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【エレジー・フォー・ホワイト・パロット】



 ……いつもと何も変わらぬ夜。激しく雨が降りしきる夜だった。

 男はぬかるんだ路をぼんやりと歩く。(流浪に流浪を重ね……その果てに飢えて死ぬか……)その足取りはおぼつかず、ふらりふらりと左右に揺れ、そして泥に足を取られ水溜まりへと倒れ込んだ。(元々死んだようなものとして生きてきたが……なんと虚しい最後だろうか……)

 男は立ち上がらず、水溜まりの中で仰向けになって空を見た。空は分厚い雨雲に覆われ、真っ黒な闇しか見えなかった。(いや……これこそ俺に相応しい最後か……)雨粒が責め立てるように激しく顔に叩きつける。男は全てを諦め、ぼんやりと目蓋を閉じた。

「そこで何をしているんですか?」不意に、幼さの残る声が水溜まりで寝そべる男に尋ねた。……物好きな奴が居たものだ。男は目を開き、声の主を見た。傘を差した育ちの良さそうな少年がじっと男の顔を見ている。「絶望してんのさ……ガキにゃ分からねぇだろうが、長く生きてりゃ色々あんだよ……」

 言い終わると同時に、グルグルグル、と蛇が唸るような音が雨音よりも大きく闇に響いた。「お腹、空いてるんですか?」純真な瞳に見つめられ、男は目を逸らす。「まあ……絶望の種の一つだな」「それなら、うちに来ますか?きっとこれも何かの縁です」「あ……?」

「お前……分かってんのか?名前も知らねぇこんな……どう考えても怪しい奴をよぉ……」男は少年を睨もうとした。「僕はイチカワ・ソメゴロです。貴方の名前は?」……邪気のない純真な瞳が、未だ男を見つめていた。「アー……ハァ……」男はばつが悪そうに上体を起こし、頭を掻いた。

「ドーモ、俺は……」



【エレジー・フォー・ホワイト・パロット】



1

「ダッテメッコラー!」「ドカンミノモンダラー!」「スッゾコラー!」華美な飾りフスマが一斉に開け放たれ、威圧的なヤクザスラングを放ちながら無数のヤクザ達が現れる。彼らは皆ドスやチャカを構え、既に臨戦態勢である。

 ヤクザらの銃口が狙う先には、サムライじみた着物に黒漆塗りの帽子を被ったカブキ装束の男。カブキアクターが何らかの手違いでヤクザの元へと迷い込んでしまったのであろうか?ヤクザ達は男の反応も待たずに無慈悲に引き金を引いた。BLAM!BLAM!BLAM!無数の銃声が響く。

 銃弾が当たり玄関扉や棚の花瓶、絵画が破壊され、破片が宙を舞う。……男はどこにもいない。「アバーッ!」突然悲鳴を上げ、先頭にいたヤクザの首が床を転がった。先程まで玄関にいたカブキ装束の男が、死体の背後で腕に付いた血を払った。「……ナンオラー!」「スッゾコラー!」恐怖心の麻痺したヤクザ達は、ドスを構え我先にと男へと突進する。

 男は何も気にせず堂々とタタミの上を歩く。「アバーッ!」「アバーッ!」男がするりと横をすれ違うと、ヤクザ達の首が落ちた。「ダッテメ……」チャカを構えるヤクザの視界から男が消え、その背後で足音。「アバーッ!」首を斬られたチャカヤクザが仰向けに倒れ、血がタタミを赤く染める。

「ザッケアバーッ!」「スッゾアバーッ!」廊下の角から顔を出したヤクザ達が悲鳴を上げて息絶える。「ナンアバーッ!」「ヤッアバーッ!」ヤクザ達の首なし死体を積み重ね、ヤクザマネーで築き上げられた煌びやかなヤクザ邸宅の中を血で塗り潰しながら、男は堂々と進む。

「アバーッ!」「アバーッ!」騒ぎを聞きつけ部屋から飛び出したヤクザ達がすれ違いざまに死んだ。「アバーッ!」「アバーッ!」ダイナマイトを抱えた下っ端ヤクザ達が死に、導火線が斬られて火が止まる。

「アバーッ!」「アバーッ!」廊下の先でガトリングを構えたヤクザ達がトリガーを引く暇もなく死ぬ。「アバーッ!」「アバーッ!」高級ヤクザスーツを着た幹部級ヤクザが死に、彼と共に部屋から飛び出したキモノのはだけた女ヤクザが死ぬ。

「アバーッ!」どさくさで金を持ち逃げしようと金庫をいじっていたヤクザを殺し、カブキ装束の男はタタミ部屋の大広間へと踏み込む。宴会の準備でもしていたのであろう、漆塗りの膳が無数に並ぶ間を通り抜け、一際大きく、そして豪華絢爛な金色のフスマに手を掛けた。

 ターン!紫色の向日葵が描かれた黄金フスマを力強く開け放つと、華美を越えもはや毒々しいその茶室には一人の男がアグラしていた。「テメェ……随分とやってくれたじゃねぇか。俺達が何者か知ってんのか?」怒気の籠る鋭い眼光が、その男がただ者でないことを示している。

「なにやら近頃調子づいているポイズンヒマワリ・ヤクザクラン。そしてそのオヤブン。知っている。知っているから私はここに来たのだ」「テメッコラァー……!」ポイズンヒマワリ・ヤクザクランのオヤブン、タギグチは恐ろしいヤクザスラングで低く唸った。「ヤレ!」

 瞬間、天井の板が外れ一つの影が飛び出す!「イヤーッ!」叫び声と共に影はカブキ装束の男へと向かい何かを投擲し、カブキ装束の男は飛来物を意に介さず払い除けた。枯れ枝が活けられた花瓶を破壊し、そのまま柱へと深く突き刺さったそれは。星形の金属片……スリケンである。

「ドーモ、グレイブヤードです」影は、目深にフードを被った男はアイサツし、大鎌を構えた。「どこの刺客だか知らぬが、ウチのクランに手を出しオヤブンまでも狙おうとは……思い上がりも甚だしや」グレイブヤードは人知を超えた威圧感を放つ。彼は人間ではない。

 常人を遥かに越える身体能力を持ちスリケンを投げて人々を殺す怪物、神話にも登場するドラゴンや吸血鬼と並ぶフィクションの化け物、ニンジャ。だが、しかし、ニンジャは実在するのだ。グレイブヤードは間違いなくニンジャであった……そして、カブキ装束の男もまた。

 カブキ装束の男は手を合わせ、グレイブヤードのアイサツに応じた。「ドーモ、グレイブヤード=サン。ホワイトパロットです」アイサツを終えたホワイトパロットはカラテを構える。「コウライヤの土地を狙う貴様らこそ思い上がり甚だしき下賤なる盗っ人よ。分を弁えよ」

「ダマッコラーッ!」叫び、グレイブヤードが大鎌を構え跳ぶ!「イヤーッ!」大鎌による斬撃!ホワイトパロットは後方に避ける!「イヤーッ!」グレイブヤードは反撃の隙を与えず大鎌を振り戻しながら再度斬撃を放つ!ホワイトパロットは紙一重で回避!

「イヤーッ!イヤーッ!」グレイブヤードの猛攻は止まらぬ!ホワイトパロットは紙一重の回避を続けながらも、その背後には壁!「ヤッチマエー!」タギグチの叫び声!オヤブンの鼓舞を受けたグレイブヤードの腕に力が籠る!「イヤーッ!」逃げ場を失ったホワイトパロットへと、大鎌による斬撃が振り下ろされた!

「ア……?」グレイブヤードは困惑の声をこぼした。彼の大鎌は木材の壁を切り裂き、高級タタミへと深く突き刺さっている。……そこにホワイトパロットの姿はない。「グレイブヤード=サン!」オヤブンの叫び声にグレイブヤードは振り返る。……その首に赤い線が走った。

 背後にホワイトパロットの姿を見つけたグレイブヤードの視界は、次いでぐるりと天地逆さまにひっくり返った。「ゴボッ……」声にならぬ声を出しながら、頭がタタミを跳ねる。「サヨナラ!」グレイブヤードは爆発四散し、その死体はタタミに痕跡だけを残し消し飛んだ。

 ホワイトパロットはグレイブヤードの爆発四散に目もくれずに、つかつかとタギグチの元へ歩く。「ま……待て!」タギグチは後退りながら命乞いをした。そこに百戦錬磨のヤクザの風格はもはや無い。信頼する右腕を一撃で葬った暴力に、彼の心は折れた。「お……お前……!コウライヤって言ったな……!」

「手……手を引く!ケツモチになってやる!タダでだ!だから……」「ケツモチだと?貴様一人のクランでか?」……タギグチはその時初めて気付いた。己のヤクザ邸宅から自分達以外の誰の声も聞こえないことに。己が一人だということに。

「アバッ……」ホワイトパロットの腕がタギグチの胸を貫き心臓を破壊する。「ポイズンヒマワリ・ヤクザクランはこれにて終わりだ」ホワイトパロットは何の感慨もなく呟き、タギグチの死体を投げ捨て、ヤクザ邸宅の窓から飛び出した。

「殺しても殺しても沸いてくる害虫共めが……」ビルの上をモノクロの風となって跳びながら、呪詛めいて呟く。……彼の所属するコウライヤは今、無数のヤクザクランによる地上げの標的となっていた。

 始まりは一枚の契約書であった。コウライヤのリエン、その土地を購入したと名乗る男が現れ立ち退きを要求し始めたのだ。揉め事を起こそうとした男は速やかに処分され、彼のバックに存在したヤクザクランも末端から首領まで鏖殺し全ては解決したかに思えた。

 ……だが、一つのヤクザクランの消えた空白地帯にはすぐに別のヤクザクランが縄張りを広げ、そして全く同じ書類全く同じ手法で地上げを開始した。

 それからはホワイトパロットがヤクザクランを潰し、新たなヤクザクランが流入し地上げを始め、そしてホワイトパロットに潰されるという一連のサイクルが延々と繰り返されていた。完全なるいたちごっこであり、ホワイトパロットが本来行うべき日々の業務にも僅かずつではあるが支障が生じている。

 明らかに不自然な状況だ。偶然では片付けられぬ。……このコウライヤの地上げは、ヤクザよりも更に上に何者かの意図が介入している。ヤクザクランの関係図を探っても手がかりは一切無し。相当用心深い者なのだろう。

 ……ならば、ボロを出すまで殺し続けるだけだ。ホワイトパロットは駆ける。「ヤクザ共がウジ虫のごとく沸き続けるというのならば、私はそれを殺し続けてやろう……!地上げを指揮する黒幕、貴様を突き止めるその時まで!永遠に!」


◆◆◆


 間接照明が仄かに照らす薄暗い部屋の中、男はホームバーカウンターに立ち、氷の入ったグラスにラム酒を注いだ。ラベルには『野生のオウム』の銘。深い金色の液体がグラスに満ち、カランと氷が音を立てる。男はグラスを光にかざし色合いを一通り眺めると、度数の高いそのラム酒を一息で飲み干した。

 部屋の隅のレコードが格式高いクラシカルな音楽を奏でる。グラスをカラカラと回し、再びラム酒を注ぎ、やはり一息で飲み干す。窓の外には人々の営みが織り成す夜景が広がっているが、男は興味もなさげに一瞥だけしてカウンターへと向き直った。

 例えどんなに華やかな夜景であろうと、心を彩りはしない。どんなに荘厳な音楽であろうと、心に響きはしない。どんなに度数の高い酒であろうと、心の底から酔えはしない。どんな喜びも悲しみも、もはや色褪せて感じる。……遥か昔に奪われた心は、今もなお囚われている。

 男はラム酒のボトルを持ち、ラベルを眺めた。酒の味などもはや分からぬが、そのデザインが彼を惹き付けた。「オウムのイラストとは……奇遇だなァ……」男はグラスをカウンターに叩きつけ、ラベルに描かれたオウムを愛おしそうに人差し指で撫でる。「ヘヘへ……どうだ?今頃俺に会いたくて会いたくてたまらなくなっているか?」

 薄明かりの中で男は背筋の凍るような笑いを浮かべ、遠くの誰かを想うように優しく呟いた。「なぁ……俺は会いたいよ……アンタに」その声には海のごとく底を見通せぬほどの深い渇愛と、乾き荒廃した死の大地のような深い絶望、そして、全てを壊し飲み込む嵐のごとき狂気が渦巻いていた。

 ……彼の背後、薄暗い部屋の中は破壊で満ちている。洒落たインテリアはバラバラに壊れ、夜景を一望する窓は無惨に割られ、白い高級毛皮カーペットを黒ずんだ血が染めていた。床には割れたガラス、木片、枯れ枝、千切れた布……そして無造作に転がる無数の死体達。

 彼らは何の罪もない、ただこの家に集まり優雅なパーティーを楽しんでいただけの無辜の市民たちである。不幸にも彼らはこの男に目をつけられ、パーティーに乱入した男は無慈悲にも参加者たちを皆殺しにしたのだ。己の昂りを抑えるため、欲求を満たすためだけに。

「……けど、どうせなら再会は劇的に、だよなァ……」
ラム酒ボトルを握る男の腕に力が入る。無意識に込められた握力が、力任せにボトルを砕いた。「もっともっと俺に会いたいと思ってくれ……!俺を想ってくれ!」拳を強く握りしめ、テーブルを叩く。「こんぐらいじゃまだまだ足んねェんだよ……!」その目は潤み、目尻から一筋の涙が流れカウンターへと落ちた。

「だからよ……もっとアンタに見てもらうためにも……」酒に……あるいはもっと別の何かに酔った男のどろりと濁った瞳が残忍な赤い光を宿す。その指の隙間から、握り潰されて一塊となったガラス玉が床に落ちた。ガラス玉の中央にオウムのイラストがコハクめいて閉じ込められている。……何かの暗示のように。

「アンタの大切なもの……また奪ってやらなきゃなァ」男はグラスの中の氷を摘まんで口に放り込むと、立ち上がり夜景を一望するベランダへと出た。純度の高い硬い氷が口の中でバリバリと音を立てて砕ける。男はベランダの手すりに飛び乗り、躊躇うことなくそのまま眼下の夜景へと飛び下りた。

「……なぁ?ホワイトパロット=サン……」


2

 満漢全席めいてテーブル上に並べられた料理の数々を男は次々と口へ運ぶ。床に着くほど伸ばし放題の白い長髪は食事の邪魔にならぬようにと肩で一纏めに結ばれ、その整った凛々しい……しかし手入れの一切されていない世捨て人のごとき顔立ちが露になっている。

 やはり手入れのされていないのだろうキモノは土や泥、草花の汁、そして赤黒いシミに染められ元の色は分からぬ。だが、薄汚れてなおどこか気品を放っていた。料理を一心不乱に口へと詰め込む様も一見不躾極まりないが、その所作自体はやはりどこか品を感じさせる。男は最後のスシを嚥下しチャで喉を潤した。

「アー……その……なんだ……助かった。恩に着る」積み上げられた食器の前で男は頭を下げる。常人の1日分の摂取カロリーを優に超す食事がほんの数分で彼の腹の中へと消えた。「絶望だなんだと口では言っても……結局この体は死にたかねぇんだな……」少年……ソメゴロははにかんだ。「いえ、いいんです。情けは何とやら、というやつです」

「こんな時代ですから、助け合いですよ」ソメゴロは胸を叩く。そして、「……まあ、そもそも両親が稼いで手に入れた食料をうちのイタマエが料理してくれただけで、僕は何もしてないんですけどね」と恥ずかしそうに笑った。「なるほどまぁ……」男は楊枝を咥え、辺りを見渡す。

 華美ではないが上品にコーディネートされた部屋、広い屋敷、更に広い庭。キッチンには専属料理人がいて、廊下ですれ違ったのはメイド。フスマの間からこちらを覗き警戒するのは護衛の者か。そして、この時代に得体の知れぬ行き倒れを家に招く善性と不用心さ。「……お坊っちゃん、って感じだな」

「ええ、まあ、坊っちゃんなんです」ソメゴロは照れくさそうに頭を下げた。「お陰で他の皆よりは裕福な暮らしをさせて貰っていますが……時々後ろめたくも思います」(んな事気にしなきゃいいのによぉ……ますますお坊っちゃんだな)俯いたまま黙り込んだソメゴロを見、頬杖を突きながら心の中で呟く。

「アー……まぁ、持つものと持たざるものなんてのは絶対生まれるモンだろ。万物が平等に均された世界なんてのは気持ち悪ぃしよ」説教じみた己の発言に痒みを感じながら男は続ける。「……結局のところ何を為すか、だろうぜ。……それで、お前がお坊っちゃんだったお陰で俺は助かったわけだしよ」

 男は恥ずかしくなりソメゴロから顔を背けた。(「何を為すか、だろうぜ。」……だとよ!何も為せなかった俺が、全て諦めた俺が。……我ながらしょうもねぇアドバイスだな)声に出さず自虐する。(ホントにしょうもねえ……)頭を掻く。……頭を掻いて色々な感情を誤魔化すことがいつの間にか癖になっていた。

「そう、ですよね。うん……!」不意にソメゴロが己の頬を強く叩き、急な行動に男は少しビクッとした。「すみませんでした暗い話をして!」吹っ切れたのか、あるいはそう取り繕ったのか、その顔は明るさを取り戻した。「お……おう。参考になったんなら……まぁ……」

