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好きな人に会いたい主婦
不倫の話ではない。
最近、好きな人に会っていないなあ、と思った。家族大好きで、家族で過ごす時間が最高!という人もいるかもしれないが、そういう話でもない。
いや、一応言っておくと、私も家族は大切に思っている。人類の中で一番えこひいきしている。
私の言う「好きな人」というのは、尊敬とか癒やしとか、「この人なんかいいなー!」と、高得点をつけてしまいたくなる人。
つまり、家族だと距離が近すぎるのだ。家族は、いいところも悪いところもひっくるめて、受け入れているから。
私が勤め人だった頃は、そういう相手が何人もいたなあ、と思う。男女関係なく、先輩後輩関係なく、「あんた、いい人だねえ!」と思う、そういう相手と会話すると、自然と元気になった。
友達とも、またちょっと違う。友達は好きな人しか付き合っていないので、好きが当たり前だし、ツーといえばカー。お互いを励ましあうことが前提なので、友達に会って元気をもらう、それともまた違うのだ。
仕事などで会う好きな人は、表の顔しか見せない。建て前の顔。そして、社会という制限の中で、仕事というやりとりをして、その上で漏れ出る人の良さ。それが好きだった。仲の良い同僚と「あの人は、ああいうところによく気がつくっていうか、細かい気遣いがあって嬉しいんだよねえ!」などと陰で褒めそやすのも楽しかった。
もちろん、気に入らない相手もたくさんいて、それこそ同僚と愚痴を言い合ったことも多いが、会社をやめて、仕事のストレスから解放された代わりに、あの「ちょっと好きな人」に癒される瞬間も失ったことに、最近気付いた。
会社をやめた今も、お世話になった上司から食事に誘ってもらう機会があったりするけれど、仕事でギュウギュウに追い込まれている中で、ちょっとした優しさに触れるのとは、また違う。たまに会って思い出話に花を咲かせるのは楽しいけれど、そこにはただただ優しい、昔の恋人のように何の責任も未来もない、ゆるく心地いいだけの空間がある。
仕事というハードモードだからこそ成立する喜び、ってやつがあったんだな、と、今更ながら懐かしい。
そういう、いい人に出会うために仕事していたわけじゃないし、それはちょっとしたご褒美でしかなかった。それがなくても生きていけるし、そのためだけに、また企業に勤めたいとも思わないけども。
なんだか、二度と戻らない青春のようだ。
また会うことはできるかもしれないけど、今会っても、きっとあのときみたいな喜びはない。あの年齢であの状況であの言葉をかけてくれたから、好きだっただけだから。
今、たくさんの人の顔を思い浮かべながらこの文章を書いている。向こうからしてみれば、私の名前や顔など、覚えていない人がほとんどだと思うし、私の方だって、顔だけ思い出して名前は…?みたいな薄い関係の人が多い。
その人たちが今もどこかで人生を継続させていて、私に勝手に「いい人だったな。好きだったな」と思い出されているという不思議。
みんな元気にしているだろうか。お世話になったなあ、仕事長続きしなかったの、申し訳ないなあ。
私が仕事を辞めてからも、転職とか異動があっただろうし、ものすごく変化してしまったんだろうけど、まだ、私だけが居ないあの世界が、今もどこかに存在しているような気がして、ちょっと懐かしい。
主婦が遠きに思う、勤め人の世界。あまりにも長いこと離れているから、なんだかドラマの世界のように現実味がなくて、特に今日はいいことばかり思い出す。
そんなはずないのに。
あんなに苦労したのに。
記憶って、なんて都合がいいのだろう。
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