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【ジ・アドベンチャー・オブ・ロスト・ウッズ】



 薄暗い森の中。木々のさざめきに混ざり、枯れ葉や湿った土を踏む無数の足音と、そしてキイ……キイ……と木材が擦れるような不可思議な音が林間に響く。人ならざる者共が闊歩する音が。

 スモトリの胴回りの倍はあろうかという太い木、その根本に空いた穴の中でポーチュラカは息を潜めていた。全身を無数の傷と泥に塗れさせ、左腕は血を滴らせながら力なく垂れ下がる。歯を食いしばりながら大きく裂けた左肩の傷口に縫い針を通し、そしてバイオ縫合糸を力任せに引いて傷口を塞いだ。

 無数の木の軋む音が、足音が次第に周囲へと集まってきている。奴らは見つけた痕跡を何らかの理屈で相互情報共有しているのだろう。もはや見つかるのも時間の問題。ここに潜んでいても時間稼ぎにもならず己の頚を締めるだけか。肩の傷口にバンテリンを塗り、無数の錠剤を纏めて飲み込むと、ポーチュラカは意を決し穴蔵から這い出した。

 木々の影に身を隠し、辺りを窺いながら静かに進む。キイ……キイ……キイ……キイ……。木材の軋む音が無数に響き、木々の間からその音の主の姿が見えた。それは等身大の木製マネキン、あるいは人間大の操り人形とでも言うべきであろうか。木で造られた人が、ロボットダンスめいて無機質に歩みを進める。

 その頭部に凹凸は無く、目も耳も鼻もあらゆる感覚器官が存在しないように見えるが、それでも奴は……奴ら・・は確かにこちらを知覚している。遠くに見える影に気取られぬようポーチュラカは足音を殺しながら注意深く通り抜け、途中で踵を返し再び木の裏へと身を隠した。彼が進もうとした先にも、また別の影。

 奴ら──仮にカラテ木人兵とでも呼称しよう──は複数体存在している。それも五体や十体、百体や千体などという規模ではない。弱小国家コミュニティならば優に超すほどの数のカラテ木人兵がこの森の中を警邏し、抜け出すことすらも困難な包囲網を厳重に形成しているのだ。

 救援要請や陳情をしようにも電子機器の類いはマトモに動かず、そもそもコウライヤがぴるす1人の救出のために増援を送るなどそうそうあるまい。たとえポーチュラカのような最上級ニンジャぴるすであろうとも、このような異常危険地帯ならば、決して。

 ……その対応に文句などはない。正しいリスクヘッジだ。ポーチュラカは全てを承知の上で任務を受け、覚悟をしてこの危険地帯へと足を踏み入れた。己の命を懸ける必要があるほどに重要かつ急を要する任務だと判断したのだ。

 折れたデンショウの柄、その修復材料を確保するこのミッションは。


【ジ・アドベンチャー・オブ・ロスト・ウッズ】




1

 ……時はしばし遡り、森へと踏み入るわずか前。

 ポーチュラカは鬱蒼とした森を静かに見上げる。フランス南西部に広がる広大な森林地帯、ランドの森。材木用途や海の浸食を防ぐために松が植えられた、人の手が行き届いた植林地。……かつては確かにそうであったが、今は違う。

 その領域は広がり、有数のワイン産地であったボルドーは既に森の内に飲まれた。そして森を構成する植生も、外縁部周辺にこそ松は残るが大半は別の広葉樹が占めている。この広葉樹はトネリコに類すると同定されたものの、未知の樹木である。『……恐らくは、その森に住みついたニンジャの影響かと思われますけお』伝令黒子ニンジャぴるす、プロンプターの言葉がリフレインする。

『このトネリコ……いえトネリコに類する材木こそが我々の調査した中で最もデンショウに相応しきものにございますけお。トネリコといえば高い弾性と強度を誇る由緒正しき槍の材木。この木はそのような一般的トネリコをもあらゆる点で凌いでおります』

『この木……ピルトネリコの中でも最も優れた一本から取れた材が必要なのでございます。ランドの森の最奥に天を衝き生える、最も太く高きピルトネリコの大枝。それを手に入れる事が此度の貴方様に課せられた任務にございますけお。……ただしどうか御注意を。その木生えるは、恐らくは彼のニンジャの根城』

 彼のニンジャ、その名を『ピノキオ・ニンジャ』。ある時いずこからかこのランドの森に現れ、ピルトネリコを繁茂させこの地の植生を大きく乱れさせた原因。そして現在におけるこの森の実質的な支配者である。

 かつて近隣国家やメガコーポによる排除作戦が数度行われたものの、彼が産み出し使役する無数のカラテ木人兵により攻撃部隊は壊滅。多大な代償に釣り合うほどの利が見込めないことや領域に踏み入りさえしなければ一切の害を与えず干渉もしてこないことから、その存在は黙認され放置されることとなった。

 そんな危険な森へと彼はこれから潜入しなければならない。ポーチュラカは息を整え、森の中へと踏み込もうと一歩踏み出し、「嗚呼……我々を待ち受けるは絶望の森……希望の光届かぬ暗黒の淵……この最果てで私は命を落とすこととなるんですけお……」「……」悲愴溢れる声に顔をしかめた。

 厳かな字体で「喪中」と書かれた腕章を付けた、黒ニンジャスーツのぴるす。彼の名はペシミスト。理由なき絶望を常に抱えるコウライヤのニュービーニンジャぴるすである。「初任務が斯様なものとは……コウライヤは、否、神はやはり私を愛してはいないんですけお……この世に在るは絶望のみ……」(……確かに、良くてステゴマといったところか)声に出さず心の中で呟く。

