歴史の教科書
横浜市で教科書採択がありましたが、育鵬社自由社系が選ばれずに、ひとまずよかったですね。
私は私立の中学校に通いましたが、今にして思えばちょっと変わった教育をしている学校でした。教科書を使って授業をする先生のほうが少なくて、独自のプリントを使っている先生が多かった。英語に関しては自前の教科書を作ってしまうくらいで、それがかなり評価が高く、たくさんの他の学校にも採用されていました。
中学に入ってすぐ、歴史の授業の1回目、みんなは当然縄文時代か旧石器時代から始まるのかなあと教科書を手に待ち構えていたのですが、先生から新聞の切り抜きをコピーしたプリントが配られました。統一教会の高額献金や霊感商法を問題視する新聞記事でした。いまでこそ有名になった統一教会ですが、いまからウン十年前、さほど知られてない頃のことです。中学1年生はもちろん知りません。
先生は生徒たちに新聞記事を読ませ、説明を加えていきました。文鮮明という人物がいて、韓国の人であること。巨額の献金が、日本人から巻き上げられて、韓国に蓄えられていること。
中学1年生は、初めて知る事実に驚き、そして「文鮮明ゆるせない、ひどい」「日本人のお金が韓国に持っていかれてる」そんな思いを口にしていました。怒りに似た気持ちをもって、授業が終わりました。
次の週の歴史の授業、また先生は教科書を使いません。プリントを使って説明を始めました。関東大震災後の、井戸に毒を入れたというデマによってたくさんの朝鮮人が殺された話。第二次世界大戦の前、多くの朝鮮人が日本に連れてこられ、きつい労働に従事されられていた話。こちらも小学校の歴史では習わなかったような話です。「そんなことがあったんだ」「日本はひどいことしてきたんだな」みんながそんな感想を持ちました。
先生は問いかけました。文鮮明はどうして統一教会を作ったんだろうか?
みんな、少し気付き始めていました。「文鮮明は日本への恨みを持っていたんじゃないか。」「日本のほうがひどいことをしたからじゃないのか。」
先生は答えを言いませんでした。
少しモヤモヤした気持ちを抱えて、授業は終わりました。
先生はこういうスタイルの授業を、その後もたびたびやっていました。教科書は一切使わず。時系列も無視。
そのときはわかりませんでしたが、後になって、先生は、歴史というのは立場が違えば全く違って見えるのだということを伝えたかったのではないか、と思うようになりました。
もっと言うと、だからこそ、一つの立場からの見方を鵜呑みにしてそれを信じてしまうのではなく、いろんな立場からの見え方を知り、自分自身の頭で考えることが大切だ、と。
さすがに育鵬社が採択されるのは嫌ですが、中学生にとって、育鵬社という考え方があることを知るのは良いことではないかと思っています。
結局どの教科書が選ばれるにしても、それは数ある立場や考え方のうちのたった一つを子供に押し付けているという側面があることを、否定できません。
数ページ分だけでもいいから、憲法か近代史の一部だけでもいいから、各社の教科書を比べてみて、ここまでの違いがあるのだということをわかってもらう、そういう授業を中学生にしてもいいんじゃないかな、と思ったりします。
さらに言えば、これはどう転んでもできない、やらないとは思いますが、どの教科書を採択するかを中学生自身が考えることが、一番の勉強になるんじゃないかなあ、と。