「アー……んじゃ……」「おっと、そろそろ時間でした」別れを切り出そうとした男の言葉は、タイミング悪くソメゴロに遮られた。「……用事か?じゃあ……」「そうだ!ぜひ見ていってくれませんか?」言葉は再び遮られ、男は頭を掻いた。「見るって…ろ何を」

「カブキです。我が家のコウライ・カブキ、その練習を」「コウライ・カブキだと……?」男の表情が険しくなった。


◆◆◆


 ホワイトパロットはホワイトボードへとペンを走らせる。プラズマライオン・ヤクザクラン、ペイルユーレイタタリ・ヤクザクラン、ポイズンヒマワリ・ヤクザクラン、パインアップルグレネード・ヤクザクラン、ペンギンフロムへル・ヤクザクラン。

 ペインフルファング・ヤクザクラン、パープルオイラン・ヤクザクラン、パピヨンフレイム・ヤクザクラン、パワーオブシロクマ・ヤクザクラン、パイ・ウー、ペガサスゾンビー・ヤクザクラン。プラチナスカルヘッド・ヤクザクラン。……ここ1ヶ月で壊滅させたヤクザクランの数々。

 クランの年季から規模、活動内容まで一切の共通点はない。余所から来た零細ヤクザクランが地上げを始めたかと思うと、それを壊滅させた次には地元の由緒ある大ヤクザクランが地上げを始める。どさくさで入り込んだ大陸系のヤクザクランが背後にいることすらもあった。一貫性がない。

 オヤブン達、あるいはその秘書・側近達へと「尋問」を幾度となく行ったが、返ってくる言葉は皆一様である。……「分からない」「オレは何も知らない」「契約書と計画表は気付いたら置かれていた」「どうしてもやらなければならない、何故かそう感じた」彼らの言葉は真に迫り、嘘偽りはないだろう……少なくとも当人の認識上では。

 1ヶ月経過してもなお手がかりは無し。だが、ホワイトパロットは薄々と何かを感じ取っていた。……コウライヤを潰す目的にしては行動が雑すぎる。毎回裏工作するでもなく偽造契約書という同じ手口で迫り、応じぬと見るや暴力に訴え出るという同じ手法で地上げを完遂しようとする。それも1ヤクザクラン毎に、順番に。

 これだけのヤクザクランを操れるのならば複数クランを纏めて差し向ければ良い。なんなら全面抗争でも起こした方がコウライヤに対しよほど効果的だろう。それなのに何故逐次的に、代わる代わるヤクザクランを差し向ける?地上げというよりも、むしろ嫌がらせじみて……。

「嫌がらせ……」ホワイトパロットは呟く。全てが嫌がらせであるのならば筋は通る。コウライヤを潰すことが目的でないのなら作戦内容にこだわる必要はない。雑なワンパターンであっても問題はなく、むしろ全く同じ手法を使うことで「俺がお前を狙っているぞ」とアピールするつもりでもおかしくはない。

 嫌がらせだとして、誰に対し誰が何のために?「まさか……な」ホワイトパロットは険しい表情をし、腹部の傷を触る。彼には心当たりが一つだけあった。……濁流に落ちてゆく人影がリフレインする。因縁、遠き日の悪縁だ。「……お前なのか?私のインガが、再びコウライヤに牙を剥くというのか……?」

 不意に、ショウジ戸の向こうから声が聞こえた。「……入ります」ノックの後、戸を開けて部屋へと入ってきたのは一人の青年。「……まだ起きていたのか」ソメゴロ。来年には二十歳になる、次代のコウライヤを担う者だ。「お疲れ様です。今日もまたヤクザクランを……」

「お前は気にしないで良いと何度も言っているだろう」優しく、それでいて明確に一線を引く。……このような些事に関わらせるわけにはいかぬ。「けれど……一人ではあまりにも負担が……」「大丈夫だ、私がなんとかする。だからお前は早く寝なさい。明日も忙しいだろう」

「……分かりました。お休みなさい」ソメゴロは何か言葉を噛み殺し、ホワイトパロットの言葉に従い部屋を出た。ソメゴロ、コウライヤの明日を背負うに相応しい者。肝心要なる未来のコウライヤ当主。余計な案件になど巻き込むわけにはいかぬ。……それが己の因縁に起因するものかもしれぬのならば尚更。

 コウライヤの未来のため、ソメゴロのため、一刻も早く解決しなければならぬ。……あの日為せなかった責任を果たすときが来たのだ。「もし、これが私への嫌がらせだというのならば……」呟きながらホワイトパロットは立ち上がり、大きな資料棚に並ぶファイルを一列纏めて取り出した。

 ファイルの中身はこれまでのヤクザクラン殲滅時の資料だ。丁寧にパンチングされ納められたその全ての資料をファイルから外し、大テーブルの上へと無造作に、同時に資料同士が重ならぬように広げた。一面の資料を眺めるその瞳が痙攣じみて細かく高速に動く。

 ニンジャの視力と記憶力、判断力を以てホワイトパロットは一瞬のうちに全ての資料を再確認した。「……やはり、共通事項は無し」完全なる空振りである。ホワイトパロットは頭を掻いた。「一連の地上げが嫌がらせであるのならば、何かサインを残しているはず……。こちらへのメッセージを、自己顕示のための何かを……」

 ……ならば思い違いか?しかし、そうは片付けられぬ。不穏な予感が彼の首筋をぞわぞわとくすぐっている。腹の傷が、癒えぬ傷がジクジクと痛む。ホワイトパロットは眉間に指を当て、過去の記憶を呼び戻した。彼のニューロン内で各現場での記憶が映像として、複数の窓で同時に再生される。(資料には残されぬほどの小さな……それでいて後で気づいた私が歯噛みするような何か……)

 掛け軸……兜……カタナ……違う。ヤクザの事務所に普遍的にあるような物ではないはずだ。嫌がらせならばこちらへのサインはある程度難しく、それでいて解けない程ではない難易度にするはずだ……こちらを嘲笑うために。ならば、一見分からぬように偽装しつつ、どこかにわざとらしさを残すだろう。

 絵画……木彫り人形……花瓶……。違うと脳内で言いかけ、寸前で留まる。……何かが引っ掛かった。絵画……ではない。様々な絵が飾られていたが、その中に特別変わった物はなかった。木彫り人形……でもない。大半が熊を象ったそれは、ごく一般的なインテリアだ。……花瓶。

 花瓶。花瓶などどこの家にあろうとおかしくはなく、ヤクザ達は特に季節の花々を飾る風潮もあり全ての現場に花瓶があったことに何の不自然さも無い。……無いはずなのだ。それでも……何かが……。悪趣味な純金花瓶、シックな黒漆塗り花瓶、市販品の花瓶。……やはり取り立てて変なものはない。

 ……いや、待て。ホワイトパロットは目を見開く。花瓶そのものに異常は無し。……ならばその中身には?そういったブームがあるものかと見逃していた。ワビサビの一種であろうと勝手に納得していた。しかし……あれはやはりおかしかったのだ。……花瓶に活けられた枯れ枝は。

 ……枯れ枝、それは奴が名乗った名前にも関連している。分かってしまえばあまりにも露骨な自己主張。だが、ここに至るまで気付くことができなかった。……露骨なサインを見逃すほどにホワイトパロットには余裕がなかったのだ。ずっと背負い込んでいた責任と義務感は無自覚なまま私の精神をここまで蝕んでいたのか。

 ……そして何より、奴が黒幕である可能性をホワイトパロットは無意識に排除してしまっていた。……奴が生きていると、生きて再び己の前に立ちはだかると思いたくなかったのだ。……我ながらなんと惰弱な思考であろう。未だに覚悟もできていなかったのか。「……枯れ枝、お前のサインは確かに受け取った」ホワイトパロットは呟く。

「だが、これだけではまだ足りまい」……奴ならばこの枯れ枝に自己主張の意味だけではなく、何らかのヒントを与えているはずだ。自分の元へとたどり着いてもらうためのヒントを。ホワイトパロットは深く思考する。……第六感は何らかのアラートを発しているが、具体的な答えを出せぬ。

 ……答えを出せぬということは、情報が足りていないという「答え」に他ならぬ。ホワイトパロットは立ち上がり、椅子に掛けられた外套を手に取った。「このまま会議室で唸っていても埒が明くまい。……再び現場に行く他ないか」外套を纏ったホワイトパロットは会議室の窓を開け、夜景の街へと飛び出す。

「イヤーッ!」木々を踏み、看板を踏み、建物側面を駆け上り、周囲で一番高いビルの屋上へと瞬時に至る。ホワイトパロットは北の空を見た。全ての始まり、最初に壊滅させたヤクザクラン事務所の方角を。「イヤーッ!」ビル屋上からビル屋上へと跳び移る。

 雨こそ降ってはいないが、厚い雲が夜空を覆い隠した重く暗い不穏な空模様であった。ホワイトパロットはビルを飛び石にし、色付きの風となって夜の街を駆ける。雨が今にも降り出しそうな空の下、眼下に広がる深夜の街はそれでもなお活気溢れた声に包まれ、昨今の景気の良さを感じさせる。

 ホワイトパロットは一心不乱に跳び続け、やがて街の喧騒から離れた広い邸宅へとたどり着く。パステルドクガエル・テンペスト・ヤクザクラン邸宅。……元、と言うべきか。明かりは無く、広い屋敷や庭に人の気配は一切存在しない。鏖殺したからだ。

 屋敷に踏み込み、照明のスイッチを入れる。光が真っ暗な空間を瞬時に照らし、美しいタタミと過度に豪華な装飾達、そしてそれらを汚すどす黒く変色した血の染みを露にした。秘密裏に処理したヤクザ達の死体を除き、屋敷の中は襲撃当時の姿をそのまま保っている。

 警察機関への根回しによりホワイトパロットによるヤクザクラン鏖殺の数々は事件とはならず、何も起きてはいないものとして片付けられた。故に屋敷に捜査の手は加えられず、ヤクザの敷地に侵入するような愚か者もまた早々いない。監視役も襲撃後に立ち入った者は居ないと報告している。

 ホワイトパロットは土足のままタタミへと上がり、血で汚れた屋敷を歩く。壁には血で汚れた「仁義」の掛け軸。かつては彼らも昔気質なヤクザクランだったのだろう。偽造書類による強制地上げなどしないような。奴に狂わされ、ホワイトパロットに殺された、哀れな被害者。

 ……同情はせん。コウライヤと敵対した、それだけで悪なのだ。事情など一切関係ない。コウライヤに仇為す者は全て殺す。それがコウライヤの守護者たる者の務め、義務なのだから。ホワイトパロットは半開きのフスマを開け、離れにあるオヤブン部屋へと踏み込む。

 様々なヤクザ美術品で彩られた血塗れの部屋。オヤブンが死の寸前まで飲んでいたトックリとオチョコがタタミの上に転がり、側近ニンジャの爆発四散痕が残る。……そして、棚の黒漆塗りの花瓶には枯れた枝が刺さっていた。「花瓶に活けられた枯れ枝……」ホワイトパロットは花瓶に手を伸ばす。

 KRAAAAASH!ホワイトパロットが触れる寸前、花瓶は突如として砕け、破片と水を辺りに飛び散らせた。棚の上に落ちた枯れ枝、その下には……1枚の手紙。防水用紙に書かれた手紙は、恐らくはずっと花瓶の中に沈められていたのだろう。ホワイトパロットは二つ折りの簡素な手紙を開いた。

『やっと見つけてくれたか、待ちくたびれたぜ』見覚えのある、小汚ない字。『呪わしき再会を祝して二人で飲もうぜ、ホワイトパロット=サン。……俺の居場所は分かンだろ?もし分かんねェってんならそれまでだ。俺からのラブコールを永遠に受け続けな』

 ……ホワイトパロットは手紙を握り潰した。


◆◆◆


 それから数分ほど後。「イヤーッ!」窓ガラスを突き破り、ホワイトパロットは屋内へと飛び込んだ。そこは郊外の川沿いに立つ高層マンション。富裕層をターゲットに建造が始まったものの立地などの問題から思ったほどの集客が見込まれず、追い打ちをかけるように建設会社の様々な不正が発覚、内装が作られぬまま放棄された廃墟である。

 そして……コンクリートの壁や床、天井のあちこちに何か化け物が暴れまわったような大穴や傷、被害の跡が残るそこは、かつてのイクサの開始点であった。

 簡素なエントランスのみが作られたコンクリート打ちっぱなしの空間。埃とカビの臭いが満ち、1部の壁では貼り付けられたままの防護用のビニールが経年劣化を始めていた。剥き出しの壁面や天井には断熱材として石綿が吹き付けられている。現在では使用が禁止された有害物質だ。

 奴が居るとすれば最上階か。上に昇るには階段かエレベーターだが、エレベーターが作られる予定であった場所はあいにく単なる吹き抜け空間となっている。そもそも電気もまともに通ってはおるまい。ホワイトパロットは壁の大穴をくぐり抜け、簡素に作られた未完成の階段を駆け上がる。

『覚えていてくれたようで嬉しいぜェ!ホワイトパロット=サンよ!』建物中から声が響き、ホワイトパロットは足を止めずに周囲を見渡した。コンクリート打ちっぱなしの壁のあちこちに雑に設置されたスピーカーと剥き出しの配線。わざわざこの日のためだけに電源を用意し設置したか。

『アンタと俺の付き合いだ。俺の事はよぉ~く知ってるもんな?当然か』……挑発か何かだろう。言葉を半ば聞き流しながら階段を駆け上がる。ただでさえ足場の悪い階段の1部は、なんらかの強い衝撃を受けたのか途中で崩れている。「イヤーッ!」迷わず跳ぶ。壁を蹴り、無事な階段へと着地。

 着地した階段が衝撃で崩れた。傷跡から経年劣化が進んだか、あるいは手抜き工事の影響か。構わず、崩れ落ちるコンクリートブロックからさらに跳び、壁を蹴り、再び階段へ戻る。そしてホワイトパロットは踊り場で立ち止まった。……どういう建設順序をすればこうなるのであろうか、踊り場より先は仮階段すら作られておらず上れぬ。

 踊り場には扉が一つ。押し開けた先には、順当に建築が進めば各部屋が作られていたのであろう、コンクリート柱が等間隔に並ぶだけの何もない、何も為せていないがらんどうな広間。……己の人生を思わせる虚無をホワイトパロットは駆け抜ける。『この1ヶ月、俺の事をずっと想ってくれてたのが伝わるぜェ』

 ホワイトパロットはベランダに飛び出し跳躍。上の階にベランダは無い。軒を踏み、窓を突き破った。コンクリート床を転がる。「ダッテメッコラー!?」「ナンシャガッタコラー!」「スッゾコラー!」唐突なヤクザスラングに顔を上げると、如何なる事であろうか、広間には無数のヤクザの姿が。

『サシで話し合いたい所だが、まずは俺のオトモダチを紹介させてくれ』「ザッケンナコラー!」ヤクザ達はホワイトパロットへとドス突撃を試みる。その表情には敵意というよりも困惑と恐怖、ヤバレカバレが浮かんでいた。……どこからか連れ去られてきた被害者か。

 ……関係ない。知ったことではない。敵だ。『彼らはパラベラムスフィンクス・ヤクザクランの皆!祝宴に駆けつけてくれたゲストだ!ウーフー!』「イヤーッ!」ホワイトパロットが強く踏み込み、目視不可能な速度で跳んだ。「アッコラー……?」戸惑うヤクザ達が袈裟斬りに切断された。「アバーッ!」

「イヤーッ!」ベランダを突き抜け停止、さらに上階へ跳ぶ!『第一ゲストはそろそろ退場したかな?お次はポロロッカ・カラミティ・ヤクザクランの皆!』次の広間にもヤクザの群れ。彼らもやはり困惑しているようだった。「ザッケ……」「イヤーッ!」一瞥もせず跳ぶ。「アバーッ!」

「イヤーッ!」上階へ突入!『ラストのゲストはァ!プルシャンブルースカラベ・ヤクザクラン!』やはりヤクザの群れ。……その手にはヤクザRPG。『フィーチャリング!ロケットランチャー!イェー!』「ザッケンナコラー!?」ヤクザ達は困惑したまま思わずロケット弾を発射!

 KABOOOOOOM!手抜き工事の上に老朽化しつつあるコンクリート床が砕け、哀れなヤクザ達は自らの引き金で下階へと落ちてゆく。当たり所さえ良ければ助かるだろう。「イヤーッ!」爆発を避けたホワイトパロットは瓦礫を踏み跳躍。空中のヤクザを踏み、さらに跳ぶ。「ザッケングワーッ!?」

 無事な足場へと着地し、すぐさま駆ける。上階へと……最上階へと!『ラストを締めくくる花火は楽しんでもらえたかな』「イヤーッ!」ガラスを突き破り突入する!最上階、そこは無数の酒ボトルが散乱し、何処からか拾い奪ってきたのであろう家具で埋め尽くされたケオスの坩堝。

 鳥がペイントされた白い旗が風に揺れる。……あの時と何一つ変わらぬ、時間に取り残されたかのような部屋。それは奴の象徴か、あるいは己自身の……。『さァて余興も終わりだ』物陰から声が響く。ホワイトパロットは跳んだ。『積もる話でもサカナに、こっからはサシで飲もうぜ』「イヤーッ!」

『……って言いたい所だが』ホワイトパロットが破壊した衝立の向こう側、そこには誰も居ない。「バカな……」そこに置かれているのは……古臭いテープレコーダーであった。『不思議か?アンタも俺の事はよく分かっているハズ……いや、ハズなんかじゃねぇ。アンタは俺の事をよく分かっているんだ、当然』

『けどよォ……けど!俺の方がもっとアンタの事を解っている!誰よりも!アンタ自身よりもだ!』ホワイトパロットは周囲を見渡す!隠れられる場所は……もはや無い!『アンタが俺の事を考えていたのは人生の何割だ?俺は人生の9割……いやそれ以上をアンタの事を想って生きてきた!』

『だからアンタの考えは、来るタイミングは全部分かンだよ』「……!」ホワイトパロットはレコーダーを投げ捨て、ビルの最上階から一気に飛び下りた。……マズイ。ここに奴はいない。手紙は嘘だ。奴が次に狙うのは私ではない!「イヨーッ!」着地の衝撃を全てアスファルトへと押し付け、そのままホワイトパロットは跳ぶ!