「……行くんですけお。ここで歓談している暇などない」小さくため息を吐きながら、ポーチュラカはランドの森へと足を踏み入れる。「ここから先は隠密重点だ。静かにしていてくだち」「絶望に満ちた生は絶望に満ちた死でのみ終わる……その時が来たんですけお……」ペシミストの絶望節は熱を持ち始めていた。

「嗚呼、嗚呼……!深き森の中、誰に看取られることもなく私は死ぬ……!そして世界は私の死に気付きもしないまま回ってゆくんですけお……!私の存在など意味が無かったと嘲笑……」「……おい」ポーチュラカは胸ぐらを掴み言葉を遮った。「話を聞いていなかったのか?『黙れ』と言ったんですけお」

「俺に与えられた任務は敵と戦うことでもバカ騒ぎしてピノキオ・ニンジャに見つかることでも、ましてやお前の御守りでもないんですけお。どうしても騒ぎたいのなら今すぐ絶望の淵とやらよりも先に肥溜めに蹴り込んでその口を塞いでやる。……いいな?」「わ……分かりましたけお……」

 胸ぐらから手を離し、踵を返し再び森の深奥を目指し歩き出した。恫喝が効いたのかペシミストは絶望節を止め、静かに追従している。……これで良い。役立たずならまだしも足手まといだけは勘弁だ。二人は息を殺しながら森を進む。次第に周囲は白く霞がかかり始めた。

(霧……情報通りか)……ランドの森の異常は植生に留まらない。方向感覚を奪う濃霧が常に、奥に進むほどより濃く森を包み込んでおり……挙げ句に電波や方位磁針、電子機器をも乱すときている。調査に向かった黒子ニンジャぴるす達からも複数の未帰還者が出ている、正しく迷いの森だ。

 ポーチュラカは腰のポーチから拳大の機器が付いた杭を取り出し、地面に突き刺した。「あの……それは?」ペシミストが囁くようにおずおずと尋ねる。……怯えて盲従するものかと思ったが、案外根性があるのか、図太いのか。「……発信器だ。最低限の性能しかないが、代わりに〈霧〉内でも機能するんですけお。……下手に扱うと爆発するがな」

「これを定期的に設置しルートを記録する。これが我々の辿るべきアリアドネの糸なんですけお。受信端末を紛失するなよ」ポーチュラカは任務前に渡された携帯端末を静かにノックした。ペシミストは頷き、己の胸ポケットを確かめる。

「……丁度良いから言っておくんですけお。俺はお前に何があろうが任務を優先する。俺に何かあった時は当然お前もそうしろ」「りょ……了解ですけお……嗚呼……ますます気が重く、お先は暗く……」ペシミストは絶望節を吐きかけ、慌てて口を塞いだ。「話は終わりだ。行くんですけお」


◆◆◆


 ……彼らが深く警戒しながら静かにゆっくりと歩み続け、およそ10時間ほど。

 意外にも何のトラブルが起きることもなく、驚くほどにあっさりと彼らは森の中央、ピルトネリコ巨木の付近へとたどり着いていた。「ここまで順調だと……逆にあまりにも不穏なんですけお……」「……流石に同感だな」ペシミストの呟きにポーチュラカは同意した。

(説明ではピノキオ・ニンジャの眷属が跋扈する魔境、そんな印象だったが……)それにしてはあまりにも静かすぎる。「皆で旅行にでも出かけたか?」「……え?」ペシミストが目をぱちくりさせた。「ジョークだ。……何にせよ、我々は行かねばならないんですけお」

 木々の間を抜け、茂みをかき分け、頭上に高くそびえる巨樹へと近付いてゆく。その巨大さ故に、いくら歩いても永遠に近付けないような錯覚すら感じながらも歩き続けると、やがて木々のない開けた空間が現れた。

 ピルトネリコ巨樹の周囲一帯は樹冠が開かれ、濃霧の僅かな隙間から日光が射し込んでいた。そして大地にはピルトネリコの若木が、等間隔に生えている。……明らかに何者かの管理下にある環境だが、やはり何の姿も気配もない。(これはどう考えても……)

 ポーチュラカは顎に手を当て僅かに思案しながらも、やがて茂みから抜け出した。「い……行くんですけお……?これはあからさまに……」「罠、だろうな」あっさりと言い放つ。「しかし、追い払うのでなく招き入れてくれるというのならば寧ろ好都合ではあるんですけお」

「我々の最優先事項は迅速な任務達成」ポーチュラカはペシミストの目を見る。「任務に支障をきたす罠は避けるなり解くなりせねばなるまい。……だが、犠牲を出してでも最短突破できるのならば飛び込む以外に無いんですけお」ペシミストは息を飲んだ。「……第一、この罠を避ける方法などあるまい」

「……行くんですけお。目的地はすぐそこだ」「けっ……けお……!」ペシミストも慌てて茂みを抜けポーチュラカを追う。鬱蒼とした森で感じていた先の見通せぬ不安とまた違う、身を隠す物のない……頼りのない不安感に襲われながら若木の間を静かに駆け、巨樹の根元へ。

「近くで見ると……想像を遥かに超えた大きさなんですけお」ペシミストは上を見上げ、半ば呆然と呟く。ぴるすが何十人集まればこの幹を全て囲えるだろうか。そんな下らぬ疑問が浮かぶほどの巨樹が目の前に鎮座していた。

