ワンオペ不安症候群
※このような病名はありません。私の創作した言葉です。
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夕方、保育園にこどもを迎えに行く。黄昏時でじわじわと辺りが暗くなるけれど、ミコはそんなことは気にかけず、道端の葉っぱを拾ったり、マンホールを飛び石に見立てて「もういっかい!」と来た道を戻ったりする。
「早く帰ろう。暗くなってきたよ」
「コーエンいきたい〜!チョットだから!」
じゃあ少しだけだよ、と、公園に寄る。
楽しそうに遊ぶ子とそれを眺める親。平和な光景に見えるだろうか。心の中はずっとザワザワしている。
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「黄昏泣き」という言葉がある。乳児が何故か夕方になると泣き止まなくなる現象で、そのタイプの子は、本当に何も理由もなく、一定期間夕方になると火のついたように泣くのだ。
うちの3人の子は、幸いそのタイプではなかったけれど、おかあさんである私が、黄昏泣きの気質がある。お迎えのとき、保育園の先生に慰めてもらいたくなる。先生、今からこの子を連れて帰るのが不安で泣きそうなんです、どうしましょう。
何も不安な事などないのに。
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私は乳児でないから、なんとなく原因はわかる。午前中にあれもこれもやろうと思っていたのに半分も片付かなかった後悔とか。昨日言われた棘のある言葉が、胸に刺さってまだ抜けていないとか。
でも一番大きい原因は、かつてワンオペがつらくて仕方なかった記憶が、今でも大きく影を落としている事だと思う。
一番つらかったのは、2番目のニンタの障害がまだはっきりわかっていなくて治療法もなく、その上産まれたばかりの3番目のミコを抱えていた時。
でも、実はこの気持ちは、一番上のいっちゃんが産まれたときからずっと続いている。たった一人で、この産まれたばかりの子の生殺与奪の権を握り、面倒をみるということは、私にとって重責だった。毎日が不安だった。
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新入社員なら、一年目はそういう気持ちだろう。業務の全貌がよく見えていないからとりあえず不安だし、何が正解で何が失敗か分かっていないから、思わぬところで注意を受けたりする。毎朝、今日は上手くできるだろうかと緊張する。
でもたいていは二年目くらいから、なんとなく仕事の流れが見えてきて、寝ぼけまなこのまま通勤しても良いような日と、下準備をしっかりして行く日との違いがでてくる。今日はいつも通りこれをやっておけばいい、とか、今日は大事な会議で発言しなければ、とか、そういう事がわかってくるので。
ところが、どうしたことか子育てに関しては、私はずっと新入社員のままだ。毎日緊張が走る。こどもが大きくなって、もう不測の事態はそれほど起こらない。子が泣いたりわめいたりすることがあっても、なだめ方を知っている。それなのに。
もう終わったんだよ、過酷なあの時代は。何度も自分でそう言い聞かせるのに、過酷で孤独でつらかったワンオペの記憶が、今から始まる少しだけ大変なワンオペタイムと重なってしまって、私の心をざわつかせる。
日が沈む。夕日をきれいだなと眺めることが出来ない。もう大丈夫なのに。昨日も一昨日も無事に何事もなかったのに、ただただ過去の苦しかった気持ちだけが残っている。
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ワンオペ不安症候群。いざ子どもたちをお風呂に入れて、夕飯を食べさせて、とバタバタしだすと、この気持ちはなくなっていく。だって敵はもういないのだ。私の妄想だ。
私はいつこの症状から抜けられるのかな、と想像する。これでも少し良くなってきた。以前は朝起きたときも症状が出ていた。回復しつつあるということは、いつかワンオペについてなんとも思わなくなる日が来るのかもしれない。
食事を準備しておいたら、勝手に食べてくれるようになったら、か。お風呂も歯磨きも一人で勝手にやるようになったら、か。
子育てなんて、あっという間なのだから。
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ワンオペなのは私が専業主婦だからそりゃそうだろうと思っているし、共働きで交互にワンオペをこなすのはもっと大変だろうし、ほとんどの人がワンオペで子育てしていて、これが核家族がどうとか働き方改革とか、社会問題として語るつもりなんて毛頭なくて、でも数年前に登場したこの「ワンオペ」という言葉に、あのとき大勢の人がパッと飛び付いたのは、よくよく分かる。
そして、いつまでもこの記憶を引きずっている人間もここにいる。これはもう存在しない敵と戦っているようなもので、私は自分の症状に名前をつけでもしないと客観視できない。
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しじみさん、あなたは【ワンオペ不安症候群】です。時々いらっしゃいます、育児で大変だった記憶がしばらく続く人が。でも安心してください。おばあちゃんになってもこれが続く人は居ないんですよ、育児は楽しかった記憶の方が残りやすいのでね。
今すぐに治すことは出来ませんが、自然治癒する病気なので、安心してください。夕日がきれいだと思う日が、必ず来ます。
それまでは、不安に思ったときは、「自分は大変な時間を一人で過ごしてしまったから今も不安なんだな、かわいそうに」と、自分を労ってください。いえいえ、いいんですよ。他の人は。あなたが大変だった、それを誰かと比べることはありません。そうやって自分を労りながら毎日過ごしていたら、時間はかかりますが必ず治ります。
いいですね。自分の治癒力を信じてください。人間は傷付いても回復する力を持っているんですよ。
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