『俺達の感動的な再会にはまだ早ぇ。早すぎるんだよ。もっと、もっと!もっと必要なんだ!』踏みつけたアスファルトが陥没し、木の枝が折れ、壁が凹み、電柱が傾く。ホワイトパロットは気にも留めず、ビルや看板を破壊しながらただ駆ける。一心不乱に、コウライヤ本社へと!

『もっとヴィンテージに熟成されたアンタの感情を!コハクみてェに芳しく濃密になった怒りをよォ!その全部を俺に向けてくれ!俺にぶつけてくれ!ホワイトパロット=サン!』「イヤーッ!」駆ける、駆ける、駆ける!その白髪をはためかせながら、必死に!

「……!」ホワイトパロットの携帯端末に連絡が入る。走りながら通話を繋げた。『こち…………コウライ……本…………!』高速移動の影響で電波が安定しない。こちらからの言葉も風に遮られ届くまい。ホワイトパロットは会話を諦め声に耳を澄ませた。『今…………本社…………何者…………襲撃……を…………!』

「やはりか……!」ホワイトパロットは限界以上に足を動かす。「どうにか……私が戻るまで……どうにか保ってくれ……!」必死の形相で祈るように目を閉じた。

『……アンタの大事なモン、全部奪ってやる』ビルの最上階、投げ捨てられたテープレコーダーが最後の音声を発し、静かに動作を止めた。


3

 ドージョーめいた板張りの部屋。艶やかな床の上で、紺色のキナガシを着た少年……イチカワ・ソメゴロはナギナタを構えて正座し、静かに目を閉じていた。激しく降りしきっていた雨は夜の深まりに連れて弱まり、今では雲の間から月の光が細く差し込んでいる。

「イヨーッ!」ソメゴロはカブキシャウトと共に正座状態から跳び上がり、目を見開いて前を睨んだ。「イヨーッ!」頭上でナギナタを振り回し、腋に構える。そして反対の掌を正面に突き付け、片足立ちになった。「イヨォーッ!」大きな足音を立てながら、跳ねるように駆ける。

「イヨーッ!」筒状に巻かれたタタミの脇を駆け抜け、すれ違いざまにナギナタを下から掬い上げるように振り抜く。「イヨーッ!」逆袈裟に切断され落下するタタミ上部が空中でさらに両断された。「フーッ……」ナギナタの柄を床に突き、ソメゴロは大きく息を吐く。

 彼らから大きく離れた部屋の隅、邪魔にならぬ場所で男はアグラをしながらソメゴロを見ていた。「……コウライ・カブキと言やあニンジャを殺すための技術。警戒したが……なるほど、舞踊の方か」呟き、無意識に頭を掻く。(ニンジャが表舞台から消えて幾星霜……そりゃあそうなるか)

(しかし……あの頃はモータルの技のひとつとしてしか見ていなかったが、改めて見ると……)玉のような汗を流しながら舞うソメゴロをじっと眺める。(カブキ……モータルの芸能。なるほど……ニンジャにゃ至れぬ境地だ)血縁に頼らぬ情報の伝播と熟成。ドージョーの在り方に根本的な差はないはずだが、何がこうも違うのだろうか。

 男はソメゴロのカブキトレーニングをただ見ていた。瞬きすらも忘れ、ただじっと。……目を離すことができなかった。ソメゴロの火花のように儚く煌めく若さが、紡がれてきたカブキの技術が、モータルの輝きが彼を惹き付けて放さなかった。


◆◆◆


『敵襲!敵襲!闘える者は武器を取り立ち向かえ!高位カブキアクター達をお守りせよ!』コウライヤ本社の各所で赤い緊急ランプが回転し、甲高いサイレン音と緊急の放送音声が駆け巡る。無数のガードマン達が宿直室から飛び出し、サスマタを構えメインエントランスへと走る。

 数分前、守衛2名がコウライヤ敷地内へと侵入しようとする不審人物を発見、押し止めようとするも殺害されたという速報が社員全員に届いた。不審人物の目的は不明。タイミングから考えてここ1ヶ月続いた地上げと無関係ではないだろう。ソメゴロは上位関係者のみ立ち入れる上層階の仮眠室で携帯端末を見つめる。

 幸いと言うべきか、現在のコウライヤ本社には深夜ということもあって社員の数はそうない。自分のように明日に備え泊まり込んでいる者ぐらいだ。対照的に、地上げ問題への対策としてガードマン達の数は平時よりも多くなっており、普通の不審人物……ヤクザや何らかのジャンキー、狂人であれば速やかに取り押さえられ終わるはずだ。

 ……だが。『敵襲!敵襲!』非常事態を告げるランプやアラートは一向に止まらない。ソメゴロは迷っていた。今から本社外部に逃げようにも、この非常事態では外へ避難できるルートが限られている。不審人物がどこまで侵入しているか分からぬ現在、不意に鉢合わせになる危険性が非常に高い。

 上層階は強固なセキュリティによって守られている。屈強な護衛が複数人巡回しており、非常時には各所で防護シャッターが降りて侵入を拒む。壁には金属板が仕込まれ銃器や爆発物への対策も万全。侵入者が処理されるまでこの上層階に立て籠るのがマニュアルにも記された正しい対応ではある。……普通ならば。

 果たしてこの侵入者は普通なのか?無数のガードマンが駆け付け応戦しているだろうに未だに警戒警報が止まぬこの不審人物を、普通と判断して良いのか?このタイミングにちょうど父が本社を離れているなんて、あまりに作為的過ぎはしないか?……本当にここに残っていて安全なのか?

 ヒントはどこにも無い。正しい、正解の選択などというものもありはしない。ただ己の選択とそれに付随する未来が待っているだけであり、正誤などというのは神の視点による結果論でしかない。……ならば、自分の直感を信じるのみ。ソメゴロは意を決し、仮眠室の扉を開けた。


◆◆◆


 男は侵入を拒むように降りたシャッターに手を当てると、そのまま指先をシャッターへと捩じ込んだ。「イヤーッ!」強固な金属シャッターにズブズブと指が沈み込み、男はそのまま紙でも破るかのように引き裂く。いかに鍛え上げられた人間であろうと不可能な芸当である。

 男はシャッターの穴に再度手を入れ、己の長身が通れるように力任せに穴を広げた。「まあ、こんくらいなら通れッか……」その細身な長身を穴に通し、男はコウライヤ本社の上層階へと侵入する。彼の足元には赤い足跡が長く続いていた。……おそらくはメインエントランスからずっと。

 彼の通った道には数多の血溜まりと、そして数多の死体だけが残る。彼の前に立ちはだかったカブキアクターやガードマン達は全員殺され、不運にも彼と遭遇してしまった者達もまた、残らず殺された。……そして、その暴威はついにコウライヤ本社上層階へと至る。

「さァて……何処にいるかなァ……」男は呟き、己がこじ開けたシャッターの穴をまた強引に引っ張り、千切り、捻り、無理矢理に塞いでしまった。……獲物を逃がさぬために。目を細め、歯を見せて、残忍な猟犬は身の毛もよだつ笑顔を浮かべる。「……楽しい楽しいかくれンぼの始まりだ」

 細く長い指を壁に這わせ、機嫌良さそうに鼻唄を歌いながら、男は赤いランプが光る廊下をヒタヒタと進む。「アッ……」廊下の曲がり角、飛び出してきたカブキアクターと目が合った。不安感に立て籠り続けることができず、先ほどのシャッターに付いていた非常時用のドアから下階、そして外へと逃げようとしたのだろう。……もう歪み、開くこともないだろうが。

 口元を隠した血濡れの黒レザー男。……あからさまな不審者。目の前の男が侵入者だと一目で理解したカブキアクターは、必死に命乞いをしようとした。「た……助け……」「イヤーッ!」首を切られ、カブキアクターは悲鳴も上げられずに死んだ。「おっとヤベェ」床を転がるカブキアクターの生首を男は慌てて追いかけ、髪を掴んで拾い上げる。

「見失ったら面倒だぜ……エエト……この顔は……知らねェ。ハズレだ」興味が失せたように生首を後ろへ無造作に投げ捨てた。彼にとって「当たり」は一人。それ以外は全てハズレだ。ここまで殺してきた全てがハズレであり、彼らは意味もなく死んでいった。「ここはどうかなァ……」男はトイレへと立ち入る。

 トイレに個室は6つ。ドアは全て閉じ、使用状態を表す表示は全てが青、未使用を示している。男は入り口側から順番にドアを押し開けてゆく。1つ目、無人。2つ目、無人。3つ目、無人。4つ目、無人。5つ目、無人。6つ目……。「イヤーッ!」勢い良くドアを押し開けた。中は……無人。「チッ……ハズレかァ」男はトイレの出口へと向かう。

 ……その途中で踵を返し、清掃用具入れを開けた。「ざァんねんでしたァ」清掃用具入れの中に座り込む少年が、恐怖で声も出せずに失禁した。……「当たり」ではない。「またハズレかァ……まァいいや」目標ではない、そして抵抗する力も意思もない子供に男は手を伸ばす。当たり外れとはまた別に、殺人自体が彼にとっての娯楽であった。

 蹲踞姿勢となった男の手が少年の首へと触れ……BLAM!突如銃声がトイレに響き、タイルに穴を開けた。撃ったのは男ではない。もちろん少年でもなく……トイレの入り口に立つ青年が拳銃を構えている。TELLING。排出された薬莢がタイル床を跳ねた。「つ……次は当てるぞ……!離れろ……!」

 男は首をぐるりと回し、青年を見て恐ろしい笑顔を浮かべた。「……アタリだァ」青年、ソメゴロは震える手で拳銃を構える。護身用に持たされた武器だが人を撃ったことはもとより、数度の訓練以外で使ったこと自体がそもそも無い。銃砲許可証こそ所持しているが、それすらも何年も前に取ったきり使ってはいなかった。

 銃口を男へと向けながら、ソメゴロは緊張感に瞬きをした。瞼を閉じ、再び開けると男は目の前にいた。「イヤーッ!」「グワーッ!」腹を蹴られ、ソメゴロは衝撃でそのまま廊下へと転がり壁にぶつかって止まる。「……!ゴボーッ……!」横たわりながら腹を押さえて嘔吐するソメゴロへと、男はニヤニヤと笑いながらゆっくりと歩み寄る。

「おい、どうした?もう終わりかァ?」横たわるソメゴロを男は爪先でつついた。あからさまな殺意を滾らせながら、しかし殺そうともせずに下卑た微笑みで見下ろしている。獲物を弄ぶ肉食動物の瞳、お前などいつでも殺せるという自信の現れ。慢心。……ナメやがって。恐怖以上に怒りが湧いた。

 BLAMN!「オット!」眉間を狙った銃弾を、男はヒョイと避けた。TELLING!排莢音が響く。銃弾が天井に命中し蛍光灯を破壊するのを見、男は手を叩いて笑った。「ハッハァ!ブルズアイ!」振り返ると、吐瀉物と薬莢を廊下に残してソメゴロの姿は消えていた。遠ざかる足音。

「……へェ。いいじゃねェか……そう来なくちゃなァ……!」男は一切慌てることなく、獰猛な笑みを浮かべてゆっくりと廊下を歩き始めた。「お次は鬼ごっこかァ」


◆◆◆


「クソッ……!なんだって言うんだ……!あいつは!」必死に走りながらソメゴロは激怒していた。瞬きの間に距離を詰め、至近距離で撃った弾丸を躱すだと?ふざけるな。理不尽が過ぎる。ここに至るまでに数多くのガードマン達と交戦しただろうに一切疲労の色を見せやしない。

 奴は人間の範疇を超えた化け物だとしか思えぬ。不条理だ。己の腹に手を当て内臓を触る。ズキズキと激しい痛みが苛むが、内側への損傷は軽微か。……奴は明らかに手加減をしていた。そうでなければこの程度では済まず、確実に死んでいただろう。それがまた腹立たしい。

 理不尽への怒りと怨嗟を燃やしながら必死に走る。奴は私を「当たり」だと言っていた。そして全身を返り血に塗れさせながら、殺意を剥き出しにしながら私には手加減をした。……奴の標的は私で、単に殺すのではなく嬲り殺しにしたいのだろう。ならば、逃げる私を面白がって追いかけている内にせいぜい時間を稼がせてもらう。

「坊っちゃん!どうかお逃げを!」屈強なカブキガードマン達がソメゴロを庇い、ナギナタを構えて男へと突撃してゆく。幼少より厳しい鍛練を受けてきた、コウライヤに代々仕える超一流のエリート護衛達。そこらの武道家師範など優に超える武力を各々が持っている。

「ハハハァーッ!」「アバーッ!」愉しげな声と断末魔の叫びが廊下に響く。……人ならざる者としか思えぬあの男には彼らであっても歯が立たぬか。ソメゴロは背後を振り返らぬ。彼らの死を無駄にしないため、彼らが立ち向かい僅かに作った時間を活かすために必死に走り続ける。

 コウライ・カブキは教えの一部にカラテ要素を含むため、コウライヤのカブキアクター達は厳しいカラテトレーニングもカブキの一環として重ねている。当然ソメゴロもかなり腕は立つ方だ。それでも、荒事を本職とする超一流ガードマン達には流石に敵わぬ。そんな超一流ガードマン達が容易く殺されてゆく。

 時間を稼ぎ反撃の隙を、起死回生のアイディアを探そうとしていたが、奴に立ち向かうなど無謀なのではないか?脳裏を警告が過る。それでも今さら他に選べる路はない。完全に標的とされた今、逃げられる先などありはしないのだ。……たとえ隙もアイディアも未だに見つかっていないとしても。

「アーハハァーッ!」「アバーッ!」高笑いしながら、カラテガードマンを殺しながら男はソメゴロを的確に追い続け、その背中へじわりじわりと迫る。あえて少しずつ追い詰め、その絶望を楽しむつもりか。……ふざけるなよ。底意地の悪い怪物が……!憤怒を燃やす。本能的な恐怖と傷の痛みを克服するために。

 階段を数度昇り、彼らは既にコウライヤ本社の最上階へと至っている。カブキ茶室を中心に最高位カブキアクター専用施設や部屋が複数並び、それらを繋ぐ回廊で構成されたフロア。逃げ回れる範囲はそう広くない。回廊を周回しようにも、奴は階段や扉を破壊して後戻りの路を塞いでいる。恐らくは回廊すらも何らかの方法で封じるだろう。

 ソメゴロは回廊を曲がる。彼にもはや逃げ場は残されていない。ただ一つの階段を残して。……しかし、その階段を昇るということは自らネズミ袋へ飛び込むことに他ならぬ。階段を昇り切ればそこは屋上。迫る男と逃げ場の一切無い屋上、完全なる詰みだ。

  ……ならばここに留まるか?答えの決まりきった自問自答を投げかける。留まったとてそれもまた別の詰みでしかない。ならば少しでも逃げ続け、時間を稼ぐことが己の使命だろう。ほんの1分、いや1秒であっても。……父が、マツモト・コウシロが本社へと戻り、コウライヤの敵を滅殺するために必要な時間を。

 階段を駆け上がる。怒りが薄れ、恐怖心と痛みが振り返し始めていた。……激しい怒り維持し続けるのは常人の精神では厳しい。心の底から沸き上がる怒りであっても、炎はいずれ弱まり、燻り、そして消える。無理矢理に絞り出した怒りならば尚更だ。精神の磨耗に、精神的カロリー消費に心が耐えられぬ。ソメゴロは冷静になってしまっていた。

「クソッ……!クソッ……!」頬を張り己を奮い立たせようとするソメゴロの背後に、階段を昇る足音が近付いていた。「クソッ!」どうにか足を動かしてできるだけ遠くへと、屋上の隅へと逃げる。「そろそろ追いかけっこはお仕舞いかァ?」血に塗れた男が屋上の入り口に立った。

「なら、こっからはオタノシミの時間だ」月は厚い雲に隠れ、僅かなライトが照らす深夜の暗闇で男の瞳が残忍に光る。ガードマンの懐から奪ったのであろうナイフに光を反射させながら笑った。「どこから削がれたい?指か?耳か?鼻か?リクエストしてくれていいぜ」

「……何故、私を狙う」ソメゴロは必死に言葉を絞り出し質問した。答えを知りたいわけではない。少しでも時間を稼ぐために。「何故ッて?そりゃ……お前がイチカワ・ソメゴロだからだよ」男は以外にもすんなりと質問に応じ返答した。「ノウト……いや、今はホワイトパロット=サンだったか……が大事に大事にしているなァ」