「落ちるぞ、気を付けるんですけお」頭上からポーチュラカの声が響きピルトネリコの枝が落下してくる。……枝、と言ってもそこらの木の幹と大差ない。「ケオーッ……!」ペシミストは全身に力を込め、その重量をどうにか受け止めた。「よし、あとは持ち帰るだけだが……」


 キイ……キイ……キイ……キイ……。


 ……不意に、木製ドアが軋むような、チェストの抽斗が擦れるような、木材同士が摺れる音が響いた。……それも無数に、辺り一帯から。「こ……これは……!?」枝を抱えるペシミストが戦く。「……やはりお出ましなんですけお」

 何処から現れたのか、いつの間にか無数の人影がポーチュラカ達を遠巻きに取り囲んでいた。……いや、違う。人影ではない。一糸纏わぬその体は肉ではなく木材によって形成され、よく磨かれたつややかな表面には見事な木目が浮かんでいる。「……これがピノキオ・ニンジャの兵隊か」

 凹凸の一切ない楕円体の頭部が、存在しない顔を一斉に上げた。


2

「……なるほどな」ポーチュラカは一人頷く。「な……何がなんですけお……!?」ペシミストは不安そうに震えた。「そこを見るんですけお。ああ、そこの若木の根元だ。……何か生えているだろう」ポーチュラカの指差す先、若木の脇から生えるもの……それは。「人の……手……?」

「あの袖から見るに未帰還の黒子ニンジャぴるすの誰か。恐らくは他の若木の下にも誰か埋まっているんですけお。……奴ら、我々を有機肥料にでもしたいのだろうよ。ピルトネリコを絶やさず生産し続けるためのな」「けおおお……」ペシミストが絶望感に悲愴な声を出した。

「まあいい……予定通り事を進めるぞ、ペシミスト=サン。気球の設営を始めてくだち」ポーチュラカはカラテ木人兵を睨み、カラテを構える。「こ……この中でなんですけお……!?まずはここを切り抜けて安全な場所で……」「丸太を抱えこの数を突っ切る方が無理なんですけお。それに安全な場所などこの森にはあるまい。いいからやれ」「そ……そんな……!」

「ケオーッ!」ポーチュラカは跳び、先頭のカラテ木人兵を蹴り飛ばす!『グワーッ!』カラテ木人兵は超常的な悲鳴を上げ、大地を転がった。「発声器官があるんですけお?……奇怪極まれり、だな。ケオーッ!」着地したポーチュラカは電撃的に駆け、二度目の跳び蹴りを繰り出した。『グワーッ!』

『ケオーッ!』「ケオーッ!」カラテ木人兵の跳び膝蹴りをポーチュラカは地面すれすれに身を沈め回避!「ケオーッ!」そのまま流れるように回し蹴りを繰り出した!それはメイアルーア・ジ・コンパッソ!『グワーッ!』『グワーッ!』『グワーッ!』周囲のカラテ木人兵が一斉に薙ぎ払われる!

「ケオーッ!」『グワーッ!』ペシミストへとカラテ木人兵を寄せぬよう多対一のカラテを続けながらポーチュラカは思索する。一瞥するとペシミストは気球のゴンドラ部へとピルトネリコの太枝を括り付けていた。「ククーッ……!終わりだ……!もうオシマイなんですけおーッ!」泣き喚きながらも準備はほぼ終わり、後は点火し浮上離脱するのみか。

(こいつら、そこらのニンジャぴるすよりよっぽどカラテはあるし頑丈だが……動きは緩慢で、何より意思がない)カラテ木人兵を投げ飛ばしながら考える。(マニュアル通り画一的に動くだけの敵……時間稼ぎだけならばこの数相手でもそう難しくはないんですけお)

 最大の懸念材料はピノキオ・ニンジャ当人の動向。しかし、イクサが始まって尚現れる様子も気配もない。(意図が読めぬのが恐ろしいが……現れないのならそれに越したことはないんですけお)横目で見るとペシミストは点火作業へと移っている。霧の影響か手こずっているようだが、やがてバーナーが炎を吹く音が響き渡った。

 ……その瞬間。全てのカラテ木人兵がペシミストを、気球を一斉に見た。

「え……?」ペシミストは泣きながら、呆然と周りを見渡した。「え?」「これは……逃がさんつもりか!」『『『『ケオーッ!』』』』カラテ木人兵がペシミスト目掛け一斉に走り出す!その動きはこれまでの緩慢さから一転し素早い!「……これが本気ということか!ケオーッ!」ポーチュラカは手近なカラテ木人兵を他のカラテ木人兵へと投げつける!『『『グワーッ!』』』

「ケオーッ!」ポーチュラカは高く跳躍しながらスリケンを複数投擲!『『『グワーッ!』』』膝関節部を破壊されたカラテ木人兵の先頭集団が転倒、後続もその体に躓き転んだ!『『『ケオーッ!』』』しかし、数体がポーチュラカの横を抜けてペシミストへと迫る!

「ケオーッ!」振り返りながら再度スリケン投擲!『『『グワーッ!』』』膝裏を破壊されたカラテ木人兵が転倒!『『ケオーッ!』』それでも全ては倒しきれぬ!ポーチュラカは僅かに逡巡し、迫りつつある第二波、第三波への対応を優先した!「自分でどうにか凌ぐんですけお!」「そっ……そんな!」

「ケオーッ!」ポーチュラカはスリケンを放ち、先ほどと同じように第二波、第三波の先頭カラテ木人兵を転倒させる。だが!『『『ケオーッ!』』』後続カラテ木人兵たちは跳び越えた!……群れ全体で学習している!「チッ……!」ポーチュラカは作戦を変え、二の腕に巻かれたロープを解いた。

「け……ケオーッ!」気球の前、ペシミストは意外にもカラテ木人兵に対し優勢である。ニュービーとはいえ、仮にもこの任務に選ばれたひとかどのニンジャぴるすであったということか。「ケオーッ!クソーッ!」泣き喚きながら、気球に群がるカラテ木人兵をちぎっては投げ、ちぎっては投げる!

