懐かしのビリヤードブーム。
高校生の頃に映画「ハスラー2」をきっかけにビリヤードの1大ブームが起きた。私の実家がある、しがない街にもプールバーなるものが出現した。その後6フロアほど全てがビリヤード場というビルまで建った。
意外と高校生のお小遣いでも遊べる金額だったとは思うが、毎日通えるほどではなかったと記憶している。しかし、現在とは違い遊び自体が少なかった。何せカラオケBOXが流行る前のことだ。
頻繁に通っていたのは、駅前のパチンコ屋が経営するプールバーで本当にブームの初期頃に出来たお店だったもので、遊べれば良しではなく、それなりにBARの内装に凝っており少し大人びたお店でした。
パチンコ店の2階と3階で、2階はバーカウンターと花台(プロとか上手い人しか突けない店で1番状態が良いビリヤード台のこと)が2台。3階には一般客用のポケットが数台と四つ玉の台が1台置かれてました。
流行りはポケットでした。皆さんがビリヤードと聞いて思い描く四隅と長辺の真ん中に玉を落とす穴があるやつです。映画の影響でポケットがメインで、難しい「四つ玉」は通好みのゲームとなっていました。
ポケット台には大きく2種類あり、落とした玉が台下のレールを通って一箇所に集まる「ボールリターン型」と、ポケットごとに袋状の網などが付いた「ポケットストップ型」があるのですが、この店は渋いポケットストップ」型でした。
1ゲームごとに玉を回収しなければいけなく少々面倒くさいのですが、静かな店内でプレイしてると先にポケットに入ってる玉に落とした玉が当たる「カチッ」という小さな音が堪らなく好きでした。
店員さんは19〜20歳ぐらいの女性とその少し上の男性2名で、男性2人はセミプロのハスラーだったような気がします。とにかく上手かった。
女性は小泉今日子さん似で大人っぽく真っ赤なルージュが似合う素敵で少し悪そうな姐御でした。
内装からして、高校生などは臆して入らないような店だったので、通ううちにガキが珍しかったのか、徐々にお店の人達と仲良くなり可愛がられるこことに。昔はわりとよくあった話ですが、少し仕事を手伝う代わりに空いてる時間に台を無料で貸してくれました。例えば喫茶店だったら皿洗いしてコーヒーを1杯飲ませてもらうみたいな。
手伝う仕事は、洗濯が終わったおしぼりをクルクルと巻くことことです。その当時はまだ、お店ごとにおしぼりを洗濯して出していた店がまだありました。その後おしぼり業者が浸透するのですが、それまでは店の人が1つ1つ巻いていたのですよね。あまり衛生的ではなかったかもしれませんが、これも昭和ならではの光景です。
学校が終わると急いで電車に乗り、地元の玉突き屋に寄って、おしぼりを巻いて、終わったら玉を突く。楽しい時間でした。軽食などもあったのですが、さすがにそこまでお金に余裕がなく、たまにパチンコで勝った時などはジュースやペヤングを頼んだりしてました。
ここでたっぷり練習が出来たことで、後の腕前とビリヤードに関する事に色々な影響がありました。花台ではなくても台の状態は良く、おしぼり以外にもラシャの水拭きやキューのタップ交換などメンテの仕方もここで教わったのです。
ブームは3〜4年続いたでしょうか。高校卒業後に専門学校に1年、その後バイトから店長を任されるカラオケ屋にもビリヤード台は置いてあり、街にプールバーなどもまだまだあったかと思います。
その頃一緒に働いていた友人とプロテストでも遊びで受けてみる? なんて話すくらいには上手くなってました。
プロテストは「ボウラードゲーム」というボーリングと同じルールでポケット台でプレイします。すなわち、10個の的玉をピンに見立ててフットポイント(ラックの1番前の玉を合わせる印)にセットし、ヘッドポイントのライン内からブレイクショットを打ちます。そこで1球も落ちなければガーター、落ちれば次の好きな的球をポケットに落とし、ミスをするまで続けます。1ミスしたら次からはスペア狙いとなるわけです。ノーミスで全ての玉を落とせばストライク。
スコアの付け方も同じで10フレでスペア後にもう1ミスまで突けるのも一緒。このルールだと正確にプレイヤーの実力が数値化されるので練習にも最適、プロテストにも採用されてるわけです。
あー、たまには玉でも突きにいくかなぁ、玉だけに!!(笑)