「ホワイトパロット……?」聞いたことのない名前。「……誰だそれは」訝しげにソメゴロは眉根を寄せた。「なんだ、知らねェのか?お前を育ててくれてるヤツの名前を知らねェのか……恩知らずだなァ」男はニヤニヤと嘲笑した。「まさか父さんの事を言っているのか?……何の名前だか知らないが、個人的な私怨による復讐か何かか。なんと身勝手な」

 男はピクリと震え、こめかみに薄く血管を浮かべた。(会話を続けさせるためとはいえ、挑発し過ぎたか……?)ソメゴロの心配を余所に、男は数回深呼吸し己を落ち着かせた。「復讐?そんなツマンねぇモンじゃねェ……俺は……俺はよォ」射貫くような瞳がソメゴロの目を見た。「……ホワイトパロット=サンに俺だけを見て欲しいんだ」

「……は?」ソメゴロは思わず声を漏らした。「俺に集中して貰うためにゃよォ……お前みたいなのを殺すっきゃねェだろ」これまでずっと笑みを浮かべていた男が、真剣な表情で言った。脂汗を流しながら、ソメゴロは顔をしかめた。「……イカれた発狂フリークスめ。こんな奴にコウライヤはここまで……」

「そんな事をして何になる、何が嬉しい?私達を何だと思っているんだお前は。……ふざけるなよ、クソ野郎が」死ぬ覚悟を決め、ソメゴロは心中の全てを吐き出し男を罵倒した。「ここまでの事を仕出かした貴様はもう逃れられぬ。地の底まで追いかけてでも殺すぞ。父は」男は再びピクリと震え、こんどははっきり見えるほどに血管を浮かべた。

「さっきから父、父ってよォ……ムカつくぜ」薄ら笑いばかり浮かべていた男の顔に明確な怒りが浮かぶ。「……出来るだけ苦しめて『助けてくれ』が『殺してくれ』に変わるまでの様をホワイトパロット=サンへの土産にするつもりだったんだけどよォ……もういいや。もう殺す」男がソメゴロへと迫る。

「来るな……!貴様に殺されるぐらいなら、私は自ら身を投げる!」ソメゴロは屋上の端に立ち、両腕を広げた。……口だけではない。本気で飛び降りる覚悟が顔に浮かんでいる。「あークソッ!メンドくせェ……メンドくせェ!テメェが自分で死ぬのと俺に殺されんのじゃ全く違うだろうがッ!」

「イヤーッ!」男は何処からか取り出した金属片を手に構え、力一杯投擲した。常人の反射速度を遥かに超える速さで星形の金属片が空を裂いて飛び、ソメゴロの心臓へと吸い込まれるように飛んでゆく。ソメゴロは反応することも、認識することすらできず、身投げも叶わない。金属片が……スリケンがソメゴロを射殺す。


 その寸前……白い風が街を吹き抜けた。


 風はコウライヤ本社ビルの側面を駆け上がり、白い羽を纏ってソメゴロの前へと降り立った。彼をスリケンから庇うように。

 スリケンが風を射た。「……グワーッ!」純白の羽が大きく散り、街へと初雪めいて飛んでゆく。白い風が真っ赤に染まる。

 胸をスリケンに射られ、風は……ホワイトパロットは膝を突いた。


4

 ホワイトパロットは白い風と化して駆ける。街を行く人々は急な突風に驚き、身を小さくして守った。全力の疾走でありながら、速度は全盛期には遥かに及ばぬ。時代が、自暴自棄と安寧の時間が、そして古傷が彼を衰えさせた。……これで良いと思っていたが、今この時だけは歯痒い。口惜しい。

 風はすぐにコウライヤ本社へと至った。メインエントランスの自動ドアは破壊され、屋内からは鉄臭い香り……無数の血の香りが溢れ出ている。既にブライティドは社内に入り込み虐殺の限りを尽くしているのだろう。……感傷は後で良い。この非常事態、ソメゴロは出来る限り上へ上へと向かうはずだ。そしてソメゴロを追う奴もまた同様に。

「イヤーッ!」跳び上がり、重力に逆らうように本社ビルの壁面を真っ直ぐに駆け上がる。目指すは屋上。そこにニンジャ気配が確かに存在している。奴が、ブライティドがいる……おそらくはソメゴロと共に!もはや猶予は残されてはいない。噴気孔から吹き出す風のように、力強く垂直に飛んだ。

 少ない電灯で照らされる屋上には二つの影。一つはソメゴロ、もう一つはブライティド。そして、ソメゴロを狙い飛ぶ一枚のスリケン。……ドクン。ホワイトパロットは己の心臓が強く打つのを聞いた。このままではソメゴロが危ない。ホワイトパロットの時間感覚が泥めいて鈍化する。

 ソメゴロを傷付けさせるなど、死なせるなど決してあってはならぬ。コウライヤの未来のため、そして約束を、責任を果たすために、絶対に!スリケンは既にソメゴロの目前、何をするにも時間が足りぬ。取り得る選択肢はそう多くはない。……故に、ホワイトパロットは迷うことなく飛んだ。

 スリケンの鋭い切っ先が、ソメゴロとの間に割って入ったホワイトパロットの胸へと突き刺さる。極限まで鈍化した、殆ど停止した時間の中で、肉を裂かれる激痛が永遠にも近く引き伸ばされる。ホワイトパロットのニューロンに、己の生きてきた日々の情景が奔流となってフラッシュバックした。

 長い……あまりに永い時を生きてきた彼の、その生涯の記憶が。


◆◆◆


「……本当に行くのか?」「ああ」鮮やかな青と緑の美しいキモノを着た男が答え、振り向いた。目尻と頬、唇に紅を引いた艶やかな顔。「ビンガが死にグミョウが死に、シャーリカは先にここを去った。私達の悲願はもはや果たされぬ。……全ては終わったのだ」悲しげに目を閉じ、その端正な顔を横に振った。

「これから、お前はどうする。……どう生きる」「さあな」男は自嘲的に笑った。「山奥で悠々自適の隠遁生活か……あるいは弟子を取ってドージョーを開いてもよいかもな。かつての師のように私が弟子を鍛え、育て上げる。ふふ、それも存外悪くないかもしれんぞ?」

「お前がクランの開祖だと?……フッ、似合わんな」「ふふふ……」二人はしばらく笑い合った。……これが今生の別れであることを、何となく察していた。「……では、サラバだ。我が友の歩む先に幸多からんことを」紫の和傘を開き、男は振り返ることなく極楽の残骸を、夢の跡を去っていった。

 ……それが私というニンジャにとってのひとつの最期であり、それからの長い余生の始まりであった。

 他の生きる目標もなく、他に行く先も無い私は夢の跡に一人残った。やがて何やら大きな戦いが外では起きたという。夢破れ、世捨人のように生きる私には父祖の死すらも関係のない話だった。ソガの天下が始まったことも、ニンジャ殺しの怪物の猛威も、全てがどうでも良かった。

 ……私が一人になってから長い年月が経ち、その頃には起きている時間よりも微睡んでいる時間の方が長くなっていた。やがて私は抗うことのできぬ深い眠りの中へと沈んでゆき……永い夢から目を覚ました時、私は教会の中の、豪華な大理石台座の上に居た。

「そんな……!」「ああ……神よ!」「お目覚めなされた!」「スゴイ!」地に伏せ祈るモータル達を無視して外に飛び出すと、色とりどりの花が咲き乱れる夢の跡はもうどこにも無かった。モータル達は木々を切り拓き、大地を耕し、小さな町を作り上げていた。……男は居場所すら失っていた。

 そして、彼の放浪の旅が始まった。

 モータルに紛れて各地をさ迷う旅の中で、男はニンジャ達がもはや表舞台に立つ存在ではないことを、人々の中でニンジャはすぐ側にある恐怖から神話の怪物へとなりつつあることを、そして己が十全の力が振るえぬことを理解した。ニンジャの時代は終わろうとしていた。

 やがて遠き地でニンジャとモータルとの戦争が起き、最後の戦いに敗北したニンジャ達は皆ハラキリしたとカゼの噂で聞いた。本当にニンジャの時代は終わったのだ。後追いでハラキリする路もあっただろう。……だが、そんな気にもなれなかった。

 生きる目的などはなく、新たな目標を決める気力もなく。……さりとて自死を選ぶほどの信念すらもなく。男はただひたすらに、無為に時間を浪費し続けた。己への失望、厭世感、絶望、虚無。先の見えぬ暗闇の路を意味も目的もなく歩き続ける内に私は……俺は・・荒んでいった。

 ……一度、ほんの一度だけ、気の迷いでモータルを拾い、インストラクションを授けたこともあった。(((かつての師のように私が弟子を鍛え、育て上げる。ふふ、それも存外悪くないかもしれんぞ?)))親友と交わした最後の言葉に唆されたのだ。……結局のところ、それは最終的に厭世感を強めるだけの結果に終わったのだが。

「センセイ、俺、強くなりたいんだ。もう誰にも奪われないように」そう言った少年の顔は、あの時の姿は、記憶の中で黒く塗り潰されて見えない。あの黄昏の時代に中途半端な力を得て調子に乗った奴の未来なんてのは、大抵クソッタレなもんだ。

 それからも俺は記憶にも残らねぇような無駄な日々をただ過ごし続け、有りもしない居場所を求めてさ迷い続けて、何一つ生み出すことのない寄生虫みてぇな生を辞めることも出来ず、死ぬ気はないのにふっと消えてなくなりたいとは願い続け、人に、時代に流されて揺蕩い続けて。そして。

 ……それはいつもと何も変わらぬ夜。激しく雨が降りしきる夜だった。俺の人生みてぇな、全てを台無しにするような雨が苛むように打ち付ける。

 俺はぬかるんだ路をぼんやりと歩いていた。虚無に生き続けるのも精神的に限界だった。(流浪に流浪を重ね……その果てに飢えて死ぬか……)もう数ヶ月は何も食べていない。……食事をする気力すらもはや残っていなかった。ふらりふらりと左右に揺れ、そして泥に足を取られて水溜まりへと倒れ込んだ。

(元々死んだようなものとして生きてきたが……なんと虚しい最後だろうか……)全てを投げ捨てたい、終わりたい。胸中にはそんな感情しか無かった。男は立ち上がらず……あるいは立ち上がることすら出来ず、水溜まりの中で仰向けになって空を見た。分厚い雨雲に覆われ、真っ黒な闇しか見えなかった。これまで生きてきた日々のように。

(いや……これこそ俺に相応しい最後か……)雨粒が責め立てるように激しく顔に叩きつける。俺は死にたかったわけじゃない。けれど、死にたくないわけでもなかった。生きる理由も死ぬ理由も無い虚無な日々が、ある日突然蝋燭の火のようにふっと消えて無くなることだけを望んでいた。……俺はぼんやりと目蓋を閉じた。


「そこで何をしているんですか?」


 不意に、幼さの残る声が男に尋ねた。……物好きな奴が居たものだ、そう思ったのを覚えている。俺は目を開いて声の主を見た。傘を差した育ちの良さそうな少年、それが第一印象だった。「絶望してんのさ……ガキにゃ分からねぇだろうが、長く生きてりゃ色々あんだよ……」それが、初めての会話だった。

 言い終わると同時に俺の腹からグルグルグルと蛇が唸るような音が、降りしきる雨音よりも大きく闇に響いた。「お腹、空いてるんですか?」少年の純真な瞳に見つめられ、男は無性に恥ずかしくなって目を逸らした。……己に恥などという感情が残っているとは思ってもみなかった。

「まあ……絶望の種の一つだな」「それなら、うちに来ますか?きっとこれも何かの縁です」恥を隠すためにおどけて見せる男に、少年は屈託なく微笑んで見せた。「あ……?」……男は、俺はただ戸惑った。「お前……分かってんのか?名前も知らねぇこんな……どう考えても怪しい奴をよぉ……」

 睨み付けようとした俺を、アイツはただじっと見ていた。「僕はイチカワ・ソメゴロです。貴方の名前は?」……邪気のない純真な瞳が、俺を見つめていた。「アー……ハァ……」ばつが悪くなった男は、水溜まりから上体を起こし、濡れた頭を掻いた。

「ドーモ、俺はハクオウ・……」そこまで言いかけて口を噤んだ。……アイサツするなど久しぶりすぎて使うべき名の判断を間違えた。ニンジャなどもはやフィクションの存在になって久しい。そんな名を名乗ればイカれた奴としか思われまい。普段ならそれで良かった……だが、なんとなく少年にはそう思われたくなかった。

「アー……いや」男が他の名を言うよりも早く、少年は笑顔を見せた。「ドーモ、ハクオウ=サン。ハクオウ……どんな漢字で書くんですか」「……へ?ああ、いや、ええと……白い鸚鵡だな、ああ」「白いオウム……英語で言ったらホワイトパロットですね。最近は英語も学んでいますから分かります」

 少年は自慢げに鼻を鳴らした。「ハハ……なんだそりゃ」何故か、それが無性におかしかった。「……単なる直訳じゃねぇか……!プッ……!ハハハ!」……笑うなんて何時ぶりだっただろうか。少年は先の大戦が終わり、英語を学ぶ機会が出来たことを楽しげに語った。俺は笑いながら相槌を打った。

 男は少年の……ソメゴロの屋敷に招かれ、風呂と食事の施しを受けた。眩しいほどの無邪気な若さに俺は既に惹かれつつあった。……あの時と同じように。ソメゴロの姿に重なって顔が黒く塗り潰された少年が、そのなれの果てが見えた。……俺が関わるものは台無しに終わる。

 己の業を自覚し、俺はソメゴロから離れようとした。……だが、その後にソメゴロの見せたカブキが、モータルの輝きが心を捕らえて離さなかった。「良かったら泊まっていってください。1日と言わず何日でも!大丈夫、両親には私から話を通します!」ソメゴロの提案を断ることができなかった。

 いっそソメゴロの両親が拒絶してくれれば諦めもついたのだが、意外にも……あるいはソメゴロの両親らしいと言うべきか、男の滞在は快く許可された。……無論、護衛達による厳しい監視は付けられていたのだろうが。

 ……かくして、ずるずると無為な日々を過ごしていた俺は、やはりずるずるとなし崩し的にソメゴロと、コウライヤとの付き合いを続けていくことになった。


◆◆◆


「ハッハッハ!私達はそんな出会いだったか?」男は明朗快活に笑う。ソメゴロ……いや、その時にはもう既にコウシロの名をシュウメイしていたか……は無邪気な少年から堂々とした風格のある青年へと成長していた。二人はコウライヤ屋敷の縁側に並んで座り、夜空を眺めながらサケを飲み交わしてした。

「いや、全然覚えておらんな」「少し前の事ぐらい覚えとけよ」コウシロはかんらからからと眩しい笑顔で笑った。「仕方あるまいよ、あの頃はまだまだ幼かった。それに少しではない、数年だ」「同じようなモンだろ」「全然違うさ。それに、あの頃は激動の時代だった……いや、今もか」コウシロは少し遠い目をし、オチョコを傾けた。

 大戦終結後の動乱と復興、目まぐるしい高度経済成長。確かに慌ただしい時代だ。「そんなに時間が経ったのか……」呟き、サケを呷る。己の時間感覚が人間とかけ離れていることに無自覚だった。「確かに、あん時のお前はもっとこんなに小さくてかわいらしかったもんな」ハクオウは掌に乗るようなサイズを手で表した。コウシロは大きな声で笑った。

「しかしまぁ……冗談じゃなく、あのボンボンのお坊ちゃんが今じゃコウライヤを背負って立つ立派なカブキアクターだってんだから、時の流れってやつは速ぇもんだな」コウシロ、それはコウライヤの主たるカブキネーム。その名を受け継いだということは皆に主として認められ、主たるを求められていることに他ならない。

 その名に恥じぬよう、コウシロはカブキアクターとして舞台に励み、そして経営者として辣腕を振るっている。実際その名に恥じない活躍と言っていいだろう。一方、成り行きでコウライヤに居座り続けている図々しい居候男は……俺は腕っぷしを買われコウシロの護衛として一応の役には立っていた。

「護衛だけなんてことはないさ、ハクオウ=サン。全てを話せる相談役として、友として君には十分に支えてもらっている」……改まった言葉に、気恥ずかしそうにコウシロは顔を背けた。「お……おう、そうか」ハクオウはむず痒そうに頭を掻いて夜空を見上げる。月は丸く満ち、綺麗な金色に光っていた。

「あーヤメだヤメ!湿っぽいんだよ!ったく!」サケを飲み干し、追加で注いだサケをさらに一気に飲み干して枡を床に叩きつけた。「んなことより、もっと別の話を……そうだ、新しい演目のよぉ、キメの部分一回やって見せろ」「ハハハ!一枚目の人気カブキアクターにタダで舞えと言う奴は君以外にはいないぞ!」コウシロは呵呵と笑った。

 ……一通り演じ終わり、コウシロは汗ばみながら自慢げに胸を張る。「どうだ?完璧であろう」「……いや、解釈が違えな」「……なんだと?」コウシロは眉根を寄せた。「今の部分の所作はよぉ、もっと大げさにした方がいいだろ」「何を馬鹿な。主人公が感情を抑え込んでいる様を表現しているのだ。……風情の分からん奴め」「……ア?」

「こん時の主人公は抑え切れねェ激しい感情を溢れ出させてンだろ。カブキアクター様ともあろう者が解ってねェなぁ」「……何を言うかと思えば。奴はそんな弱い男ではない。そちらこそ人物への理解が足りていないのではないか?」「いいや、俺の方が理解してるね!」「私の方が理解している!」

