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ジャージのズボンと僕

僕は今でもよくジャージを履く。スポーツをするときにも着用するが、大体部屋着だし特にこだわりはない。しかしなぜかわからないが、ズボンは必ず黒いものを買ってしまう。上は何色でもいいのになぜだろうと思い返してみたら、僕なりに黒いジャージに思い入れがあることに気が付いた。

中学生の頃スポーツ系の部活動に入っていて、部活用のジャージを持っていた。ミズノのジャージだったと思う。過酷な練習というほどでもなかったが、それでも激しく動き回り転んだり膝を擦ったりしていると、ジャージの膝のところに穴が開いてしまった。

穴が開いたと言っても完全に貫通したわけではない。ジャージは何枚かの層になっていて、いちばん上が破れて二枚目の層が見えているような状態だった。黒いジャージの穴から二枚目の白い生地が見えているため、とても目立っていた。カッコ悪い。

母がそれに気づく。「あら、穴が開いてるがねー。」と言って僕のジャージのズボンを引き取った。僕は「あ、縫ってくれるのかな。ありがてぇ」と思ってそのまま母に渡しておいた。


翌日、僕はたたんであったジャージのズボンをカバンに入れた。出かけ際に

「ジャージ、ぬっといてあげたからね」

と声をかけてくれた。いつになく、すごくドヤ顔だった。僕は穴が開いていたことも忘れていたので、「おお、ありがとう!」と言って部活に向かった。


でも母はジャージを縫ってくれていなかった。

なんと二枚目の白い生地を黒いペンで塗りつぶしていたのだった。


母は嘘はついていない。正しい変換は「ジャージ、塗っといてあげたからね」だったのである。これには僕も学校で笑ってしまった。母も母で別に受けを狙ってやったわけではないようだ。この人は根っから天然なのである。

ハロー警報という変換ミスのことを書いていて思い出した。母とのコミュニケーションでもかつてそういう変換ミスがあったのだ。僕は今も黒いジャージを履くとその出来事を思い出すし、あの「塗っといてあげたからね」と言った時の母のドヤ顔も思い出してしまう。

母の天然エピソードは数えきれないほどあるので、このコラムにもまた出てくるかもしれない。


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