もし、障害や病気がなかったら。
一番上の子、いっちゃんが「究極の選択」にハマっていたことがあった。例えば「①駐車場も無料でお店も広くてベビーカーもOKなんだけど、味はあんまりおいしくないラーメン屋さんと、②駐車場が小さくて有料でお店も狭くて、でもすごくおいしいラーメン屋さん、どっちに行く?」みたいな問いを出してくる。
ちなみに、私のその時の答えは①だった。そのときベビーカーは必須だったし、あんまりおいしくないラーメン屋でも、このご時世、そこそこおいしいだろう!という理由で。
そして、いっちゃんからこんな問いが投げられた。「じゃあー、ものすっごいお金持ちになるのと、ニンタの病気が治るのどっちがいい?」私はあまり迷わずに「ものすっごいお金持ち」と答えた。ニンタごめん。
ニンタは食事療法「修正アトキンス」をしているので、炭水化物系はほとんど食べることができない。揚げ物の衣や、とろみに使う片栗粉も糖質なので、外食も行きづらい。だから、毎日低糖質の料理を家で作るので、けっこう大変だが、もしお金持ちだったら、お手伝いさんに来てもらえばいい。外食だって、「低糖質の別メニューを作って頂きたいんですが、オホホ」って別料金を払って頼むこともできるかもしれない。
お菓子も食べることが出来ないが、今は低糖質のお菓子というものもある。かなり高価なものもあるので、今は好きなだけ買ってやる、というわけにもいかないが、お金持ちだったら、どんどん買ってやりたい。
そして、我が家にはニンタ以外にもいっちゃんとミコがいる。習い事や教育費はじゃんじゃん使ってやりたいが、残念ながらそうはいかない。これもお金で解決できる問題だ。
私だって夫だって、お金があったらやりたいなー、と思っていることはたくさんある。
だから、ニンタが病気で好きなものを食べられないのはかわいそうだけど、ここは家族の総合的な利点を考えてお金!となったのだ。
言ったあとに、あまりに非情な親で、我ながら笑った。そして、数ヶ月前だったらきっと「ニンタの病気が治ること」と答えただろうなあ、と思った。それだけ食事療法がうまくいって、ニンタの調子がいいということだ。
私は、「障害は不便だけど不幸じゃない」という言葉を、少し理解できるようになったのかもしれないな、と思った。ニンタには発達の遅れがあって、1人で生きていくのが難しいかもしれないが、それは人の助けを借りるとか、工夫とかで解決できることなのだ。不幸ではない。
もちろん、食事に制限がある、ということは、とてもつらく、可哀想なことだと思っている。でも、発達の遅れに関しては、可哀想だと思ったことはない。(どうしよう!私、何をすればいいの!?と、オロオロしたことはあったが)。ニンタは生まれたときからニンタなので、ニンタが暮らす様子を見ても、それはただの日常なので、可哀想だとか立派だとかいう感想は持ちようがない。
本音を言うと、「グルコーストランスポーター1欠損症」という、日本にまだ100人もいない希少難病の宣告を受けたとき、ものすごいショックを受けると同時に、「ニンタ、めっちゃロックで個性的…」と思っている自分もいた。
私の両親はしっかりした人だ。何不自由なく育ててもらって感謝している。私は、勉強も運動もそこそこで、強いて言えば絵が好きだったので、アートとかそういうものに憧れたが、厳しい世界に入り込めるほどの才能はなく、とりあえず大学に行き、とりあえずアートが遠くに眺められるくらいの関係性がある会社になんとか入り、でも働くのが大変過ぎて、結婚と同時に辞めた。
お笑い芸人が「貧乏自慢とかのネタがない」と嘆くような感じで、私は何の個性も苦労もない自分に、物足りなさを感じていた。
でも、ニンタは違う。とりあえず大学に行っておけとか、就職は新卒でしておかないととか、そういう世間一般の価値観を全部無視して、やりたいことを自由にできる気がしたのだ。それは私が憧れていた世界でもあった。
この先大きくなったら、実際どんな世界が待っているかはわからない。でも、少なくとも母親の私は、ニンタを何かの枠にはめたりはしないだろう。たくさん苦労したんだから、好きなことやりなさいよ、と言いたい。
障害があって良かったね、とは思わないが、強いて良さをあげるとすれば、そういうところかもしれない。
ただ、想像だが、これが痛みを伴う病気だったら、こんな呑気なことは言えないんだろうな、と思う。お金なんかいらないから、痛みをとってください、と思うだろう。
どれも想像の話だ。我が家はお金持ちにはならないし、ニンタの病気は治らない。痛みのある病気の人の気持ちはわからないし、そして、私はニンタの気持ちですら、想像するしかないのだ。
だけど、悪いことばかり見ても仕方ない。叶わない事を願っても仕方ない。それじゃあもう、希少難病をネタにして、ロックに生きていくのも手ですよ、と私は思う。
これは強がりではない。本当に、私とニンタ、どちらが幸せかなんて、比べられるものではないのだ。幸せになる力は、障害とは関係なく、等しく与えられていると、私は本気で思っている。ニンタがどう思うかはわからないが、もし、私と同じ考えを持って、なりふりかまわず幸せをつかみに行ってくれたら、嬉しいなと思う。
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