「俺の方が……」「あのシーンは……」「君は考えが浅い……」「お前が深読みしすぎ……」「そもそも君は門外漢……」「門前の小僧なんとやらって……」「ブッダに説法……」「……!…………!」「………………!」……言い合いはそのまま深夜まで続き、日が出る頃には二人揃って泥酔し、縁側で倒れるように眠っていた。その日は寝不足と二日酔いでマトモに動けやしなかった。

 そんな、友と笑い合い、喧嘩し合い、励まし合う時間をハクオウは満喫していた。コウライヤでコウシロと共に過ごす日々が、荒んだ心を癒してくれた。何もない虚無の日々が、何気ない幸福な時間へと変わった。コウライヤが、コウシロの横が居場所になっていた。

 永遠を厭っていたはずのハクオウは、いつの間にかこの幸せな日々が永遠に続くことを、この美しい時が止まることを願っていた。


「……アンタを絶対に見つけてやる、ノウト=サン。……我がセンセイよ」


 ……街を不穏な風が吹き抜けた。


5

 ……再び数年の時が流れ。

 コウシロは超一流のカブキアクターへと順調にステップアップし、今では所帯も持っていた。妻はコウライヤ主体のお見合いで出会った女性。一見物静かで穏やかだが、言うべき事は言い、やるべき事はやる芯の強い女。一度頬を叩かれたこともある。……コウシロなんかにゃ勿体無いぐらい良い人だ。

 コウシロはそんな妻との間に、念願であった子供もつい先日産まれた。妊娠が分かってからというものずっとソワソワとしていたコウシロへと「一年間そうしてんのか?」などと皮肉を言ったが、「……そうかもしれん」と真剣な顔で返され、俺は大笑いした。……実際、あいつは一年間ずっとどこかソワソワしていたのだが。

 コウライヤはこの高度経済成長に乗っかりカブキ関連以外の分野にも色々と手を伸ばした。良い結果を出したものはそう多くはなかったが、医学薬学、生物学方面に関しては開拓成功したと言ってもいいだろう。医薬品メーカー企業との提携も結び、今後はこちら方面を重点的に発展させるらしい。

 永遠不変を願っていた日々は、結局のところたった数年の内に色々と変わってしまった。コウシロが結婚するにあたって俺は居候を辞めコウライヤ社屋を借りた。コウシロは居候で構わないとも言ったが……こちらが嫌だ。気を遣うに決まっている。

 結婚してからのコウシロは家庭を優先するようになり、俺が居候を辞めたこともあってプライベートで共に過ごす時間はかなり少なくなった。……妻と産まれたばかりの我が子を優先するのは、そりゃあ当たり前だ。むしろこれで俺とばかり会っていたらそっちの方が問題だろう。

 寂しさこそ感じてはいるが、あの頃のような一人取り残された虚しさ、苦しさを感じたりはしなかった。むしろ、たまにしか会わぬからこそ会った時がより一層楽しいのだ、などと余裕のある考えを持つことすらできた。心はもうすっかり癒えていたんだ。……口調だけは治らず、荒れたままだったが。

 趣味も出来た。カブキから始まり、演劇やオペラ、テレビドラマのような演技モノの鑑賞をすることが好きになっていた。……あとは絵を描くようにもなった。かつての夢の跡を、美しい楽園の風景をこの世界に残したくて、コウシロに見せてやりたくて始め、今は様々な花畑などを描いて学んでいる。未だに納得できる物は描き上げられていないが。

 ……そんな、変わってしまいながら、それでも充実した日々にある時、にわかに暗雲が立ち込めた。

 太陽の光がぼんやりと光る昼下がり。高度経済成長の陰、発展の負債で汚れた大気の中をハクオウは走る。その速度はしだいに増し、やがて色付きの風となって、街を行く人々の目には残像しか映らない。感受性の高いサラリマンが何かを感じ取りへたり込んだが、周囲の人々は有害化学ガスによる被害として片付けた。

 白い風が走る先には、もう一陣の黒い風。ハクオウはその風を、ニンジャを追いかけていた。……コウシロの護衛任務を果たす中で急に感じた視線。こちらを観察するようなねっとりとした、意図の読めないブキミな眼差し。……警戒をしていても何者かが現れるということはなかった。

 視線は翌日にも続いた。その日もやはり視線の主はこちらに現れることはなかった。怪視線は3日、4日と途切れること無く続き、今日で5日目。野放しにしておくにも限度がある。もしも奴が何らかの計画を進めているとしたら、もはや対応は遅いくらいだ。……何かが起きてからでは取り返しがつかない。

 向こうに現れる気が無いというのならば、こちらから出向きインタビューすればよい。コウシロの側近護衛任務を後輩へと引き継ぎ、スーツを脱ぎ捨て純白のキモノ姿となったハクオウは視線を遡り、駆け出した。ハクオウと同時に視線の主の気配も動き出す。……視線の主はニンジャであった。

 近隣のビル建設現場から視線の主のニンジャは飛び降り、雑踏を避けて大通りを走る。ハクオウもまた人々の間を縫うように、ぶつからぬように気を配りながら追いかけた。……そして長いチェイスの末、ハクオウは前を走るニンジャのすぐ背後にまで追い付いていた。背中へと手を伸ばす。

 手が届く寸前、目の前のニンジャは突然90度方向転換し、細い路地裏へと飛び込んだ。ハクオウも後を追って駆け込む。飲食店の裏なのだろう、油で汚れた換気扇と青い生ゴミ入れが並ぶ薄暗い路地裏を走ると、その先は袋小路の行き止まりだった。ニンジャは立ち止まった。

 行き止まりと言ってもニンジャにとってはさほどの障害ではあるまい。壁を蹴って跳べばいくらでも道はある。もはや逃げられぬと潔く諦めたのか、あるいは……。ハクオウは警戒しながら足を止めた。鋲が無数に飛び出たタイトな黒レザー装束を纏う、コープス・ペイントを施したニンジャが振り返った。

「お前……一体何者だ」ハクオウの言葉に、黒レザーニンジャは顔の前で手を合わせ、ゆっくりと頭を下げた。「ドーモ。ノウト=サン。ブライティドです」……黒レザーニンジャの呼んだ名に、ハクオウは眉根を寄せた。そして、応じるように彼も手を合わせ頭を下げた。「ドーモ、ブライティド=サン……ノウトです」

 ノウト。知らぬ名ではない。……むしろよく知った、馴染みのある名前だ。ノウトという名前は休眠から目覚めたハクオウがモータルの中に紛れて生きる際に名乗り始めた、彼の持つもう一つの名前である。……であった、と言う方が正しいか。

 世捨て人めいて他人との交流を完全に絶っていた間はそもそも名乗ることがなく、コウライヤに身を寄せてからはハクオウという名前で通している。ノウトの名を使ったのはもはや100年よりも前が最後であった。口伝に名を残すようなことをした覚えはなく、このような名前と姿のニンジャは知り合いでもない。

 あるいは、何らかの諜報機関にはその名と存在を把握されていたのかもしれないが……このような姿の諜報員が居るものか?こんな、反社会的バンドマンとしか言い様の無い諜報員が。……結局、心当たりは一切なかった。「……どこでその名を知った?」ハクオウはブライティドを睨み付けた。

「そんな寂しいこと言うなよ、久しぶりの再会だぜェ?なあ、ノウト=サン」「お前のような奴など……」知らぬ、そう言いかけてハクオウは止まった。「……まさか、そんな」ノウトの名を知るニンジャに、一つだけ心当たりが生まれた。……黒く塗り潰された少年が脳裏に浮かんだ。

「生きてたのか……?アルノルド……」ハクオウは目を見開き、呟くようにどうにか言葉を絞り出した。「……やァっとオレを思い出してくれたかァ」ブライティドは目を細め、ハクオウに獣のような笑顔を見せた。「ブライティド……良い名前だろ?今のオレ達にゃあピッタリな名だ」

「オレはアンタに会いに来たんだぜ。遠路はるばる、ずっと探し続けてな。……見付けてから、あと一歩顔を見せる踏ん切りがつかなくてウロウロしちまったけどよォ」……ここ数日感じていた視線、あれはコウシロへ向けられたものではなく、俺へと向けられたものであったのか。

「お前……死んだんじゃあ……」「ああ、あン時は確かにヤバかったぜ……ナントカっていう組織に、ニンジャに襲われてよォ……仲間はみんな死んじまったし、オレもアノヨにイきかけてたさ」服をはだけ、胸元の大きく深い傷痕を見せた。「……けどオレは生きてる。生きてンだ。ニンジャに殺されかけても……アンタに捨てられてもな

「……俺がお前を捨てただと?」「……そうだろッ!」ブライティドは地面を力の限り踏みつけ、ハクオウを指差した。「オレが死にかけても、助けを願ったって、アンタは来やしなかったじゃねェかッ!」「……おい」ハクオウの静かな、それでいて威圧的な声が周囲の窓を揺らした。「ふざけたこと言ってんじゃねえぞテメェ……!」

「俺はお前を家族だと思っていた。それを終わらせたのは……半端な力に溺れて飛び出したのはお前の方だろうが!ギャング組織を乗っ取って、大暴れして……そして対ニンジャ組織に目をつけられて!滅ぼされて!……それを、言うに事欠いて俺が見捨てただと?身勝手もいい加減にしとけよ……!」

「いいや、何と言おうがアンタはオレを見捨てたんだ」ブライティドはハクオウの威圧に動じぬ。……恐怖の感情など、もはや過去に忘れ去った。「アンタほどのニンジャならいくらでもオレを止められたハズだ。……そうしなかったのは結局、オレに見切りをつけて捨てたって事なンだよ」

 ……あまりに身勝手な、自己中心的理屈。だが、ハクオウはそれを否定しきれなかった。……彼を見捨てたという罪悪感を、負い目をハクオウは確かに感じていた。当時から、今までずっと。「死にかけて、アンタに捨てられて、オレはニンジャが思っていたほど良いモノじゃねェってようやく分かった」

「人よりはよっぽど強いが……それだけだ。全てを覆せるほどは強かねェし、自由に生きようにもオレ達を監視して何かあれば始末しようとする連中が居ることも知った。……途端に世界は色褪せて、アンタの授けたニンジャは祝福から呪いに変わったンだよ」

「影に潜む怪物なんかじゃねぇ、姿を隠して生きるしかねェ日陰者だ。……磨耗し、浪費し、失いながら唯この世をさ迷い生きるだけの……」ブライティドの嘆きはハクオウもよく知るものだった。かつての自分が、ソメゴロ……コウシロに出会う前の自分がそこにいた。……ハクオウはブライティドに同情してしまっていた。

「お前……」「だからよォ」ブライティドが俯く顔を上げる。……ブライティドはニヤニヤと笑っていた。「唯一残されたアンタとの師弟の繋がりは、これだけは絶対に手放さねェ。そして!オレは派手に終わるンだ!アンタの手によって!」その目が狂気に輝いた。……古いニンジャには決して長いと言えぬような歳月は、しかしニンジャに成り切れぬ男を狂い果てさせるには十分であった。

「……けど、今はまだその時じゃねェ。また会おうぜ、ノウト=サン。こんなカビ臭いブショネじゃない、もっといい舞台でこの薄暗い日々を終わらせるンだ、オレは!招待状を送るから、オレと最後のダンスを一緒に踊ってくれよ……」言い終わると、ブライティドは路地裏から跳び去った。

 ハクオウは何も言えず、追うこともできずに袋小路に立ち尽くしていた。……牙を剥く過去のインガに、己の蒔いた種に、ただ戸惑い悩んでいた。やがて日が沈み、薄暗い路地裏はさらに暗くなり、ハクオウはようやくとぼとぼと歩き始めた。

 奴が何をするつもりなのか、何がしたいのかは分からない。……だが、そう遠くない内に己の周囲で良くない事が起こる……ブライティドが何かを起こす、それだけは直感していた。俺だけが被害を受けるのならば別に良い。だが、このままでは周囲の人々も確実に巻き込まれるだろう。……コウライヤが、コウシロが。

 ……すべき事は分かっている。この安寧から、止まり木から飛び立つ時が来たのだ。コウライヤを離れ、再び放浪の旅へと向かう時が。……大丈夫だ、あの頃とは違う。凛とした想いが、この温かい温度が胸にある限り、暗闇の路でも絶望や虚無になど飲まれはしない。大丈夫。

 この街を、コウライヤを、コウシロを巻き込まぬため、俺は今すぐに旅立つことを決め……だが、足はコウシロの元へと向かっていた。黙って居なくなってはコウライヤの皆に迷惑がかかる。だから、別れのアイサツはきちんとせねばならない。……そう自分を誤魔化し納得させた。

「オウ、どうしたハクオウ=サン」突如家を訪ねた俺を、コウシロはただ明るく出迎えてくれた。「今日は途中から護衛を抜けていたようだが、何かあったのか」確信に迫る言葉に、ハクオウはほんの僅かに体を堅くした。「……いや、そっちは解決した。たまにゃ一緒にサケでもどうかと思ってな」……別れの言葉は口から出なかった。

「うむ……ちょうど明日は休みだ、久々に飲むとするか」快活な笑顔が溢れた。「最近君と飲む機会もめっきり減っていただろう?寂しかったからそろそろこちらから誘おうかと思っていた所だったのだよ。ハハ!同じような思考をしているな、私達は」「……ハ!結構な付き合いだ、そりゃ似もするさ!」

 二人はいつぞやのように縁側に並んで腰掛けた。生憎、空は曇っていて星月は見えなかった。「奥様の方はいいのか?」「ああ、疲れも溜まっているだろうと今日明日はベビーシッターさんに手伝いを頼んで無理を言って休んで貰っている」……無理を言わないと休まなかったのか。「そりゃあ……あんま騒いだらマズいな」

「……怒らせてビンタされちまう」「ハハ、違いない!」二人は声を抑えて笑った。「……まあ、私もカブキ業が忙しくて中々サポートできんのが歯痒いところだ」「なんだ?流石のお前も嫌みの一つでも言われたか?」「いいや、むしろこのことを話したらこちらは気にせず働いてくれと言われたよ」

「『それでコウライヤが傾いたら私やこの子が困るでしょ』……だそうだ」コウシロの言葉にハクオウは頭を掻いた。「……やっぱすげぇな、あいつ」「すごいだろう?うちの妻は」自慢げな笑顔を見せ、コウシロは立ち上がった。「そうだ、良いサケが1本ある。折角だ、持ってこよう」

「ええと……どこだったか……おおこれだ」蔵の奥に入り、なにやらゴソゴソと探していたコウシロは、綺麗な桐の箱を抱えて戻ってきた。「秘蔵の一品だ。父が私と飲むために残しておいたらしいが……飲める歳になる前に逝ってしまったからな。飲んでしまおう」「……いいのか?」「いいのだ。こういう機会でもないと開けられない」

 開けられた桐箱の中には黒いボトルが赤いクッションに乗せられて大事そうに納められていた。「なんだ?銘柄もねぇのか」ボトルを手に持ち顔の前でグルグルと回すがラベルはどこにもなかった「何もない、それこそが銘柄なのだそうだ。その名も無銘」「……まんまじゃねぇか」「まんまだな」互いの顔を見て、二人は笑った。

「まあ、サケを前にして名前にあれこれ言い続けるのも無粋!早く飲むとしよう」口を開け、ハクオウのグラスへとボトルを傾ける。「じゃあお先に……へぇ……」サケに口を付け、目を大きく開いた。「……なるほど、こりゃあ旨い」

「うむ……」コウシロはサケを口に含み、目を閉じた。「……香り高く、キレが良いが刺々しさがない。……確かにこれは良いサケだな。飲みすぎてしまうタイプの」「もう一杯貰うぜ」「おい、貴重なサケなのだぞ。もっときちんと味わってだな……」「味わってこの速度なんだよ俺は!」

 ……そうして、いつものように他愛もないじゃれ合いや近況報告をしながら、サケを飲み進めてゆく。「無銘」はすぐに空になった。次のサケはワンランク下の物で、文句を言うハクオウに、ならば飲まなくて良い!とコウシロは怒った。そしてまた笑い合った。……夜は更けていった。

 コウシロの舞を見、グラスの中を空にしたハクオウは呟くように語り出す。「俺はさ……」「なんだ、藪から棒に」「いいから聞けって!俺は……感謝してんだ。コウライヤに、お前に」「……どうした、酔ってるのか?」「酔ってんだよ、そりゃあ、サケ飲んでんだから。……あの日、あの雨の日にお前に拾われてさ、俺は救われたんだ」

「長い長い時間の中で、俺はずっと一人だった。一人じゃない時もあったが……結局すぐに一人に戻った。世捨て人のように生きたりもしたけど、結局今思うと俺は寂しかったんだろうな……。夢破れて、仲間が……友が去って、それで寂しかったんだ。自覚もできずガキみてぇに拗ねてたけどよ」

「俺は今、孤独じゃない。そう心の底から思えるようになった。全部お前のお陰なんだ。だから……お前に、コウシロ=サンにいつか言わなきゃいけないと思ってた。……ありがとよ。俺みたいな正体も分からねぇニンジャなんかに優しくしてくれて」

