はじめましてのご挨拶、長すぎるプロフ(8)
真夜中の電話
ラーメン屋での仕事も2年が過ぎ、同僚や常連のお客さんとも仲良くなり、なかなか居心地の良い仕事となっていた頃、ある日仕事を終え地元で飲んでいた時にかつて仕えていたタレントさんから1本の電話が入ります。どうやら相当に酔っ払っているようではあるのだが、話していることはしっかりしているようです。
電話の内容は、ご子息が「もんじゃ焼き」のお店を始めたのだが、ご子息以外に飲食経験者がおらず、店の経営に加わって欲しいということだった。ラーメン屋にも世話になっているが、御大にはもっと世話になっている。多少の迷いはありましたが、その場で快諾して電話を切る。明日ラーメン屋に話をしないとなぁ、と思いながら…。
あまり話しやすい話題ではなかったのですが、その時の店長は私が社員ではなくレギュラーのバイト、契約社員のような立場でもあったため、頑張れよと気持ちよく送り出して頂けることになりました。ありがたい。
そして次の店では副店長の立場が決定していたので彼も一緒に喜んでくれた。本当に良い人。余談ではあるが、先日ラーメン屋の本店に伺ったら、今も元気で、見た目も当時と変わらない若さで働いていて嬉しかったですね。
もんじゃ
さて、ここからは東京の粉物の代表格(ちなみに最近知ったのですが、関西でも「粉物」という言葉は昔からはなかったようですね)もんじゃ焼き店での仕事となります。
東京の地域(発祥は城東地区)によってキャベツの切り方や、出汁を取る材料、焼き方の流儀が違うものでして、この店は浅草の流儀だったと思います。
キャベツは細かいザク切りみたいな、粗みじんのような切り方。出汁は鰹や鯖節、昆布などでしっかりとした出汁を取っていましたし、今や定番具材である明太子は北海道産タラコをお店で漬け込んで辛子明太子にしてました。なかなか手が凝っているものです。
ここで働き始めたのがたしか37歳くらいだったので時は2007年頃でしょうか。
過剰飲酒
働き始めてすぐに、30歳前後のご子息と意気投合、毎日、毎晩、仕事終わりの24時ころから飲み歩くことになります。これが後々トラブルの元になるとは知らずに…。
とにかく酒豪タレントの父親を持つだけあり、毎日飲めるだけ飲み、最終的には地元では飽き足らずに終電で新宿まで向かい、ゴールデン街などで朝まで飲むことも度々でした。しかし、楽しいことは長くは続かず、あまりにも激しくハチャメチャに飲むものだから、彼の母親、女将さんから咎められます。「あんたら毎晩そんなことしていたら、そのうち事件や事故を起こすよ、少しは大人しくしなさい」と。
それから2人で飲みに行くことをお互いに意識的に控える事となるのですが、酒自体をやめることなど思ってもいないので個別に飲むようになるわけです。
がしかし、これが良くなかった。
段々と、仕事も私生活でもコミュニケーションが取れなくなって、ささいな事でも言い争いやら、揉め事となったのです。
解雇
状況を見かねた女将から、ある日突然、開店前に私のクビが言い渡されます。人生において最初で最後(たぶん)の解雇です。
時は2010年。ちょうど東日本大震災より1年ほど前の3月でした。
またもや長くなってしまったので本日はここまで!!
(8)に続きます!! 次は、またまたラーメンよ!!