ラジオ局の思い出。
28歳から35歳まで7年間、某タレントさんのマネージャーをしていたことがある。元々はイベント制作の仕事をフリーランスで請け負っていたのですが、その時の繋がりで人が足りてないのでマネージャー見習いをしないかと打診されたのがきっかけだ。
しかし、19歳から水商売で昼夜逆転した生活だった時からTVを観る習慣がなくなり、芸能界のこと何て、てんでわからないし興味も失っていたのでそんな人間が芸能の仕事なんか可能なのかひどく不安でした。何回もお断りしたのですが押し切られる形で仕事をすることになったのです。
バラエティ番組や、旅物のロケ番組、ドキュメンタリー、ドラマに映画、色々な現場に行かせてもらいました。
中でもAMラジオの昼前に放送される、月〜木曜日の帯番組は足掛け4年続き、マネージャー時代の半分以上の期間を同じ放送局に通いました。
その放送局は関東のAM放送局では弱小であり、出力も弱かったのか都内でも中々聴取が難しい場合がある局だったのが懐かしいです。今みたいにインターネットで聴けない時代ですからね。
通常の放送局では1番組にプロデューサー、ディレクター、技術(ミキサー担当)、アシスタントディレクター、放送作家などで放送をしていきます。ADは2〜3人いる感じなのですが、弱小放送局だったもので1人しか付きません。
放送中になると、本日のお題となるFAXテーマを発表し、リスナーから面白エピソードを募集します。当時はFAXやハガキで受け付けてましたので、それを捌いて、なおかつ面白いと思われるものを選び出さなければいけません。とてもAD1名では手が足りないのです。
必然的に私達マネージャーも手伝うことになりました。生放送なので、日によってFAXの量も変わったりします。そして、どうせ放送中は待機しているようなものなので結構楽しみながらお手伝いをしていました。
放送は午前10時〜11時50分、スタジオに入るのが9時です。放送開始の最初の頃は夜更かしもせず真面目にやっていましたが、半年もして慣れてくると、タレント本人に誘われ朝4時頃まで飲んでから数時間だけ寝て9時にスタジオを目指す事が多くなりました。
2人とも完全に二日酔いではなくまだ酔っ払っているのです。そんな日は、本人はテンションがバカみたいに高く、私はとにかく放送終了までには酒を抜くことに努力します。弱小放送局だけに雰囲気はアットホームで受付嬢とかもフレンドリーでした。私の酔い加減を見かねてよくインスタント味噌汁を作ってくれたものです。可愛い受付嬢との良い(酔い?)思い出です。
しかし、AMラジオのリスナーというものは凄いもので、本当にマニアックです。AMラジオの聴取者は自営業や職人さんが比較的多いと思います。現場で仕事をしている職人の常連リスナーなんかは、現場近所のコンビニからFAX投稿をするのですから頭が下がります。
そうそう、音楽好きの私として嬉しかったのは、たまに放送に使う音源を用意する手伝いもあって、レコード室に入る時はドキドキしましたね。なんせ物凄い量のレコードがあるのですから!!
この放送は冒頭でも書きましたが、丸4年間続きました。もっと続くと思っていたのですが、タレントさんがオフ会や飲み会で1部のリスナーさんと仲良くなり過ぎたのが終了のきっかけになったと私は思っています。恐らく身内の人気は高かったのですが、全体的な聴取率は後期は低かったのだと思います。