ニンジャ……」コウシロは呟いた。……今まで、己がニンジャであることはコウシロにすらも伝えていなかった。今、横で彼はどんな顔をしているだろうか……。驚愕、困惑、恐怖……あるいは酔っぱらいの戯言として聞き流したか。ハクオウはおそるおそるコウシロの顔を見た。

「ニンジャ……ニンジャか」コウシロは真面目な顔をしていた。「……なんか、あんま驚いてねぇな」「驚いてはいるさ。まさかニンジャときたか……」顎に手を当てる。「君が人でないことは知っていたが」「……は?」逆に、ハクオウが驚いた顔をした。「なんで……お前……」

「初めて会った時から全く老けも変わりもしない男が人間なわけないだろう。……まさか、隠しているつもりだったのか?」「……」「それに、コウライヤに見込まれたその力だって、どう考えても人間の範疇を逸脱している」「……うるせぇ」「コウライヤ内でも関わりのある上層部の者は察していると思うぞ」

「うるせぇ!もういい!やめろ!」「どうした?顔が赤いぞ」「酔ってんだよ!バカ!」ハクオウは頭を掻いた。「あークソッ……今まで悩んでたのはなんだったんだよ……!……俺はもう帰る!」「急だな、泊まらなくていいのか?」「いい、酔いざましがてら歩いて帰る」

「そうか……じゃあ、またな」玄関に立つハクオウに、コウシロが笑いかける。「ああ……また」ハクオウは振り返らず、肩越しに手を振った。……話すべきことは、話したいことはもう全て話した。未練はない。ハクオウはこれが今生の別れのつもりだった。ブライティドとの因縁に巻き込まぬために。

 実際、これが今生の別れとなった……想定とは異なる形で。翌早朝、日の出も見えぬ厚い曇天の下、街を去りかけていたハクオウの携帯端末に緊急連絡が入った。


 コウシロが、死んだ。


 黒い雲が激しい土砂降りを街に降らせ始めた。


◆◆◆


 ブライティドは廃墟マンションのエントランスに座り、笑う。……招待状は届いただろう。絶対に見落とすことのない、見逃すことのない盛大なプレゼントと共に渡したのだから。このダンスパーティーに時間指定はない。いつでも、アンタの都合のいい時に来てくれればいいぜ、ノウト=サン。

 コウライヤのある方角を見つめながら、夜を待ちわびる誕生日の子供のように、待ち遠しそうに、待ちきれなそうに笑みを浮かべる。プレゼント、気に入ってくれたか?オレを、ブッ殺しに来てくれるか?ノウト=サン。

 ……華々しく散るため、アンタには本気を出してもらわなきゃならない。本気でオレだけを見てもらわなきゃならない。そのためにはアンタが、オレを捨てたアンタが今更大事にしてるモンをブチ壊してやるしかない……その大事なモンをまた投げ捨てて身軽になっちまう前に。タイミングは今しかなかった。

 ブライティドが手に持つナイフは赤黒く染まり、電灯の光に鈍く光る。命を奪った、生々しい痕跡。凶行の映像を脳内にリフレインさせながら、ブライティドは空を見上げた。雲に覆われた真っ暗な空を。

 ……その時、街に一陣の風が吹いた。

 風は雨粒を吹き飛ばし、木々をたわませ枝を折り、人々を押し退け、電線を大きく揺らし、窓ガラスを破壊し、看板を吹き飛ばしながら駆け抜ける。周囲の被害など微塵も省みぬ暴風に人々は恐れ戦いた。風は……白い嵐は街を吹き抜ける……ブライティドが座す廃墟のマンションへ向けて。

 目の前の窓ガラスが砕け散り、恐るべき暴風が瞬く間にブライティドを飲み込んだ。反応もできず、声すらも出せぬままブライティドは暴風に捕まれ、そのまま厚いコンクリート壁に叩きつけられる。「グワーッ!」風はコンクリートの壁をも容易く破壊し突き抜け、ブライティドの首根っこをしっかりと捉えたまま目の前の階段を駆け上った!

 ブライティドの体はコンクリート打ちっぱなしの壁面へと押し当てられ、劣化しざらついた表面がおろし金のように彼の肉体を削り取る!「グワーッ!?グワァァーッ!?」体を擦りおろされ悲痛な叫びを上げるブライティドを掴んだまま風は、階段の一部を破壊しながら飛んだ!「グワーッ!」

 風は木に上るヘビめいて蛇行しながらビルを駆け上がる。壁を突き抜け、柱を折り、床を貫き、ブライティドをあちこちへと叩きつけながら。「グワーッ!グワーッ!グワァーッ!」ブライティドは体のあちこちを強く打ち、折られ、削られ、濁流に飲まれた哀れな小鹿のようにもがく。

「イヤーッ!」「グワーッ!」風は天へと昇るように天井を突き抜け、そのまま屋上をも飛び越え、大粒の雨を浴びながら廃墟の上空を舞う。そして風は勢いを緩めることなく、颪めいて屋上の床へと吹き下ろし……ブライティドを叩き付けた。「グワーッ!」

 ……吹き荒れる暴威の中、ブライティドは必死にもがいた。この嵐の中で彼が未だに生きているのは彼の肉体が並外れて頑丈であるとか、あるいは何らかの能力であるとか、そういうわけではない。……風は、ブライティドのことを殺さぬよう手加減をしていた。

 風が恐るべき怒りを燃やした双眸で床に転がるブライティドを見た。常人であれば、あるいはニンジャであっても力の弱い未熟者ならば心臓麻痺を起こして死にかねぬ眼差しに、ブライティドは笑った。己の命を奪う死神を満面の笑みを浮かべて見た。本気だ。本気の感情が今、オレだけを見ている。

 風が……ノウト=サンが、今、オレだけを。


6

「夜明け前、普段であれば日課のランニングに向かう時間になっても起きず、様子を見に向かったメイドが発見しました」ハクオウは何も言わず立っていた。「……状況から考えるに、何者かによる殺人。しかし多くのボディーガードや監視カメラがある中で、誰一人何一つその存在を、痕跡を見ていません」

「寝ているところをフートンごと一突き。即死でしょう……二人とも」広いタタミ敷きの部屋には羽毛と血が飛び散り、僅か前に起きたであろう惨劇の様子を生々しく示している。「……まさか夫婦揃ってこんな目に。……別の部屋でベビーシッターが見ていたソメゴロ=サンが助かったのは、せめてもの救いでしょうか」

「コウライヤとしての損失は計り知れず……いえ、それ以上にあのお二人を慕っていた者として、皆の心に空いた穴の方が……甚大で……」コウライヤ補佐官の男は生真面目そうな眼鏡を上げ、目を拭った。「とにかく、あらゆる方面から犯人捜査を始めています……警察にも秘密裏に協力要請を」

 秘密裏。コウライヤはコウシロ夫婦の死について、少なくともそのまま公表するつもりはない。長たる夫婦が誰かに殺された……その事実はコウライヤに更なる損失を与えかねないからだ。故に警察との提携も表立ったものではなく秘密裏の裏工作にせざるを得まい。

「お二人のご遺体は既にコウライヤの医療部門へと運ばれました、お会いに向かいますか?……いえ、蘇生ではなくエンバーミングのためです」モータルの蘇生技術などあるわけがない。……分かっていても僅かに期待をせずにはいられなかった。

「遺言状は後日コウライヤで開封と確認が行われます。遺書は……貴方宛のものもこちらに。遺書、遺言状どちらも最近書かれたもののようです。遺書の確認は……」「……今はいい」ハクオウはうつむきながらフスマを開け、廊下の掃き出し窓を開けた。「……やるべきことがある」どちらへ、という言葉には答えず、ハクオウは飛んだ。


◆◆◆


「……ドーモ。ブライティド=サン。ノウトです」白い暴風が床を這うブライティドを冷たく見下ろしながらアイサツした。アイサツされれば応えねばならぬ。勧進帳にも記された礼儀作法だ。「ドーモ、ノウト=サン……ブライティドです」ブライティドは傷だらけの体に鞭打って立ち上がりどうにかアイサツを返した。

 口の端から血を流しながら、ブライティドは口角を吊り上げる。「お……オレを」「イヤーッ!」「グワーッ!」ノウトは言葉を無視し、ブライティドの顔面に飛び膝蹴りを打ち込んだ。鼻が折れて血が滴る。……苦痛に悶えながらブライティドは感極まり、泣きそうな笑顔を作った。

「イヤーッ!」打ち上げられたブライティドの顔を鳥の鉤爪めいたアイアンクローが空中で掴み、そのまま床へと叩き付けた。「グワーッ!」後頭部から床にぶつかり跳ねたブライティドへ、ノウトはさらに追撃の回し蹴りを打ち込む。「イヤーッ!」「グワーッ!」

 蹴り飛ばされたブライティドの転がる先へ白い風が先回りし、側宙じみた回転蹴りがみぞおちを蹴り上げた。「イヤーッ!」「グワーッ!」サマーソルトキックによって打ち上げられたブライティドを、空中で踵落としが打ち返す。「イヤーッ!」「グワーッ!」

 床をバウンドし跳ね返ったブライティドは必死にクロス腕を構えガードしようとするが、ガードの間を抜けたノウトの腕が反応できぬ速度で首へと伸び、猛禽じみて掴んだ。嵐は高速回転し、ブライティドを再び床へと投げ飛ばす。「グワーッ!」

 床をバウンドし跳ね返ったブライティドへ再びノウトが恐るべき速度で掴む。……永久コンボじみた危険な空中投げ技。ブライティドを再び床へと投げ飛ばし、そして床をバウンドし跳ね返ったブライティドを獲物を捉える鳥めいて空中ストンプで捉え、そのまま床へと落下した。「グワーッ!」

 逃げ場のない、反撃することも防御することもできぬ格の違う神速のカラテがブライティドを襲い続ける。竜巻の如き連撃に囚われたブライティドはやがて喜びの表情を崩した。激しい痛みによって心が変わったのではない。……ノウトの表情に気付いてしまった。

 ノウトの心中にブライティドへの激しい憤怒は確かにある。だが、それ以上に悲しみが、苦しみが、哀れみが、己への怒りが、自責が混沌のように渦巻いている。(畜生……なンでだよ……センセイ……)喜びではなく、悲しみでブライティドは涙を流した。(なんで、オレに集中してくんねェんだ……)

 そして、ブライティドは、手にしたナイフを突き出した。ノウトは避けられなかった……あるいは、避けなかったのか。呪われた刃が腹を貫き血を滴らせた。(ここまですりゃあ……こっちを見てくれンだろ……?)ブライティドは半ば祈るような心持ちでノウトを見た。

 ノウトは、ただ悲痛な面持ちをしていた。ブライティドは理解した。このイクサで己の望みは果たされぬことを。

「……イヤーッ!」痛みか、あるいは心の迷いか、僅かに緩んだノウトの手をブライティドは振りほどき、そして屋上の縁から仰向けに飛び込むように身を投げた。(違う……そんな目じゃねェ……オレが求めているのはもっと……そんなんじゃ……殺されても何も……)

 ノウトが屋上から身を乗り出して見る中、廃墟のすぐ脇を流れる川へ……この大雨によって勢いを増した濁流の中へとブライティドの姿が消えた。ごうごうと流れる氾濫寸前の濁った水が死にかけのブライティドを飲み込み、その姿はすぐに見えなくなった。

 体をずぶ濡れにしながら、ハクオウは屋上で一人立ち尽くし続けた。


◆◆◆


 コウライヤの広い会議室にハクオウは立っている。周囲には数名の男たちが椅子に座り、じっとハクオウを見ている。……彼らはコウライヤの最高幹部達であり、それぞれが一流のカブキアクターだ。「……以上、これが事の顛末だ」すべての説明を終えたハクオウは静かに口を閉じた。

「……その、なんだ、貴殿と下手人は人ならざる、ニンジャで?個人的な痴情のもつれに巻き込まれてコウシロ=サンは殺された、と?」長く伸ばした白い髭を撫でながら、老人が発言する。「……つまりは貴殿の責任ではないか」「流石にその発言は無配慮が過ぎませんか、翁」まだ年若い男が真っ直ぐに老人の目を見る。

「彼とて被害者、そしてコウシロ=サンの仇を討ち取ったコウライヤの恩人でありましょう。それに責任を被せるなどと……」「しかし、だ」生真面目そうに白髪交じりの髪を固めたカブキアクターが口を挟む。「彼の縁がコウライヤに被害を招いたのも事実。それに犯人はかつての弟子であったそうではないか」

「弟子の不徳は師の責任。確かにカブキアクターの常識ではあるが、破門した元弟子の責任まで取れとはちと厳しくはないかね」「責任の話をし出すと守れなかった警護や延いては我々にも責任があるのでは」「そういう話ではないだろう」「そもそも、奴は……ブライティド=サンとやらは本当に死んだのか?そこの確認はどうなっておる」

 ハクオウはゆっくりと口を開いた。「……死んだはず、としか現状は言えない」「はず、というのは」「少なくとも死ぬところを見てはいない。死体を探そうにも濁流に飲まれた、爆発四散するニンジャの死体を見つけるのは困難。……だから瀕死の状態で濁流に飲まれ消えた。現状はそうとしか言えない」

「その状況なら生きてはおるまい……と言いた
いが、何分相手は人外の魔性。疑って損はないか……」「……んで、だ。結局どうするんだ?ハクオウ=サンの処遇は」短髪の壮年カブキアクターが声を上げた。「何も賞罰だけの話じゃない。俺達コウライヤの今後を左右する話だろ。ハクオウ=サンを次期……八代目マツモト・コウシロとして認めるかどうかは」

 ……コウシロは遺言状でハクオウを己の次のマツモト・コウシロとして指名していた。己の子は未だ幼く、日々の業務の忙しさにかまけて直属の弟子も持ってはいない。ならば次のコウシロには幼き日から私のカブキトレーニングに付き合い、そして舞台を見てきた我が友、ハクオウこそが相応しい。皆には彼の補佐を頼む、と。

「コウシロ=サンの遺言である以上従うべきでしょう。私は賛成いたします」「……カブキアクターでもない者をトップに据えるのは……私は反対である」「ううむ、判断のし難い話よな。儂は保留とさせてもらおう」「俺は反対だ、言うまでもなく」「……賛成。彼の事も、コウシロ=サンの判断も信頼している

 ……男達の激しい討論は侃々諤々の様相を呈し、結論は出ない。ハクオウは目を瞑る。『私の身に何かがあったとして、それは君の責任ではない』コウシロの遺書に書かれた一文が脳内で響く。……そんなわけはない。俺の責任だ。あの日、すぐに街を出ていれば、あるいは泊まっていれば避けられたはずだ。

 そもそも俺がコウライヤに来さえしなければ、何も起きることはなかったんだ。……責任がないなんて思えるわけがねぇ。なのになんでお前は……俺を責めない。俺を次期コウシロなんかに指名した。……ソメゴロを俺なんかに託した。

『それでも責任を感じるというのならば、その時は私に代わりソメゴロを頼む。父親代わりとして、一人前のカブキアクターになるまで』……結局、コウシロがどこまでこちらの事情を察していたのかは分からない。少なくとも遺書を書いた当日に妻も巻き込んで死ぬだなんて思っちゃいなかっただろう。

 死に際に心変わりしたんじゃないのか?後悔したんじゃないのか?……俺なんかで本当に良いのか?ハクオウは腹を擦る。……ニンジャの回復力を以てしても傷口が癒える様子はない。医者は、我々の理解の範疇を越えた何か……呪いとしか言いようがない、と困惑しながら言っていた。……奴のナイフは強大なる遺物であった。

 癒えぬ傷を残し、命を啜る、禍々しきダイン・ニンジャの遺物、その破片。おそらく、かつての窮地もこの遺物によって生命を奪い生き長らえたのだろう。……傷口から命が流れ出る。この身は不死身イモータルから定命モータルへと成り果てた。言葉で言い表せぬ自覚がある。……ならば、この残された命が何か役立つというのならば。お前が捧げろと言うのならば。

「……頼む。いや……違う。お願いします」ハクオウは頭を深く下げ、額を机に押し当てた。「俺がマツモト・コウシロになることを認めてください……どうか」ハクオウの、普段とは全く異なる必死な様相に男達は戸惑い、会議室を沈黙が満たした。「確かにカブキも経営も正しくは学んではいない。それでも、コウシロ=サンが俺に託したんだ」

「……この口調も、態度も、必要なら改める。カブキも経営学も学ぶ。だから俺を、私を、どうか認めてください。……どうか、ソメゴロ=サンが立派に育つまで、その時まで私に責任を果たさせてください」……ハクオウの言葉を静かに聞いていた男達は、互いに顔を見合い、そして口を開けた。「……だ、そうだ。どうする」

「……期間限定の中継ぎとしてならば問題はあるまいか」「私は初めから賛成であると言っております」「もし、万が一生きていた下手人が……或いは別のニンジャがコウライヤに立ちはだかったとしたら、ハクオウ=サンの存在はアドバンテージではある……」「足りぬ分は我々が補助するのであればまあ……良いのではないか」

「よろしいですね。……では、ハクオウ=サン」議長の男がハクオウを見た。「貴方を八代目マツモト・コウシロと認めます。ただし今は仮に、です。今後我々の補佐を受けながら、我々から正式に認められよう努力なさい。相応しくないと判断されれば我々の手で九代目を選出しますので、そうならぬよう先代、七代目の遺志を継いでハゲミナサイヨ」