「ケオーッ!」ポーチュラカは解き放たれたロープ、否、蔓鞭を振るう!蔓鞭の先端はヒュンと風切り音を立て飛び、カラテ木人兵の首に巻き付いた。「……ケオーッ!」蔓鞭が唸り、カラテ木人兵の体を分銅の如く振り回し、他のカラテ木人兵を纏めて吹き飛ばす!『『『グワーッ!』』』

「ケオーッ!」ハンマー投げめいて遠心力を込め、捕らえていたカラテ木人兵を射出!『『『グワーッ!』』』解き放たれたカラテ木人兵は着弾地点のカラテ木人兵を巻き込み大地を転がる!ポーチュラカは横目でペシミストを確認した。気球は膨らみ、宙へと浮かび始めている。「……そろそろなんですけお!」

「ケオーッ!」音速を超えた蔓鞭の先端が迫り来るカラテ木人兵達を弾き飛ばす!『『『グワーッ!』』』踵を返し、ポーチュラカは気球へと全力疾走する!「乗れ!浮き始めるんですけお!」カラテ木人兵を投げ飛ばすペシミストへと叫ぶ!「け……ケオーッ!」最後の1体を投げ飛ばしたペシミストはゴンドラへ乗り込んだ。

「ケオーッ!」気球へ迫るカラテ木人兵を振り払い、引き倒しながらポーチュラカは走る。「ケオーッ!」ペシミストは気球備え付けのボーで寄るカラテ木人兵を突き飛ばす。そこへまた1体新たなカラテ木人兵が。ペシミストはボーを構え、カラテ木人兵へと突き出した。

 ……ドクン。ポーチュラカは己の心臓が強く打つ音を聞いた。……なんだ、これは?未知の脅威にポーチュラカのニンジャ第六感が激しく警鐘を鳴らしている。ニンジャアドレナリンが過剰分泌されニューロンが異常加速、主観時間が泥めいて鈍化する。なにかがまずい。彼は咄嗟に蔓鞭を振るった。

「ケオーッ!」ペシミストが全力で突き出したボーをカラテ木人兵は平然と、木の枝を除けるかのように掌で逸らし、そのまま掴み止めた。「……は?」呆気に取られるペシミストの目の前で、カラテ木人兵はしなやかに、美しくチョップを振り上げる。

『イヤーッ!』振り下ろされるチョップを、ペシミストはただ見つめた。……これまでに対処したカラテ木人兵達とは明らかに一線を画している。チョップが迫る中、ペシミストは絶望するでも悲しむでもなく、ただ漠然と己の死を直感した。「……ケオーッ!?」

 ……悲鳴を上げたのはペシミストではなかった。左肩を大きく抉られ、傷口から血を噴き出しているのは、ポーチュラカである。彼は放った蔓鞭で若木を掴み引き寄せると同時に跳躍。脚力と腕力、蔓鞭の伸縮性を合わせ高速で翔び、両者の間にインタラプトしていた。

「なっ……ポ……!」離陸を始めた気球のゴンドラでペシミストは目を見開いた。「……行くんですけお!」カラテ木人兵の両腕を蔓鞭で抑えながらポーチュラカが叫ぶ。「そのまま持ち帰れ!それで任務は完了なんですけお!」狼狽えるペシミストを乗せたまま、気球はどんどんと地上を離れ濃霧の中に消える。

「そうだ、それでいいんですけお!」『イヤーッ!』「ケオーッ!?」ポーチュラカは膝蹴りを腹に受け地面を転がる。「……!……!」ペシミストの叫ぶ声はもはや遠く、聞き取れなかった。地面に倒れた彼の元へと木の足音が近付く。カラテ木人兵がポーチュラカの傍らにまで歩み寄り、手を合わせた。

『ドーモ、ピノキオ・ニンジャです』カラテ木人兵はアイサツした。

 ポーチュラカはどうにか上体を起こす。「ゴホッ……ドーモ。ピノキオ・ニンジャ=サン。ポーチュラカです」痛みで上げられぬ左腕を垂らしたままアイサツを返し、口許の血を拭った。ほんの寸前まで感じなかった強大なニンジャ存在感が、確かに目の前に居る。

「ハァ……不条理なんですけお。これが名だたるリアルニンジャというヤツか」深いため息を吐き、ポーチュラカはアグラ姿勢で右腕をホールドアップした。ピノキオ・ニンジャは貌なき顔でポーチュラカを凝視している。「……まあいい。俺は既に任務も果たした身。コウライヤに殉じ、この命ぐらいくれてやるんですけお」

「……などと言うほど諦めの良いタチでは生憎なくてな」ポーチュラカがだらりと下げた左腕を無理矢理に振ると、掌大の筒がコロコロとピノキオ・ニンジャの前へ転がった。……瞬間!激しい閃光と爆音が辺り一帯を塗り潰す!『グワーッ!?』

 ……光が去ると、そこにポーチュラカの姿は既に無かった。『……』ピノキオ・ニンジャは……カラテ木人兵は地面に残る焦げ跡を踏みにじると、森の中へ続く血痕を見つめ、キイ……キイ……と音を立てながらゆっくりと歩き始めた。


