倫理と道徳で思うところ

先日倫理と道徳について、話題に出ることがあったので、以前面談で実施した内容を少しまとめることとした。

・道徳に従って行動をするべきか?
・倫理に従って行動をするべきか?

まず有名な倫理問題を見て欲しい。
1967年にイギリス人の哲学者フィリッパ・フットによって考案されたという思考実験です。

倫理問題 (例題)
・トロリー問題1

画像1


図1:https://ja.wikipedia.org/wiki/トロッコ問題#/media/ファイル:Trolley_problem.png引用

路面電車が線路の上を暴走しています。 そのまま進めば、線路上にいる5人が死にます。 スイッチを切りかえてて、電車を別の線路に引き入れれば、 5人は助かりますが、別の線路上にいる1人が死にます。 私はスイッチを切りかえるべきでしょうか? 


・トロリー問題2
路面電車が線路の上を暴走しています。 そのまま進めば、線路上にいる5人が死にます。 目の前に1人の女性が何も知らずに立っています。 この女性を線路に突き落として電車を止めれば、 5人は助かりますが、女性は死にます。 私は太った人を突き落とすべきでしょうか?

絶対にありえない状況だけれど皆さんならどうしますか?

トロリー問題1の結果 (PhilPaper Surveys)
①切りかえる 68.2%
②切りかえない 7.6%
③それ以外 24.1%

トロリー問題2の結果(Time紙)
①突き落とす 15%
②突き落とさない 85%

この結果、違和感を覚える。
トロリー問題1では、5人を助けて1人を犠牲にする選択をする方が多かったにも関わらず、トロリー問題2では1人を助けて5人を犠牲にする選択をする方が多い。

これは道徳的な直感が上手に機能しない場合に
①状況の違いによって個人で差が出る
②判断主体の条件によって差が出る
と考えた。
このようなモラルジレンマが発生した時に、何が良くて何が悪いかの基準が「倫理」と考えた。

功利主義(J・Sミル)や義務論(カント)や二層理論(R.M.ヘア)等、規範倫理学の大御所たちを見ると道徳を倫理の土台にしているように受け取った。

「ハインツのジレンマ」はそれを判断するテストであると捉えている。https://www.r-gscefs.jp/wp-content/uploads/2017/06/コア・エシックスvol.13_08_【論文】佐藤伸彦.pdf

ハインツのジレンマ
ヨーロッパで、一人の女性が非常に重い病気、それも特殊なガンにかかり、今にも死にそうでした。彼女の命が助かるかもしれないと医者が考えている薬が一つだけありました。それは、同じ町の薬屋が最近発見したある種の放射性物質でした。その薬は作るのに大変なお金がかかりました。しかし薬屋は製造に要した費用の十倍の値段をつけていました。病人の夫のハインツはお金を借りるためにあらゆる知人をたずねて回りましたが、全部で半額しか集めることができませんでした。ハインツは薬屋に、自分の妻が死にそうだとわけを話し、値段を安くしてくれるか、それとも、支払いを延期してほしいと頼みました。しかし薬屋は「だめだね。この薬は私が発見したんだ。私はこれで金儲けをするんだ」と言うのでした。そのためハインツは絶望し、妻のために薬を盗もうとその薬屋に押し入りました。

ハインツはそうすべきであったか。またその理由は。
上のモラルジレンマへの回答は「賛成」or「反対」の二者択一で、問題はその理由・動機づけの構造にあるとし、コールバーグは道徳性の発達段階を定義したと理解している。

段階を簡単に紹介
1.慣習以前のレベル
第1段階:罰と服従への志向
第2段階:道具主義的相対主義への志向
2.慣習的レベル
第3段階:対人的同調性あるいは「よい子」への志向
第4段階:「法と秩序」の維持への志向
3.脱慣習的レベル
第5段階:社会契約尊法への志向
第6段階:普遍的な倫理的原理への志向

個人的にこれは文化バイアスが入っているので、あまり好きではないけれど、有名なので、紹介まで。

長々と記載したけれど、まとめれない。
道徳は「倫理的問題に気づく能力」「倫理的問題を明確にする能力」「倫理的問題に立ち向かう能力」を養う肥やしみたいなもんだと。
これが高いと幸福度も自ずと高くなるのではないかと。

倫理→大雑把に言うと秩序を保つために必要な決まりごと
道徳 → 大雑把に言うと倫理観を作るときの価値観

たくさん読み物を読んでみたけれど、自分で理解したのはこの程度。
だれか明確に違いを教えていただきたいです(・ω・`)

おわり


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