R.I.P. ANTON YELCHIN
2016.10.21に日本で初公開された映画「スター・トレックBEYOND」エンドクレジットの冒頭には悲しい文字が刻まれていました。
IN LOVING MEMORY OF LEONARD NIMOY for ANTON
哀悼の意を表す音楽で満たされたエンドクレジットは二人がどれだけ映画人に愛されていたかを物語っています。
アントン・イェルチンは27歳という若さで2016年6月19日に不慮の事故で亡くなりました。
彼の魅力は大きな瞳にあります。
彼の瞳はいつも私に訴えかけて来ます。慈愛に満ちた瞳はどんな役を演じても隠しようがありません。彼の本質は天使そのものだと思います。その特別な存在は亡くなった後も色褪せることなく残された映像の中で生き続けています。ANTONファンにとってはただそれだけが唯一の救いです。
彼の存在を知ったのはスティーブン・キング原作で名優アンソニー・ホプキンス主演の映画「アトランティスのこころ」でした。アンソニーはスコット・ヒックス監督との対談の中でボビー・ガーフィールド役を演じたアントンを次のように語っています。
アントンはアンソニー・ホプキンスが予言した通りこの映画のあと役者として数多くの映画に出演しました。その一部を紹介します。
『アトランティスのこころ』ではボビーとキャロルのキスシーンが強く印象に残っています。それはアンソニー演じるテッドがボビーに発した「君の人生のどのキスもそれには到底及ばない」の台詞にぴったりの最もピュアで美しいキスシーンだったからです。
『最高のともだち』では彼のイケメンぶりが際立っていて『アトランティスのこころ』を見返したくらいです。嗚呼こんな風に美しく育つんだと感心しながら映画を鑑賞しました。恋心を抱く相手がともだち役のロビン・ウィリアムズの娘さんでこの三角関係は虚構と現実が混在していておもしろみがありましたが、映画そのものは13歳で独り立ちしなければならない過酷な運命を描いており鑑賞する度に辛くなります。
『チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室』では舞台俳優としてもやっていける卓越したアントンの演技に魅せられます。自分の居場所が見つからずにもがき苦しんでいる宙ぶらりんの高校生は大人の心配の種でつい干渉したくなりますが、それは余計なお世話です。宙ぶらりんなので頼りなく見えますが高校生は自分で自分の人生を切り開く力を既に有しているからです。そのことをチャーリーが始めた男子トイレ相談室が物語っています。相談に乗るチャーリーの姿はアントンそのもので彼の柔らかな優しさがじんわりと沁みてきます。
「アトランティスのこころ」でボビーの母親役だったホープ・デイヴィスは19歳の魅力的なアントンと7年ぶりに再共演しています。しかもチャーリーの母親役として。
『スター・トレック』には操舵士のチェコフ役として3作品に出演しています。
第1作目は論理的な作戦を提案して成功させたり難易度の高い転送を成功させたりして若干17歳の若者が大活躍します。演ずるアントンは20歳です。
第2作目はキャプテンのカークに解任されたスコッティの代役としてチーフ技師に任命され活躍が期待されましたが出番が少なくほとんど活躍の場がありませんでした。多分『オッド・トーマス』の撮影と重なってしまったからだと思います。
第3作目の「BEYOND」ではキャプテンのカークと二人だけで行動する場面があり追手から逃れるド迫力のシーンはANTONファンにとっては堪らない贈り物です。3作品の中でNo.1はどれだと訊かれたら迷わず第3作目を押します。
『それでも、愛してる』では主役のメル・ギブソンの名脇役として存在感を遺憾なく発揮しています。この映画の原題は「THE BEAVER」です。メル・ギブソン演ずるウォルターは父親から譲り受けた玩具会社を経営し4人家族に恵まれて幸せに暮らしていました。ところがうつ病を発症して会社も家庭もうまく行かなくなりました。特にアントン演ずる息子のポーターには毛嫌いされました。そしてそれはハンドパペットの「THE BEAVER」の出現によって更に強まりました。ウォルターは左腕にビバーのパペットをいつも身に付け子どもがお人形とおしゃべりするようにビバーと会話しビバーの虜になることで嘗てのウォルターを消し去ることに成功します。ウォルターは会社のCEOを辞任しパペットのビバーを会社のCEOにしました。これはウォルターが二重人格になったということでしょう。メル・ギブソンの一人二役の演技は見事です。ビバーから発せられる言葉は力強く自信に満ち溢れていて会社の業績も飛躍的に伸びポーターを除いて家族にも受け入れられました。しかしそれは長続きしませんでした。何故なら家族はビバーではなく嘗てのウォルターを愛していたからです。社会的にも成功したビバーはウォルターを家族に返さないとウォルターに圧力を掛けますが家族を失いたくない気持ちが勝ったウォルターはある行動を取ることにしました。それはビバーの棺桶を工作し左腕を切断することでした。
ジョディ・フォスター演ずるウォルターの妻メレディスはビバーてはなくウォルター自身から電話がかかってきたことから異変を感じポーターにウォルターの様子を見てくるように頼みます。ポーターが見たのは片腕のない血まみれのウォルターでした。発見が早かったおかげで、一命を取り止めることができました。このウォルターの取った行動で家族の絆を取り戻すことが出来ました。その象徴的なシーンはアントン演ずるポーターとウォルターのハグです。こういうシーンこそアントンの独壇場で、本当に絵になります。
