はじめましてのご挨拶、長すぎるプロフ(5)
マネージャー見習い
最初に上司(当時のチーフマネージャー)に指導されたのが、車の運転の仕方でした。いわゆる運転手走りで、急発進、急停止、急ハンドルを切らないなど穏やかだけど、それなりに急ぎながらスムースに現場に向かう運転術です。最終的には、この後7年以上運転することとなるので、今でも運転はすごく滑らかなのはこの時に身に付いたスキルなのは確かです。
送迎車の運転以外では、荷物持ちや楽器のメンテナンスなどもありました。元々歌手からタレントになった方だったので定期的なライブやコンサートもあり、ギターの弦の張替えやチューニング(私自身も楽器演奏を趣味としてたのでこの辺りは楽にできたのは幸いでした)、など何でもこなしました。イベントの仕事で音響作業も手伝っていたのでその時の知識が大変役立ったのは言うまでもありません。
最初の3ヶ月は1日も休みが無かったのをよく覚えてます。3ヶ月後に全日の休みがあった翌日は出勤が辛かったの忘れられませんね、バックレて辞めようかとも思いましたね。
チーフマネへ
その後、様々な事情により、3年ほどでチーフマネージャーに昇格します。昇格と言っても、前任者がクビになり、下に新しい部下も入れてもらえず、ただ単にスライドして名ばかりのチーフとなり、仕事量は倍になったということです。いまこうやって記憶を辿りあらためて文章にしてみると、とても酷い条件の安月給で働いていた事に憤りを感じます。
なぜって、そこの事務所は社員3名の小さな会社でしたが、社長は当時トヨタのS2000やポルシェのボクスターに乗ってましたから…。
自分で言うのもどうかと思うのですが、そんな過酷な生活が4年ほど続きます。とにかく、1人で担当しているものですから、タレント本人からの連絡(これが1番重要)、制作会社からの伝達、諸々で24時間臨戦態勢になっており、例えば、明日のロケの変更があった場合やタレント本人からの飲みの誘いまで、いつ電話が鳴るのかわからないのです。
常に頭の中では明日用意する衣装や持ち物、小道具、衣装に関しての色指定、入り時間などの間違いや忘れ物がないかを気にする毎日だったのです。
まあ、そんなことをたった1人で何年もやり続けるとどうなるかと言いますと、当然ながら相当な疲労と健康被害が出てくるわけで、とうとう私も、ある8月の暑い日に精神を病み、倒れることとなります。
後年、当時の手帳を見たところ、離して見ると真っ黒に見えるほどのもの凄く小さな文字でびっしりと書き込みがあり、これは倒れるなと他人事のように思ったあの手帳はどこにいったのだろうか? 捨てちゃったのかなぁ…。
(6)に続く。