レストラン二軒目 :フランス留学まで3
ついにお店を辞め、二軒目のレストランに行くこととなりました
仕事クビになってからその間1ヶ月
日雇いの仕事で、ダンボールからひたすらキャノーラ油を取り出す作業などしましたが、
家族からの圧力 (早く仕事見つけてこいや)もあり
自分としては短すぎる1ヶ月で次の職についたのでしす笑
さっそくお店に行き、社長とシェフを交えて面接がはじまりました、話しの流れで系列店のイタリアンが人足りてないという理由でそちらに行くことに汗
気の弱い私は、ほんとは本店のフレンチでやりたかったのになぁーと思いつつも
「イタリア興味あります!」と言ってしまうという笑笑
我ながら自分をもっともてと、主体的に生きろと言いたくなります。
そこはミナトミライにあるレオーネマルチアーノというレストランなのですが、近々スーシェフがやめて人が減るので補充されたようでした。
驚いたのはそのレストランの外人率!
外人と括って呼称するのは差別的に聞こえるかもしれませんが、シェフ含め4人の外国人が働いていました
内訳は ブラジル人1名(サービス)
イタリア人2名 スペイン人1名
そこにスーシェフとパティシエ、自分という、、、
飛び交うイタリア語 スペイン人とブラジル人的には言語が似ているのか言ってることはわかるらしい、ちょっと話せるらしい
果たしてここでやっていけるのか
20歳10月のことです。
そこからは必死でイタリア料理、言葉を学ぼうと思いました ウーノからチェントまで
フランス語勉強してたので、割と覚えられました笑笑
何せクビになって入ったので、僕は本当にぺこぺこして、何かにつけて「すいません」を繰り返していました。スーシェフにはネタにされ「すいませんっていうなよ」と言われ、返す私の言葉は「すいません」笑
ボケてはませんでした笑笑
このスーシェフは奥さんと娘さんがいる人で、沢山のことを教えてもらいました。
続けることが大切だということ、副業が大事だということ、家族を大切にすることの幸せ
料理業界に入って初めて尊敬することができる人が見つかったのです。
やはり社会人なりたてだった僕にはこういう存在が必要だったのだと思います。
そこから3年ちょいそこで働くことになるのです。