ポーターがハグに至る過程はあるスピーチから始まります。それはポーターの恋人に代筆を頼まれた卒業式での総代のスピーチでした。
「卒業生諸君 未来の詩人や未来のアインシュタイン 私はあなたたちに警告します。親も先生も医者も私たちをだましている。彼らのウソは同じこの6文字です。『全部 解決する』…突然 不意を突くように不幸が襲ってきたら?襲ってきたら…何て暗いスピーチだと皆さん思ってるでしょうね。同感ですが書いたのは別人です。私はこのウソが本当になるのを待ち続け-今回お金を払いこの真実を教わった。私の問題は何も解決していない。失われたものは戻らないのが真実だから。私が失った最愛の人 今日も来てほしかった。兄は戻ってきません。私はどうすれば?あのウソを信じる以外に方法はありますか?私は信じています。ここにいる人々の中に-あなたを助け起こし許してくれる人がいると-あなたに耐え導いてくれて-愛してくれる人が『全部解決する』はウソだけど これは本当です。『皆 独りじゃない』」
このスピーチはポーターに向けられたものでした。
ポーターはウォルターに抱きついてパパと呼びかけます。二人がきつく抱き合って涙を流すその姿をカメラはズームアウトします。そのシーンの先には病室に入るのを止めたメレディスの姿がありました。
『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』では主役のオッド・トーマスを演じています。オッドは「シックス・センス」の少年コールと違って幽霊の他に死を嗅ぎ付ける怪物ボダッハも見えます。ボダッハが一カ所に群れる光景を目の当たりにしたオッドは大量殺りくが起きる前触れと察知しそのテロを未然に防ごうとしますが、ボダッハに裏をかかれてテロの阻止には失敗してしまいます。テロ勃発後、彼は勇猛果敢にテロリストと闘いテロの被害を最小限に食い止めることができましたが爆破物処理で大怪我を負い入院生活を余儀なくされました。でもオッドが横たわるベッドの傍らには「生涯を共にすると定められている恋人」ストーミー・ルウェリンがいて逢瀬を重ねることが出来ました。このストーミー役のアディソン・ティムリンがとてもチャーミングで素晴らしい!ラストで明かされるお別れのキスシーンはピュアで美しく、あのボビーとキャロルのキスを彷彿とさせます。
ANTONが演じたオッドは「シックス・センス」の少年コールと同じく死者の願いを叶えて成仏させますが、その時に告げる台詞に感慨深いものがあります。それはその台詞がANTON自身に向けられていたからです。
「心配ないよ。君がこれから行くのは魂の家で優しさと驚きがあふれている所だ。かわいそうに。短い人生だったね。」
『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』は「オッド・トーマス」シリーズの第1作で続編も計画されていましたが、スポンサーが出資をしぶり訴訟に発展したため本国のアメリカでは未だに公開されていません。映画公開されたのは日本だけです(ハンガリーではDVDが販売されているようです)。この映画はホラー×サスペンス×アクションでANTONの新境地を開くシリーズ物の映画になるはずでした。それは彼の死と共に立ち消えとなり残念と言うほかありません。
『グリーンルーム』では彼のスキンヘッド姿を見ることが出来ます。何故スキンヘッドにならなくてはならなかったのでしょうか?それは殺害の危機から自分を守るためです。バンド仲間の3人は殺され生き残った自分と組織から離脱した女の二人だけでスキンヘッドの殺し屋達を倒しグリーンルームから脱出しました。仲間を殺された怒りから殺害を命じた組織のボスの居所を突き止め息の根を止めます。突然降りかかって来た理不尽な出来事にどう対応するか?アントン演ずるパットの冷静で緻密な行動には派手なアクション映画にはない魅力があります。新しいスタイルの映画とそれとマッチするアントンに出会えて本当に良かったと思いました。
2016年公開の映画「ポルト」は彼の死を予見していたかのような作風でエンドクレジットの「アントンに捧ぐ」の刻印は悲しすぎます。
2017年公開の「サラブレッド」が遺作の映画となりますが、最後に『君が生きた証』を持って来たのはアントンが俳優であると共に優れたミュージシャンだったからです。演技が出来て音楽のパフォーマンスも出来るこれほどアントンに相応しい映画は他にないでしょう。アントンが生きた証としてこの映画を捉えたい衝動に駆られます。
勿論、この映画のテーマは他にあります。誰もやりたがらない崖っぷちの映画です。だから敢えて制作する意義があったと思います。綱渡りのような絶妙なバランスが求められるが故に脚本は熟考に熟考を重ねてよく練られています。
アントン・イェルチン演じるクエンティンを失望させることで主人公は誰の手も借りずに一人で自分の息子と一生向き合わなければならないことを悟ります。息子の作った歌を届けることが彼の使命になるのです。誰に何と言われようとも俺の息子なのですから。
主人公のサムを演じるビリー・クラダップとアントン・イェルチンは吹き替えなしで演奏しています。ギターの名手であるビリーと自分のバンドを持っていたアントンの演奏能力は抜群で全曲聞き応えがありますが、弾き語りで歌うビリーのラストの曲は息子を思う親心が切なくて複雑な思いになります。
大きな瞳と整った眉毛で演技する彼のスタイルは大人になっても何ら変わることはありませんでした。少しかすれ気味の声も子役時代から引き継がれていてこれが天賦の才というものなのでしょう。つまり彼は子役時代からすでに名優だったのです。
これまでの数々の名演に惜しみない拍手を心から送ります。
安らかに アントン・イェルチン