「それでは此度の討論はひとまず終了とします。今後の方針や穴埋め、ソメゴロ=サンの今後、ナギナタの譲渡に関しての話は夜に予定していますので、それまで各々の業務に戻るように」……男達はオジギし、足早に会議室を出てゆく。最後の一人が退出するその時まで、ハクオウは頭を下げ続けていた。

 そして、俺は……私は・・八代目マツモト・コウシロとなった。

 コウシロとなってからの日々は義務と責任、そして使命に突き動かされるものだった。独学の見様見真似ではない正式なカブキアクターとして一から学び直し、幹部達のサポートを受けながらコウライヤを経営し、ソメゴロの師として彼を導き……コウライヤを妨げる者を慈悲なく葬り続けた。

 半端者の私に出来る最大の貢献は何よりもニンジャとして力を振るうこと。故に私はコウライヤの暴力装置として、ホワイトパロットの名を使い、積極的にカラテを振りかざした。己が惹かれたコウシロの姿とは全く異なる『コウシロ』。だが、己の最大の使命はソメゴロが一人前になるまでコウライヤを守ることだ。己の感傷など関係ない。

 私など真のマツモト・コウシロではないのだ。歴史の闇に葬られるべき中継ぎ。ならば血も汚名も全てこの身体に浴びて消えよう。……せめて、あの日君がくれたホワイトパロットの名を供として無数の敵を、障害を滅ぼす内にマツモト・コウシロの名は、ホワイトパロットの名はコウライヤに対立する者の悪夢として知られ渡るようになった。

 コウシロに託されたコウライヤを私の代で潰すことなど決してあってはならない。コウシロの遺したソメゴロの身に何かあってはならない。我が命を賭してコウライヤの全てを守らねばならぬ。己を殺し、己の名を消し、ただコウライヤの為に全てを捧げる。己の時間を過ごすことは……絵を描くことは無くなった。

「父さん、コウシロ父さん」幼子の声。ソメゴロは私のことを父親として認識していた。私がソメゴロの父であるなど間違った、誤った認識だ。コウシロに申し訳が立たぬ。その度に私は私が父親ではないこと、本当の素晴らしい父親が居たこと、私を父親などと呼んではならないことを何度も伝えた。

「それでも私にとっては貴方が父さんなんです」公演後、僅かな時間の合間に連れていった遊園地。観覧車の中で、夕日に照らされた幼い瞳が私の顔をじっと見つめる。何故そんなことを言うのかと心の底から疑問に思った表情で。……私の言葉をソメゴロは頑なに聞かず、私を父と呼び続けた。

 私はそんなソメゴロを無理矢理に拒絶することもできず、歪な関係性を是正することも叶わぬままずるずると……いや、違う、望んでしまったのだ。コウライヤを守護する機械を自称しながら、命をコウライヤに捧げると誓いながら、私欲を持ってしまった。それが私の新たな罪。

 新たな罪、依存、そして清算出来ぬ過去の因縁。それらがインガとなり、この身に降りかかる日が来るのは当然のことだ。全てを清算する日が来たのだ。「父さん!……コウシロ父さん!」……声が聞こえる。少年ではない、逞しく育った青年の声。記憶の中のものではない今現在の声が傍らから。

 ……永い、そして僅か一瞬のソーマト・リコールから脱したホワイトパロットは心配するソメゴロを手で制した。「……離れろ……危険だ……!」スリケンはホワイトパロットの胸部へと深く深く突き刺さり、大胸筋によって心臓の寸前で止められていた。あと一歩間違えば命に関わる重傷。「お……オイ……」男が呆然と呟く。

「オイ……オイッ!」男は怒り、焦り、困惑、悲嘆、様々な感情をない交ぜに地団駄を踏んだ。「これじゃ話が違うだろッ!こんな……死の淵から帰ってきて……俺の望みはこんなんじゃねェ!ンな奴庇って死ぬつもりかッ!?フザケんなよ……フザケんじゃねェぞッ!……ノウト=サン

 ホワイトパロットは立ち上がり、丁寧に手を合わせオジギをした。「……ドーモ、私はホワイトパロットです。やかましいぞ、アイサツせよ」「……ドーモ、ホワイトパロット=サン。ブライティドです。……認めねえ……認めねえぞ……!こんなアンタ!俺は認めねえ!」

「……誰がいつお前に認めを乞うた?お前に私が選んだ路を否定する権利など無い。……私の選択は、私だけの物だ」「違うッ!アンタにはオレを生み出した責任がある!義務があンだよッ!オレを、オレだけを見て、オレだけを想って、そしてオレを殺してくれ!」

「やかましいガキだ……。そんな風に成り果てても性根は変わらんか、アルノルド。いいだろう、今度こそ間違えぬ。……今度こそ殺してやろう」ホワイトパロットは胸のスリケンを投げ捨て、カラテを構えた。「コウライヤのマツモト・コウシロ……ハクオウとして、今度こそ、お前を!」


7

 深夜。ビル屋上。激しい風が吹き荒れ、月を隠した厚く黒い雲が激しい雨を降らせ始めた。雨粒の音が地上の喧騒を掻き消す中、ふたりの男は互いの顔を見合う。サムライじみた着物に黒漆塗りの帽子を被ったカブキ装束の男、ホワイトパロットの周囲で高濃度のカラテに触れた雨粒が蒸発して消える。

 黒レザーに全身を包む男、ブライティドは怒りに満ちた表情で黒い刃を構えた。不治の傷を与え命を啜る忌まわしき古代の遺物、ダイング・ブレイド。かつてギャングの元締めであった彼がニンジャ刺客に襲われ命を落としかけた際、まるで運命のように彼の手元へと転がり込んだ呪いの刃。

 刃は刺客ニンジャの胸元を薄く裂き、瀕死になりながらどうにか逃げ仰せたブライティドへと奪った命を与え続けた。命の恩人、いや恩刃か。襲撃から一年ほど後に刺客はどこかで衰弱死したのだろう。命の繋がりが何となく伝えていた。……そして命の繋がりは今、目の前の男が死の淵にあることを教えている。

 勝手に死にかけるなんて……許せねぇ。そんなんじゃダメだ。そんなアンタじゃオレの望む最高の死は得られねぇ。……それならばもういいさ。アンタを勝手に野垂れ死なせるぐらいならば、オレがこの手で直接殺してやる。アンタを殺し、そしてすぐにオレも死のう。

 オレの元に舞い降りた天使。オレに天恵を授けた神。オレを導いた師。おぼろげに薄れゆく記憶の中で、唯一確かな輪郭を保つアンタの死を門出にオレの呪われた生は終わる。ニンジャとなって得たこの中途半端で不自由な命が、無駄に引き伸ばされた時間がここで。

「イヤーッ!」先に動いたのはブライティドであった。危険な呪刃を突き出しながら跳び、鋭い突きでホワイトパロットの首筋を狙う!ホワイトパロットはナイフを避けると、瞬時にくるりとブライティドに背を向けて重心を下げ、真っ直ぐに伸びたブライティドの腕を掴んだ!

 ブライティドのナイフを持つ腕を掴み、イポン背負いめいて投げ飛ばす!「イヤーッ!」空中に放り出されたブライティドはクルクルと回転して姿勢制御を取り戻し、避雷針の側面へと垂直に着地した。「イヤーッ!」そのままカエルめいた姿勢でホワイトパロットを目掛け跳躍、空中で半回転しトビゲリを放つ!

「イヤーッ!」襲い来るトビゲリをホワイトパロットはサイドキックで迎撃した!蹴り同士がぶつかり合って衝撃波を散らし、反作用でブライティドは後方に飛び退く!「イヤーッ!」そしてタタミ4枚ほど離れた位置に着地し、懐から取り出したスリケンを投げた!「イヤーッ!」蝿でも払うかのようにホワイトパロットはスリケンを弾き跳ばした。

「アイエエエエ……」目の前で繰り広げられる人知を超えた戦いにソメゴロは尻餅をつき、後ろへとにじり下がる。雨に濡れた金網状の床が冷たく尻を濡らした。(何が……何が起きているんだ……!?)コウシロ……父が侵入者と戦っている。それは分かる。だが……父の、侵入者のこの身体能力はなんだ?

 二人の姿は色付きの風めいて視認することも難しく、互いにカラテしスリケンを投げ合う姿はまるで御伽噺に語られる……「……ニンジャ?」ソメゴロの口から呟くように自然に言葉が零れた。遺伝子の奥深くに刻まれた根元的恐怖が、目の前の銭闘を引き金に呼び起こされる。

「ニンジャ……ナンデ……?」侵入者が……ニンジャで?……父さんもニンジャ?何を馬鹿な……ニンジャなどフィクションの存在で……。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ガキン。金属音が響き、近くの床にスリケンの破片が突き刺さった。(ニンジャ……本当にニンジャなんだ……)

 驚き、恐怖、困惑、様々な感情が入り乱れソメゴロはもはや身動きが取れない。カラテの余波は容赦なく彼の周囲を襲う。彼が巻き込まれるのも時間の問題であろうか。……ホワイトパロットは横目でソメゴロを見、そして、「……イヤーッ!」ブライティドを掴み、跳んだ。……ビルの屋上から外へと。

「あ……え……父さん……?」ソメゴロはNRS(ニンジャ・リアリティ・ショック)症状で呆然としながら、それでもどうにか震える足を動かし屋上の端から頭を出して下を見下ろした。「イヤーッ!」「イヤーッ!」……ビル側面を滑るように落下しながら、垂直の壁を蹴って二人のニンジャは戦っていた。

「イヤーッ!」窓ガラスを砕き、ビル側面をホワイトパロットが駆ける。突き出した右腕がブライティドの首を掴んだ。「グワーッ!」ブライティドの体がビル側面へと押し付けられ、摩擦が肉を削り取る。いつかのリフレリンめいた状況。「イヤーッ!」「グワーッ!」左拳で顔面を殴る!

「イヤーッ!」「グワーッ!」再度の拳……だが。「……イヤーッ!」ブライティドは擦りおろされながら、殴られながらホワイトパロットの首を掴み返した。空中で組み合う二人が半回転し、位置関係が逆転する。「グワーッ!」悲鳴を上げたのはホワイトパロット。その体が擦りおろされ、外壁に赤黒い線を残す。

「……イヤーッ!」「グワーッ!」ホワイトパロットはカラテを込め力任せに再び体位を半回転させた。位置関係が再度入れ替わりブライティドが壁面に押し当てられる!「イヤーッ!」「グワーッ!」更に半回転。「イヤーッ!」「グワーッ!」半回転。「イヤーッ!」「グワーッ!」半回転。

「イヤーッ!」「グワーッ!」巴めいて回転し、位置関係を入れ換えながら二人はビル壁を滑るように落下し続ける。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 気付けば地面は二人の目の前にまで迫っていた。「イヤーッ!」「グワーッ!」互いを掴む手をどちらもまだ放さぬ。先に放せば不利……さりとて回避が遅れれば二人仲良く落下死だ。さながらチキンレースじみた状況で、両者は未だ回転を続ける。「イヤーッ!」「グワーッ!」もはや地面は寸前。

「「……イヤーッ!」」地面に衝突し血溜まりと化す寸前、二人は同時に手を放し壁を蹴った。ベクトルを横へと無理矢理に変え、アスファルトの上で一度前転しそのまま跳ぶ。衝撃でアスファルトに網目状にヒビが入り、突如空いた穴に雨の夜道を歩く人々は驚き転倒した。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」カラテが交差し、衝撃波がビル群の窓を揺らす。(ここまで離れれば害は及ぶまい……)コウライヤビルを一瞥し、ホワイトパロットは濡れた路地裏を駆ける。「イヤーッ!」ブライティドはホワイトパロットの背後へとナイフを突き出し跳ぶ!「イヤーッ!」紙一重で壁を蹴り回避!KRAAAASH!「アイエエエエ!?」店舗の壁を破壊された店主の悲鳴が響いた。

「イヤーッ!」ホワイトパロットは壁を蹴り、トライアングル・リープで屋根へと跳んだ。ブライティドも追うように跳び、空中で2度、3度とカラテ衝突しながらやはり屋根の上へ。「イヤーッ!」ブライティドが跳ぶ!「イヤーッ!」右チョップ!「イヤーッ!」ホワイトパロットは左チョップで迎撃!

 ホワイトパロットとブライティドは今や並走し、高速で移動しながら横並びでミニマルなカラテ応酬を続ける!「イヤーッ!」「イヤーッ!」2つの拳がぶつかり合う!「イヤーッ!」ブライティドの右拳!「イヤーッ!」左拳で迎撃!位置関係上利き腕を封じられたホワイトパロットはやや不利か。

「イヤーッ!」位置関係の不利益を悟ったホワイトパロットはあえて一瞬足を止め、ブライティドの背後へと回った。このような移動しながらの戦闘において、相手に逃げる意思がないのであれば後方側が圧倒的に有利となる。……だが、それはブライティドも承知の上。「イヤーッ!」懐から取り出した袋を後方へと投げる。

 袋が破け屋根の上へとバラ撒かれたのは、非人道兵器マキビシである!誤って踏めば鋭い棘が足の裏から甲まで容易く貫通し、返しの付いた棘は簡単には引き抜くこともできず移動を困難とする恐るべき罠!「イヤーッ!」ホワイトパロットは走り幅跳びめいて跳躍しマキビシの地雷原を飛び越える!

 だが、それすらもブライティドの仕掛けた罠であった。ブライティドは体を無理矢理に180度近く捻り、そしてバネ仕掛けめいて戻りながら全力で投擲した。跳躍し空中で無防備となったホワイトパロットへと刃が迫る。それはブライティドの得物、呪わしきダイング・ブレイドであった。

 一つしかない得物を投げるあまりにもリスキーな、そして空中で無防備となったホワイトパロットには実に効果的な一撃。「イヤーッ!」ホワイトパロットは空中でスリケンを構え、そして全力で投げた。……ダイング・ブレイドではなく足元の屋根へと目掛け。

 瞬間、スリケンを投げた反作用と、そして屋根に命中したスリケンが生じさせた衝撃波が僅かにホワイトパロットの体を浮かせ、そのすぐ下をナイフが通過した。「チィーッ……!」舌打ちし、ブライティドは手首に結ばれた細いワイヤーを引いてダイング・ブレイドを引き戻し再び握り直す。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」色付きの風が二陣、二重螺旋めいて交差を繰り返しながら夜の雨に濡れた屋根を駆け抜けてゆく。交差の度に激しい音と衝撃が辺りを揺らし、その度に街の人々を恐怖させた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」両者のカラテは拮抗している。……本来であれば遥かな隔たりがあるはずでありながら。

 胸の傷が、呪いがホワイトパロットの命を蝕み、吸い上げたカラテをブライティドへと還元し力を増させた。……だが、それだけで覆る実力差ではあるまい。ブライティドの体内にはおぞましきカラテが渦巻いている。「イヤーッ!……お前、どれだけの命を奪った!」「イヤーッ!覚えてねェな!」

 ノウトに敗れ濁流に飲まれながらも奪い取った生命力で命を繋いだブライティドは無差別にツジギリを繰り返し数多の犠牲を出すことで傷を癒し、更に己の力を高めることに成功したのだ。無数の怨嗟を身に纏い、奪った命を無感情に消費しながらブライティドは戦う。……その中にはコウシロ夫婦も含まれているのだろう。

「……アンタの方は弱くなったなッ!イヤーッ!」ブライティドが一気に動く!間合いを詰め、右腕で高速の突きを繰り出した!……速い!「グワーッ……!」ホワイトパロットの腕に深い傷が刻まれる!致命傷でこそないが、この一撃が通ったということ自体が問題である。……力関係が逆転しつつある。

「後がねぇぞ!イヤーッ!」ブライティドの続く一撃がホワイトパロットの喉元を狙う!「イヤーッ!」だがホワイトパロットは紙一重でこれを回避!ブライティドは速度を一切落とさずに水泳のクイックターンめいて壁を蹴って反射、さらに跳ぶ!「イヤーッ!」

 ホワイトパロットはどうにか刃を避けながら自省する。かつてブライティドを無責任にニンジャとしたこと。あの日ブライティドを殺し切れなかったこと。ブライティドの行方を探し当てられなかったこと。……何よりも今、コウライヤに命を捧げ殉じると誓いながら、心の底で死を恐れていること。

 全てを失い死に場所を求めていた私は、全てを捨ててコウライヤに尽くしていたはずの己は、いつの間にか新たな未練を抱えてしまった。……ソメゴロの存在が、共に過ごした日々が楔となって己の深く深くに突き刺さってしまっている。死にたくないと、これからも共に生きていたいと思ってしまっている。

 ……なんと虫の良い話だろうか。コウシロを、ソメゴロの父を死なせた私にそのような高望みをする資格は無いというのに。ソメゴロはもはや立派なカブキアクターだ。この障害さえ排除すれば、因縁さえ取り除けば彼の傍らに私が居続ける必要などどこにもない。「イヤーッ!」ホワイトパロットの胸元へと呪いのナイフが突き立てられる。

「……なにッ!?」ブライティドは呻いた。……ホワイトパロットは刃を握り締めてナイフを止めている。握り締める手から血がドクドクと流れる。鋭い刃を素手で握れば当然である。……関係ない。己の苦痛などコウライヤの前には些事。思い出せ。私は死してでも、命を捨ててでも為さねばならないのだ。

 ……そうでもなければ、コウシロを死なせたこの私が今を生きている意味などないのだから。元より全てを諦め投げ出していたこの命、コウシロが与えてくれた使命に報いずにどうするというのか。……ホワイトパロットは白く光る目を見開いた。「イヤーッ!」

「グワーッ!……何だ……これは!」フロントキックを受けたブライティドは後退り、ダイング・ブレイドを手から落とし戦慄いた。目の前のホワイトパロットが白い光を放ち、恐ろしきアトモスフィアを纏っている。「何だよ……!アンタ……今まで本気……出してなかったのかよ……!オレにすら全てを隠して……アンタはッ!」

「これからその全てを見せてやろうというのに、何を喚いておる」彼の纏う装束は、いつの間にか白いオウムが刺繍された純白のキモノへと変わっていた。背中に純白の光の翼を生やし、ホワイトパロットは光の腕を合わせてオジギする。「ドーモ、ブライティド=サン。私は、ハクオウ・ニンジャです

「……それが、アンタの本当の名前かよ」ダイング・ブレイドを拾い構え直しながら、ブライティドは師の知らぬ名を忌々しげに呟いた。「イヤーッ!」そして、ブライティドは呪刃を構え全力で跳んだ。足元で屋根瓦が砕け、眼下の街へと落ちてゆく。刃が届くよりも速く、光の腕がブライティドの両肩を掴んだ。

「グワーッ!」光で作られた猛禽めいた鉤爪がブライティドの肩に食い込み抉る!「イヤーッ!」「グワーッ!」膝蹴りがブライティドのみぞおちへとめり込む!ホワイトパロットは光の両腕を離し、僅かに沈み込むような姿勢から跳んだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」サマーソルトキックである!

