いはしたものの、まあわからない話でもないなと心を寄せることにした。

で、その知人の嫌な出来事というのが、上司に八つ当たりをされた、という話。会社で仕事のミスが見つかって、知人は関係なかったのだけれど、過去のトラブルを持ち出されて、一緒に叱られるという顛末。

以前から知人の上司の話は聞いていて、その上司は他部署との連携がうまくいっておらず、それは傍目から見ていてもわかるほどだと。

そういうストレス過多の状態で働いていたら、関係ない部下まで叱ってしまうことも起こりそうだよなあ、などと、勝手に想像する。

そこから先は更にわからないけれど、その他部署の人は、どうして知人の上司に協力しないのか、どんな理由があるのか。

ちなみに、その他部署の人は、親との同居をきっかけに、会社からずいぶん遠いところへ引っ越したらしく、その遠距離通勤って大変なのでは…と思ったところで、知りもしない人の事をいろいろと推測する失礼さにハッとなり、そこで思考を止めた。

本当に、全然知らない人の話。

いっちゃんから見たら、親の私しか見えていないかもしれないけれど、実はドミノのように倒れてきた感情がいっちゃんに向かって倒れた、という側面がある。親の知人の上司の同僚など、いっちゃんに全く関係ないのに、だ。

もちろん「テスト勉強した方がいいんじゃない」という話は、ドミノがあってもなくても、いつかは言うんだけれども、今日は単純にドミノが倒れて言葉が出ているので、少しきつい言い方になった。

更に言えば、こんな『風が吹けば桶屋がもうかる』みたいな分かりやすい話ではなくて、おそらく、もっと枝葉が分かれたり、感情が逆流したり、行ったり来たりがあったり、私の知り得ない、いろんな過程を経てから、私のところへドミノが倒れてきたはず。

私は今回、ドミノの中流にいたので、ドミノの流れてきた方向と、自分の倒したドミノの方向がちらっと見えた気がした。でも、普段はこのドミノは見えない事が多い。何か揉め事があった時、私は大抵、いっちゃんの立場のように、目の前の出来事と、目の前の人しか見えない。

でも、もし正確にドミノを見る能力があったとしても、「じゃあ仕方ないですね」と流せない事が多いよなあ、と思う。テスト勉強は出来ればした方がいいだろうし。

じゃあ、こういうドミノがある世の中で、どう生活していったらストレスが少ないのだろう、更に言えば、ドミノを止められる存在になれるのだろうね、と考えると。

一人の弱い人間が、その大きな流れに抗うのは無理、というのは前提としてあるけれど。

ドミノが倒れてきた時は「私に非があったとしても、ドミノの力もあるしな」と自分を擁護し、次のドミノを倒すときには「解決しなければならない問題はさておき、次のドミノを押す力は最小限にしたい」と念じながら倒す。サウイフ者ニ 私はナリタイ。

という、腰が引けた宮沢賢治のようになってしまった。

なんだかんだ言ったけれども、こどもにはガミガミ言わないようにしたい。

それは本当に。

そういう親に私はなりたい。





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しじみ
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