◆◆◆


「あの風体だ、スタングレネードが効くかどうかは賭けだったが……どうやら一先ずは勝ったみたいなんですけお」左肩を押さえながらポーチュラカは木々の間を駆ける。「……いかんな。こう窮地だと独り言が増えてしまうんですけお」

 走りながらポーチュラカは思考を巡らせる。……あの時、ピノキオ・ニンジャは何処から現れた?類稀なるニンジャ野伏力によりその存在感の一切を隠し通していたというのならば、確かに驚異的ではあるが、それだけだ。……だが。(もしも、カラテ木人兵に憑依し現れたというのならば……)

 思考の最中、不意に意識が薄れる感覚に襲われポーチュラカは頭を振った。左肩を押さえる右手はもはや真っ赤に染まり、隙間から流れ出た血がボタボタと滴り続けている。……何よりも、まずは傷口を塞がねばなるまい。これ以上の失血は命に関わる。

 幸いにも腰のポーチにはあらゆる状況を想定し、様々なアイテムが収納されている。消毒や鎮痛に増血剤、バンテリンといった薬品類や小型のメスやハサミ、そして針に縫合糸と、治療に必要な道具と物資は一通りある。時間と場所さえあれば治療は可能。

 自己分析をしながら、ポーチュラカは己の原初の記憶を思い出していた。ニンジャぴるすとしてデザインされ、この世に生まれ落ちた日を。『お目覚めのようだねぴるす君』初めて耳にした声が脳裏に蘇る。凛とした声が。ポーチュラカの名を頂いたのはその後暫くしてからだった。

 何故己はコウライヤに尽くすのか。……斯くあるべしとデザインされ、教育され、カブキコードを刻まれたからというのは確かにある。だが、それ以上にあの声に、あの姿にソンケイを……。「……まずいんですけお、これは」ポーチュラカはソーマト・リコールを自覚した。……タイムリミットが近付きつつある。

 こちらを探すカラテ木人兵は数こそ多いが、その移動速度はそう速くない。先程の戦闘で視覚や聴覚を主な頼りに動いていることも分かっている。どこか隠れ込める場所さえあれば、治療の時間ぐらいは稼げるだろう。「どこかに……何かスペースは……」

 辺りを見渡すポーチュラカの視界が、巨木の根元に開いた大穴を端に捉えた。


 ……そして時間は進み、現在


 木の根元から這い出したポーチュラカは、木々の影に身を隠し辺りを窺いながら静かに進む。キイ……キイ……キイ……キイ……。木材の軋む音が無数に響き、木々の間からその音の主の姿が見えた。行きはあそこまで不気味に静かだった森は、今やカラテ木人兵の雑踏が闊歩する足音で埋め尽くされている。

(……この数をどこに隠していたのだか)カラテ木人兵を避けて進んだ先にもまたカラテ木人兵の姿。……恐らく、森に踏み入ったその時には既に遠巻きに監視されていたのだろう。彼らはポーチュラカの設置した発信器のラインを重点的に塞いでいる。帰還するための道標を。

 カラテ木人兵を避けながら僅かに進むだけでも一苦労であるがそう悠長もしていられない。(行きと同じなら外までおよそ10時間……。保つんですけお?この体が……)左腕を軽く回し手を開閉する。問題ない、鎮痛剤が良く効いている。……だが、多種多量の薬による副作用も同時に重い。妙な多幸感と浮遊感に包まれ、思考に靄がかかっている。(……善し悪し、だな)

 この状態では己の負傷具合を、限界を正しく認識できているとはとても言い難い。大丈夫だと思っている内にふっと意識を失いそのまま目覚めぬことも十分にあり得る。急がねばなるまい。なるまいが、急ごうにも無数のカラテ木人兵が邪魔をする。……ジリー・プアー(徐々に不利)である。

(何か……奴らの気を引ける、注意を集められる物さえあれば……)思い出せ。今日の戦いの中で何かヒントはなかったか?思い出せ。カラテ木人兵が注意を向けたタイミングがあったはずだ。この森のように霧がかったニューロンを、必死にフル回転させる。

 奴らが一ヶ所に注意を向けたのは……。(……気球のバーナーが点火した時なんですけお)あの時、全てのカラテ木人兵がペシミストと気球へとターゲットを変え、そして沈黙を保っていたピノキオ・ニンジャまでもが現れた。(あの時はこちらを決して逃がさぬという意思だと、そう捉えたが……)

 考えてみると、同じ『肥料を逃がさぬ』という目的にしてはこちらを探すカラテ木人兵からはあの時ほどの必死さを感じぬ。目的が違う……?であれば枝を持ち去らせぬためだったのか?しかし、それならば枝を切り落としたタイミングで襲って良いはず。ならば……。「……単純に火、なんですけお?」

 木製の彼らが火を恐れるのは道理ではある。森に立ち込める濃霧も、なるほど火を避けるためだとすれば筋が通っている。「……だが、そこまで火を恐れているというのならば、わざわざ火に向かって行くものなんですけお……?ああも、殺虫灯に誘われる蛾めいて……」

 ……何か、あと一つピースが足りぬ。薬剤のカクテルがもたらした思考の停滞を振り払い、必死に脳を動かす。奴らは何を目的に動いていた?何を望んでいる?奴らにとって、何が一番大切だ?フラッシュバックする記憶の奔流を必死に掻き分ける。

 ランドの森……ピルトネリコ……霧……巨樹……カラテ木人兵……ピノキオ・ニンジャ……若木……火……肥料……。

 ポーチュラカは暫ししゃがみ込んだまま止まり……やがて走り出した。


3

「ケオーッ!」ポーチュラカは木々の間を抜け出し、発信器の並ぶ道へと合流した!『ケオーッ!』無数のカラテ木人兵が彼の後を追う!重点的に警戒された発信器ルートに、こうも堂々と飛び込めば当然である!