 空中へと投げ出されたブライティドは追撃を察し、顔の前で腕をクロスさせ、体を丸めて咄嗟の防御姿勢を取った。光の翼が羽ばたき、ホワイトパロットの体が飛び上がる。光の鉤爪が大きく開き、クロス腕ガードごとブライティドの体を掴み握り締めた。「グワーッ!?」

「イヤーッ!」白い光の羽を舞い散らせながらホワイトパロットは羽ばたき、ブライティドを掴んだまま屋根すれすれを飛行する!「グワッ……!グワーッ!グワーッ!」ブライティドは万力めいた力で絞められながら屋根へと押し当てられ、屋根を破壊しながら悲鳴を上げる!

 目の前には一際高い高層ビル!「イヤーッ!」ホワイトパロットは速度を落とさず、飛行角度を90度変えて垂直に飛び上がった!暗い雨の夜に光の軌跡を残し、天へと昇る龍めいて!「グワーッ!」ビル壁面を砕きながら体を削られ、ブライティドが悲鳴を上げる!

 ホワイトパロットの胸元から、そして斬り付けられた腕、掌からおびただしい量の血が流れ、雨に混じって街へと降り注ぐ。弱りきった傷だらけの体で、このエテルの枯渇した時代に力を振るう。それは壊れかけた機体で僅かに残った燃料を浪費しながらフルスロットルでエンジンを吹かすようなものだ。……長くは続くまい。

 それで良い。覚悟はし直した。……未練も、切り捨てた。白い羽と赤い血、紅白の2色を夜の闇に散らしながらホワイトパロットは羽ばたく!「イヤーッ!」「グワァーッ!?」ビルの屋上よりも高く、コウライヤ本社ビルよりも更に高く、上空へとブライティドの体を投げ出した。

 空中へと投げ出されたブライティドはもはや足掻くこともせず、ただ空を見上げた。大雨を降らせていた分厚い黒雲がにわかに裂け、金色に輝く満月が街を照らす。その光を背に、ホワイトパロットが滞空する。……それはまるで後光のように神々しく。ブライティドは顔を歪め、喜びか、悲しみか、大粒の涙を流した。

 ホワイトパロットが一際強く羽ばたくと無数の光輝く純白の羽が舞い散り、空を覆い尽くし満月を再び隠した。街へと舞い落ちたかのように思われた数多の光の羽もまた、重力に逆らい空中に静止している。羽の一枚一枚が実体を持たぬカラテ・エネルギーの結晶であり、一種のカラテミサイルであった。

「イィィィ……ヤアァーッ!」絞り出すようなホワイトパロットのカラテシャウトに応じ、羽が純白の光を放ち爆ぜる。真っ白に染まった光の中で、ブライティドは目を閉じた。BOOOM!BOOOM!BOOOM!BOOOOM!無数の小規模爆発がさながら花火のように連鎖し、夜空を、街をも真白く塗り潰す。「……サヨナラ!」ブライティドは光に呑まれ爆発四散した。

 KABOOOOOOM!突如鳴り響いた爆発音と白く眩い光に人々は驚き、何事かと空を見上げた。……夜空を覆っていた分厚い雨雲がすっかり消え去り、黄金に光る満月と、静かに瞬く星々が空には浮かんでいた。人々は差していた傘を不思議そうに閉じ、再び深夜の街を歩き始めた。……力無く落下する男の存在に気付く者はいなかった。

 血中カラテをほとんど使い果たし、朦朧とした意識でホワイトパロットは落下する。……務めはもう果たしたのだ、これで良い。未練などない。このまま静かに眠ろう。何も為せなかった私が一つ、目的を果たし死ねるのだ。なんと素晴らしい最期であろうか。未練など、ない。

 思えば長い日々であった。己の生きた年月からすればほんの僅かな期間だが、そう思えるほどに充実した密度の高い時間だった。……全てが潰えた後の無意味な余生として、無駄なロスタイムとして始めた日々が、ここまで満ち足りた者になるとは。……未練などない。言い聞かせるように繰り返す。

 未練など……「父さん!」その時、声が聞こえた。ホワイトパロットは閉じていた目を開き、下を見た。空を舞う内にいつの間にか戻ってきしまっていたのだろう、彼の落下する先は何の因果かコウライヤビルの屋上であった。ソメゴロが両腕を広げ、ホワイトパロットの元へと走る。

「……馬鹿、空から落下してきた人一人をモータルの身で受け止められるわけが無いだろう。助けられないどころか、下手をすれば巻き添えでお前まで死んでしまうぞ」

 ホワイトパロットは僅かに残された力で羽ばたいた。

 ……未練が、生かした。


【エピローグ】

 手入れの行き届いた綺麗なタタミ座敷。晴れ渡る朝日が照らす部屋の中央には清潔なフートンが敷かれ、痩せ細った男が寝かされている。……ホワイトパロットだ。天からの墜落死寸前でどうにか一命を取り留めたが、全ての力を使い果たした彼の命はどの路そう長くはなかった。

 フートンの傍らにはソメゴロ。力無く横たわる意識のないホワイトパロットを、父コウシロをこの1日丸々付きっきりで甲斐甲斐しく看病している。額の汗を拭い、枯れ枝めいた指を握り締めた時、不意にコウシロの目がゆっくりと開いた。「父さん……!気が付きましたか」

「ここは……」「マツモト屋敷のタタミ座敷です。あの戦いの後、父さんは1日ずっと意識を失っていたんです。……そうだこれを」ソメゴロは枕元に置かれた薬呑器を取り、コウシロに水を飲ませた。「そうか……すまない」渇いた喉を潤し、コウシロは尋ねた。「……コウライヤは今どうしている……」

「……死者は多数ですが、その大半はガードマン達です。襲撃の時間が深夜だったこともあり被害に遭ったカブキアクターはそう多くはありません。……それでも決して軽くない、十分に重い損害と言えるでしょうが、少なくとも現状の公演や運営に支障はありません」

「此度の件は狂った男のコウライヤ襲撃殺人事件として世間に公表し、それでも負けない力強く健気な姿をアピールし更なるイメージ向上を。そしてカブキアクター達を守り抜いた手腕を見せつけ敵対者への牽制として利用する方向で進めています」「そうか……」呟き、コウシロは目を瞑った。

 ソメゴロ……強く、したたかに育ったものだ。本当にもう私がお前の側にいる必要はないのだな。「ところで」ソメゴロが意を決した表情で口を開けた。「父さんには聞きたいことがあります。……貴方は、そしてあの襲撃者は一体何者なんですか。……本当にニンジャ、なのですか?」

「……お前がそれを知る必要はない」「私は今回の件の当事者です!知る権利があるはずです!ニンジャとは一体何なのか!」「……知らなくて良い事もこの世にはあるのだ。……歴史の闇になど、触れずに済むのなら触れない方が良い」「でも……!」食い下がるソメゴロをコウシロは真剣な眼差しで見た。

「……ニンジャの時代などもうとっくに終わった。実在しないお伽噺の怪物。それでいいんだ。……お前が足を踏み入れることをお前の本当の父も望んではいまい」無論私も望んでいない、コウシロはそう付け加え、ソメゴロはそれ以上何も聞けず口を閉じた。

「それより……ソメゴロよ」コウシロは病床から己の身体をどうにか持ち上げ、座姿勢となった。「父さん……!いいから安静にしていてください!」ソメゴロの言葉にコウシロは首を横に振った。「……今でなければならないのだ。もう、今でなければ……ゴホッ……!」手に付いた血を隠し、コウシロはソメゴロを見る。

「マツモト・コウシロの名を、コウライヤを今こそお前に託そう」やせ衰えながらもその瞳は力強く凛としている。「……元々私は正当な後継者などではない。中継ぎだ。……今こそ、名と地位をあるべき所へと返す時が来たのだ」コウシロは微笑んだ。「そんな……遺言めいたこと……」

「同じ様なものだ、私はもう長くはない。……己の体の事だ、よく分かる」そう言うと寂しげに笑った。そして、コウシロは難儀そうに立ち上がり、ソメゴロは慌てて肩を貸した。「ふっ……済まないな……」呟き、マツモト屋敷の奥へと肩を借りながら歩いてゆく。

「どこへ行くんですか?言ってくれれば私が……」「いや……いい。私が行かなければならないのだ」ふらりふらりと覚束ぬ足取りで屋敷の奥へと進み、金刺繍の襖を開けて豪華な部屋へと踏み込んだ。「ここは……」それはコウライヤ当主の間。ソメゴロはほとんど足を踏み入れたことはなく、コウシロも当主でありながらほぼ立ち入ることの無かった部屋。

「そう……これだ」ソメゴロの肩を離れ、膝をついて床の間に置かれた二つの横に長い桐箱を拾い上げた。「これを……お前に」桐箱をソメゴロへと差し出す。「それは……?」渡された箱を、ソメゴロは不思議そうに開けた。……よく手入れされたナギナタがそれぞれの箱に一振ずつ納められていた。

 黒く鋭く光るナギナタと、白く柔らかく輝くナギナタ。恐ろしいまでのアトモスフィアにソメゴロは唾を飲んだ。「それはコウライヤ当主に代々伝わる家宝。……世をただし敵を別つ黒きベッカク、想いを承けて相手に伝うる白きデンショウ。……当主に相応しくない私は使うことはなかったが」

「……ベッカクとデンショウの譲渡、これを以てシュウメイとする。ソメゴロ、いや、第九代目マツモト・コウシロよ」「私が……コウシロ……」戸惑うように目を泳がせ、しかし、ホワイトパロットの真剣な眼差しにソメゴロは……コウシロは真剣な眼差しを返した。「……解りました。謹んでシュウメイをお受けいたします」

「ハハハ……これでようやく、肩の荷が降りたぜ」力無く笑い、ホワイトパロットはアグラ姿勢で座り込んだ。「ようやくだ……」「その口調……」ソメゴロ……コウシロは目を丸くした。「ああ、コウシロをやっている時は真面目ぶってたからな……新鮮か」「フフッ……そんな一面もあったんですね」

「ところで、もうコウシロではないんですよね」「ああ」「じゃあ、貴方の事はなんと呼べばいいんですか父さん」……今度は逆にホワイトパロットが目を丸くした。「……ハハッ!今気にする事か、それ?」「気になりますよそれは」コウシロは笑顔を見せた。「ええと……ホワイトパロット……という名前で呼べばいいんですか?」

「いや……そうだな……俺はハクオウだ。そう呼べばいい」「ハクオウ……」コウシロは何か考えるように顎に手を当てた。「ホワイトパロット……白い鸚鵡……ハクオウ……ああ、そういう事ですか……直訳なんですね」コウシロはクスリと笑った。ハクオウは目を細め、頭を掻いて何か懐かしそうに笑みを浮かべた。

「……改めて、ドーモ。ハクオウ=サン。私はマツモト・コウシロです」「ああ、ドーモ、マツモト・コウシロ=サン。ハクオウです」二人は互いの初めて呼ぶ名でアイサツし、顔を見合わせて笑った。


 ……夢に生き、ただ夢に死ぬ。暁の空に見える光の中へ。


 ……翌朝、一枚の絵を描き残し、ハクオウは静かに息を引き取った。



【エレジー・フォー・ホワイト・パロット】 終



カブキ名鑑

◆歌◆カブキ名鑑#890【ハクオウ・ニンジャ】◆舞◆
詳細不明。コウライヤ及びホワイトパロットと何らかの関係があるようだが…。

◆歌◆カブキ名鑑#140【ハクオウ・ニンジャ】◆舞◆
ホワイトパロットの父にして師である第八代目マツモト・コウシロは太古より生きる強大なるリアルニンジャであった。清浄と知性を司り、純白なる浄化の光を纏い戦う。

◆歌◆カブキ名鑑#141【ブライティド】◆舞◆
ハクオウ・ニンジャの指導を受けてリアルニンジャとなった男。しかし、師から最後までインストラクションを受けることができず、ニンジャとして不完全なまま生きることを余儀なくされた。


K-FILES

ハクオウ、ホワイトパロットの名に秘められた過去を紐解くコウライヤ過去編。1900年代を舞台に、謎多き先々代マツモト・コウシロが如何なる人物なのか、ハクオウ・ニンジャとは何者なのかに迫る。カブキ名鑑ナンバー140到達に合わせて書き下ろされた。


主な登場ニンジャ

ハクオウ・ニンジャ / HAKUOU Ninja:古くに生まれた強大なる神話級リアルニンジャ。聖なる光を身に纏い猛禽めいた腕や大きな翼を造り出して戦う他、一度掴まれれば逃れることはできない握力で相手を捉え投げ技や絞めへと繋げるカラテを得意とする。

クジャク・ニンジャ、ビンガ・ニンジャ、グミョウ・ニンジャ、シャーリカ・ニンジャと並びジョウド・ニンジャの五忍として恐れられたアーチ級ニンジャであり、清浄と知性を司る。この世界を選ばれたニンジャのみが生きる浄土へと変えるというジョウド・ニンジャの選忍思想に従い、父祖の直令によってジョウド・ニンジャが討ち取られる時まで仲間と共に激しいイクサを繰り広げた。ジョウド・ニンジャの死後には活動の記録が一切残っておらずその末路は不明とされていたが、実際には俗世との繋がりを絶って生きていた。

休眠から目覚めた後に名乗ったノウト / Noughtは己を蔑む自嘲的な名である。

ブライティド / Blighted:かつてノウトを名乗るハクオウ・ニンジャが育て上げた弟子。戦災孤児であった彼は比較的近代のエテルが少ない時代でありながらリアルニンジャとなることに成功するも、力に溺れ己を律する事もできぬままハクオウ・ニンジャの元を出奔しギャングのボスとなった。しかし自由にやりすぎた彼の絶頂期はそう長くは続かず、ニンジャを危険視する何らかの組織から送り込まれたニンジャ刺客によって重傷を負い、以降無力感と厭世観に苛まれるようになる。

武器として使うナイフは呪わしきダイン・ニンジャが遺しヘグニ・ニンジャが用いたという遺物が時を経る中で冒涜的に加工された物であり、不治の傷を残し命を奪い続ける魔剣である。またNRS症状を利用し、自身の事を忘れさせながら同時にモータル達の深層心理へと命令を染み込ませることで足の着かぬ傀儡として利用する。

ノウトの事は師として、親代わりとして深く敬愛する一方で呪いを与えた存在として恨み、愛憎入り交じる狂気的な感情を向けている。



メモ

これはスレッドにおいて「カブキ名鑑のナンバー140が迫っている」という感想を目撃し、期待を裏切るのも心苦しいという理由で書き上げられたエピソードだ。そんな突貫工事の割に、描きたいことを詰め込んだため非常に長く冗長になってしまった。

かつてまとめを出した時からカブキ名鑑の末端には546番のカブキ・ニンジャと890番のハクオウ・ニンジャの名前は存在していたが、これらの獣の数字はそうそう到達することはないという前提で入れられた、本家のキリ番をオマージュしつつ遊び的な要素を大きくした名鑑である。そのため本編内で扱うつもりはあまりなかったのだが、初代マツモト・ハクオウのエピソードを描くインスピレーションが突如舞い降りたために採用となった。(初代マツモト・ハクオウ=ハクオウ・ニンジャという設定自体は元々存在していた。)

では残るカブキ・ニンジャの方はどうかというと…こちらはホワイトパロットの憑依ソウルという想定がされていたが、原作との設定上の齟齬が色々とあるため実質的にボツとなった形に近い。とはいえ一つのアイデアとして残しておくし、今後サルベージして再利用することは十分にあり得るけどね!

なおこの話の中ではぴるすは出てこないが、それもそのはず、当時のコウライヤではまだぴるすという生命体の生産・研究は始まってはいない。この話の中でニンジャという存在を知った九代目コウシロがY2Kの後、電子戦争の最中にニンジャ伝説調査を開始し、そして強大なるリアルニンジャの遺骸を見つけ出すことでコウライヤのぴるすは誕生した。

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