「ケオーッ!」振り向き様に投げたスリケンが地面や木々、そしてカラテ木人兵へと突き刺さる!『ケオーッ!』しかし、関節を破壊したのならともかく痛覚を持たぬカラテ木人兵にはこの程度足止めにもならぬ!「ケオーッ!」構わず走る!

 ポーチュラカはカラテ木人兵に追われながら、己が来た道を発信器に沿って辿る。彼は忍んでいては助からぬと悟り、賭けに出たのであろうか。……確かにこのまま全速力で逃げ仰せれば1時間とかからず森の外へと至るだろう。だが、それはあまりにも無謀な、分の悪い賭けである。

 カラテ木人兵達は情報を共有している。ポーチュラカの位置は今や全体に共有され、小規模国家ほどの数のカラテ木人兵全てがこちらを目指して来ているのだろう。全てを躱し、逃れ、走り続けるなど不可能である。何より、ピノキオ・ニンジャが来ればそれで終わりだ。異常な精神高揚と浮遊感に包まれながらポーチュラカは走り続ける。

「ケオーッ!」再度のスリケン投擲!『ケオーッ!』カラテ木人兵には効かぬ!カラテ木人兵は次々と合流し、一つのスウォームとして肥大し続ける!「ケオーッ!」スリケン投擲!……無駄だ!もはや正常な判断も出来ぬのか、ポーチュラカは走り続け、そして効かぬスリケンを投げ続ける。

『ケオーッ!』背後に迫るカラテ木人兵がポーチュラカへと腕を伸ばした。「ケオーッ!」ポーチュラカは飛び込むようにハンドスプリング前転し、踵でカラテ木人兵の顎を蹴り上げる!『グワーッ!』転倒するカラテ木人兵を見届け、そしてポーチュラカは道から逸れて足を止めた。「フーッ……ここらが潮時なんですけお」

 観念したかのように振り返り、そして……。「ケオーッ!」拳大の何かを力任せに投げた。それはこの道に等間隔に並ぶ物と同じ、発信器であった。「……この発信器は急ごしらえの欠陥品でな」『ケオーッ!』迫るカラテ木人兵達の足元へ、発信器が落ちる。「過度の衝撃を受けると爆発する危険物なんですけお」

 KABOOOOOM!『グワーッ!』小規模爆発が起き最前線のカラテ木人兵が吹き飛ぶ!だが、吹き飛んだのは集団の中のごく少数にすぎぬ。後続のカラテ木人兵は怯むことなく次々とポーチュラカへと飛び掛かり……KABOOOOOOOM!『グワーッ!』二度目の爆発に吹き飛んだ。「……挙げ句に、こうやって誘爆するんですけお」

 KABOOOOM!KABOOOOOM!KABOOOOOOM!列に並んだ発信器が次々と連鎖爆発し、爆風がポーチュラカを追いかけていたカラテ木人兵を吹き飛ばす!発信器の列に沿ってカラテ木人兵の包囲網に穴が開いた!しかし、それは一時的に過ぎぬ。すぐに後続カラテ木人兵により穴は埋まるだろう。……これはポーチュラカの目標ではない。

 KABOOOM!KABOOOOM!……KABUKOOOOOM!発信器の爆発に混ざり一際大きな爆発音が響き、爆炎が昇った。濃霧をスクリーンに、炎の赤い光が森を照す。『……!』カラテ木人兵達は一斉に光源を見た。「お前達が恐れていたのはそれなんですけお。早く向かってくだち。手遅れになるぞ」

 KABUKOOOM!KABUKOOOM!あちこちで爆炎が上がり、カラテ木人兵が一斉に走り出す!彼らが恐れているのはその木製の体が炎上することではない。彼らにとっての最重要事項はピルトネリコの管理・栽培・保護である。それゆえに彼らは火を恐れ、真っ先に消そうとしたのだ。立ち込める濃霧も森林火災を防ぐための対策であろう。

 この濃霧が最大の問題点であった。濃霧が森全体を深く湿らせ、発信器の爆発程度では木々どころか枯葉に引火することすらあるまい。故に、ポーチュラカは燃料を辺り一帯へとばら撒いた。……先程の逃走劇の最中に、火気厳禁の可燃性薬品であるバンテリンが満ちたプラスチック容器を、スリケンによって!ポーチュラカはカラテ木人兵の混乱に背を向け駆け出す!

 ……その時、一体のカラテ木人兵が立ち止まり、雑踏の流れに逆らい跳んだ。カラテ木人兵は回転しながらポーチュラカの頭上を飛び越え、その眼前に着地する。その強大な気配に、ポーチュラカはタタミ一枚ほと飛び退いた。「チッ……!やはり来たんですけお……!」

 カラテ木人兵の無貌の顔に憎悪と敵意が浮かぶ。ポーチュラカは森の支配者に肥料ではなく、今や排除すべき害虫として認識された。カラテ木人兵は……ピノキオ・ニンジャはカラテを構えた。

『イヤーッ!』ピノキオ・ニンジャは横薙ぎのチョップを繰り出す!ポーチュラカはクロス腕で受けた!「ヌウッ!」……一撃が重い!ポーチュラカはガードの上から大きく弾かれ、地面に二本の轍を残しながら後方へと滑り、体勢を崩す。

 ピノキオ・ニンジャは跳んだ。『イヤーッ!』無慈悲な空中回し蹴りがポーチュラカの側頭部を狙う。「ケオーッ!?」咄嗟のガードを破られ、ポーチュラカは大地を転がった。ピノキオ・ニンジャの体は柔軟なピルトネリコで作られており、彼の四肢は鞭めいてよくしなる。故に、その先端速度は容易く音速をも超す。

 まともに食らえば一撃死もあり得るカラテを受けながら、ポーチュラカは持ち前のニンジャ耐久力と柔軟性でどうにか耐え、転がりながらスリケンを投げる。「ケオーッ!」木々に投げた物と同じバンテリン付きスリケンがピノキオ・ニンジャに突き刺さり、2枚目のスリケンが火花を散らしそれを起爆させた。

 KABUKOOOM!『ケオーッ!?』ピノキオ・ニンジャは悲鳴を上げて燃え上がり……そして。『イヤーッ!』別のカラテ木人兵が、ピノキオ・ニンジャがポーチュラカへと飛び掛かる。「ケオーッ!」ポーチュラカはアイキドーめいてピノキオ・ニンジャを受け流した。

 ポーチュラカが懸念した通り、ピノキオ・ニンジャはその肉体を、感覚を全てのカラテ木人兵と共有している。カラテ木人兵が知覚したもの全てを把握し、カラテ木人兵の居るあらゆる場所に現れ、そしてカラテ木人兵が居る限りピノキオ・ニンジャは不死身である。カラテ木人兵は彼の眷属であり、そして彼のスペアだ。

 八方塞がりの状態からどうにか生存の可能性を手繰り寄せたポーチュラカであったが、あと一手を見誤った。ピノキオ・ニンジャが己の排除よりも消火を最優先することを祈り、万が一己を狙ったとしてもどうにか逃げ仰せられることを願い、そして最後の最後で賭けを外したのだ。

『イヤーッ!』「ケオーッ!」ピノキオ・ニンジャの猛攻を必死に避けながらポーチュラカは後ずさる。万全であったとてカラテに付き合ってなどいられぬ相手。この体でどうにかするなど無理にもほどがある。『イヤーッ!』「ケオーッ!」ポーチュラカは反撃と防御を全面的に諦め、回避に全神経を集中させた。

 森林火災によってピノキオ・ニンジャの集中は幾分か削がれているのだろう。その上ですら、回避に全集中してすらも遥かに荷が勝っている。『イヤーッ!』「ケオーッ!?」避け切れぬ。全身に新たな深い傷が刻まれ、肩の傷口も開いた。鎮痛剤がまだ効いているのか、あるいはニンジャアドレナリンの作用か、幸いにも痛みはない。

 ……だが、もはや限界だ。ポーチュラカは必死に抵抗を続けながらも、半ば覚悟を決めていた。必死に逃げて死ぬか、最後まで抵抗して死ぬか、後は死に方を選ぶだけだ。『イヤーッ!』「ケオーッ!」斜めに振り下ろされるチョップをすんでの所で回避する。

 たとえ抵抗して道連れにしようともカラテ木人兵が一体減るだけ。ならば一縷の望みをかけて最後まで逃げてやろうか。酩酊感の中で他人事のように考える。そして、異音を感じたポーチュラカはふと空を見上げた。

 バラバラバラバラ!……ヘリのローター音が、ランドの森に響く。「これは……」ポーチュラカは空を見上げ、僅かに立ち止まった。『イヨーッ!』気が逸れたその隙を見逃さず、ピノキオ・ニンジャの跳び蹴りがポーチュラカの顔面へと迫る。「……ケオーッ!」

『グワーッ!』舞い降りた影がピノキオ・ニンジャを踏みつけ、黒い腕章を着けた腕でそのままポーチュラカを抱えた。「ケオーッ!」影はアイサツもせず、アンブッシュの勢いのままポーチュラカを連れて跳び、濃霧の中に空から垂れる縄ばしごを掴む!「は……早く上昇してくだち!こ……これ以上はムリなんですけお!」影が……ペシミストが叫び、縄ばしごが空へと上昇を始める。

 ピノキオ・ニンジャは二度三度己の腕パーツを投げて追撃を試み……やがて、未だ燃える木々へと向かい駆け出した。


◆◆◆


「……まさか、お前があの地獄に戻って来るとは思わなかったんですけお」黒子ニンジャぴるすの操縦するヘリの中、応急手当を終えたポーチュラカがペシミストに問いかけた。「ピルトネリコの枝を送り届けた時点でお前の任務は終わったはず。何故戻って来たんですけお」「そ……そりゃ私だってあんな所に戻りたくはなかったんですけお……」

「けど……あのまま見捨てたら寝覚めが悪すぎるんですけお」ポーチュラカは溜め息を吐いた。「考えが浅すぎる。俺が既に死んでいたらどうするつもりだったんですけお。もはやこの世に居もしない相手を無駄に探し回って無駄に迷って無駄死にか?」「そ……そうは言っても……あの時ポーチュラカ=サンも私を庇ってくれたじゃないですけお……!」

「……バカが。あれはお前と気球を逃がさねば任務が果たせぬからしただけなんですけお。立場が逆なら俺は戻らん。礼は言わんぞ」ポーチュラカは吐き捨てるように言い、喚くペシミストを無視して窓越しに眼下の森を見下ろした。

 あれだけのバンテリン爆発が引き起こした森林火災は、しかし既に鎮火され濃霧の森からは細い白煙が空へとたなびくばかりである。……全ては些事。恐るべきピノキオ・ニンジャの領域は僅かばかりも脅かされてはいない。

 森の中ではこれからもピルトネリコが繁茂を続け、新たなカラテ木人兵が造り出されてゆくのだろう。あるいは、ピノキオ・ニンジャのシステマチックな思考が新たな目標を算出したのならば、ランドの森は領土を拡大しフランスのみならずスペインやネオアンドラをも飲み込むやもしれぬ。

 ……関係のない事だ。少なくとも今の自分には。

 ヘリはコウライヤのヨーロッパ支部へと向かい飛翔する。彼らの足元から霧深い迷いの森が遠ざかってゆく。任務は達成され、どうにか己の命も繋がれた。ピルトネリコの枝によってデンショウはリビルドされ、コウライヤは……ホワイトパロット=サンは再び磐石となるだろう。上々だ。

 薬によるハイは抜け始め、揺り戻しの倦怠感と疲労が全身を襲う。ペシミストの喚き声を聞き流し、ポーチュラカは目を閉じた。



【ジ・アドベンチャー・オブ・ロスト・ウッズ】終わり



カブキ名鑑

◆歌◆カブキ名鑑#134【ペシミスト】◆舞◆
コウライヤのニュービーニンジャぴるす。ナゲキ・ニンジャクランのソウルを宿し、その影響から非常に悲観的な性格。ラメント・ジツにより心に絶望が満ちるほど、悲嘆に暮れるほどにカラテが強化される。

◆歌◆カブキ名鑑#135【ピノキオ・ニンジャ】◆舞◆
太古より生きる旧きリアルニンジャぴるす。特殊な木材を加工することで自律動作する眷属人形、カラテ木人兵を生み出す。永き休眠から覚めた彼はランドの森を己の領域へと変えた。


K-FILES

デンショウの柄を直すため、ピルトネリコの枝を手に入れるという必達任務を与えられたポーチュラカ。ランドの森へと足を踏み入れた彼を、無数の影が襲う。彼はピノキオ・ニンジャの領域から枝を回収し、無事に生き延びることが出来るのか。


主な登場ニンジャ

ポーチュラカ / Portulaca:コウライヤのニンジャぴるす。胚段階からニンジャソウルを人工的に宿され生み出されたバイオニンジャぴるすであるが、特殊なジツや身体特徴は持たず鍛え上げられたカラテと持ち前の頑強さを武器に堅実に戦う。マスター級ニンジャぴるすの一人でありハクオウの付き人を務めている。カブキニストの時代から彼に仕える、従順なるカブキの徒。

ペシミスト / Pessimist:コウライヤのニュービーニンジャぴるす。非常に悲観的かつ後ろ向きな性格であるが、これはナゲキ・ニンジャクランのソウルを宿した影響が大きい。当人は無自覚であるが、己の心に満ちる絶望や悲愴を力に変えるラメント・ジツにより死地であるほど追い詰められるほどに真価を発揮する。

ピノキオ・ニンジャ /  Pinocchio Ninja:太古より生きるリアルニンジャぴるす。ピルトネリコの木材を用いて造り出した人形に命を分け与え己の眷属、カラテ木人兵として使役する。ピルトネリコとは共生関係にあり、材木を利用する代わりにその生長・繁殖の手助けや外敵・災害からの保護をし、また超常の濃霧を生み出すことで森林火災を防ぎピルトネリコに適した湿潤環境を作り出している。

本来は確固たる自我と肉体を持つニンジャぴるすであったが次第に己とカラテ木人兵達の合一を進め始め、やがてカラテ木人兵の群体そのものと同化を果たした。もはやその自我は希薄であり、己の分身たるカラテ木人兵の生産とその原材料であるピルトネリコの栽培・保護、それによる半永久的な自己の保存と繁栄を進めるシステムと半ば化している。

彼はプラタナスの木の根本で深い休眠状態となっていたが、ポープがもたらしたキンカクの鳴動によって目覚め活動を再開した。



メモ

このエピソードは長らく描かれることのなかったポーチュラカのフィーチャーを主題にポープに破壊されてしまったデンショウの修復問題を混ぜ込み、そしてそこにピノキオ・ニンジャをトッピングしたものとなっている。簡素なプロットのみの状態で長らく放置されていたエピソードであったが、遂に書き上げることができた。

ポーチュラカは3作目という初期も初期に登場し、以降も数度その存在に触れられながらも掘り下げをほとんどしてこなかったぴるすだ。当時のカブキスレイヤーは各話の繋がりを示さず独立した世界として描く一般的スクリプトの形式を取ろうとしていた(これは複数人が書いているように装い忍殺風スクリプトが栄えているように見せかけてハードルを下げ、新規参入者を大量に誘引する計画だったのだが、あえなく失敗に終わった)。そのため彼もまた使い捨てぴるすの一人でしかなかったんだ。実際、改訂前のストーリーでは彼が実験材料に使われることを予期させるような形で終わっていた。後にひと繋がりの作品として描くようになり、ある時ホワイトパロットの助手として裏でサポートするぴるすが設定上必要になり、そして白羽の矢が立ったのがポーチュラカだ。

彼はカブキアクターに付き従う仕事人というキャラクター性であり、カブキアクター…ホワイトパロットの傍らでは自己主張をしない寡黙なぴるすだ。しかし、今回はさまざまな影響から比較的口数が多く描かれている。環境や相手の違いによって見えてくる別側面というのはキャラクターを魅力的に描くのには大切な事だが、下手に扱えば「思っていたのと違う」と元々の魅力を損なう可能性もある。その作業の難しさを改めて体感させられるエピソードだった。


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