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旅立ちとグリーフワーク

 親友が旅立ったのは、2020年11月17日。約一年のお百度参りと、写経、差し入れの味タマゴやカレー、人参ジュースなど作りが終わった日。本当に彼女らしい静かな旅立ちの形でした。でも、まだ写経は続けている。

 個人的に、彼女は亡くなる3日前の朝に、大好きだったお父様の所に旅だったのだと確信している。あの心を揺さぶるほど美しい明けの三日月に向かって、一羽の白鷺が飛んでいくのを見たからだ。ある一時から、白鷺がちょくちょく姿を見せるようになった。それを私は、彼女が姿を変えて、私の様子を見に来てくれているのだと思った。それでも、少しの間身体をこの世に残して居てくれたのは、彼女の遺される家族への心遣いだったのではないだろうか。何故なら、それまで面会出来ていなかったお姉さまも、その間に付き添うことが出来、お姉さまに最後看取られたから。きっと、あの時亡くなっていたら、コロナ禍で面会制限がかかってから、面会出来ていなかったお姉さまは、かなり心残りだったろう。


 彼女が最後に口にしたのが、氏神さまの近くで買ってきたニンジンで、私が作ったスムージーだったことを嬉しく思う。これも、彼女の最後の、私への精一杯の感謝の心遣いだったのだと思う。

 親友たちとお母さん、妹さんとお姉さんだけの小さなお葬式は、彼女の大好きだったつんく♂の歌がずっと流れていた。そして、私が書いた絵写経と、彼女の子どもの頃から可愛がっていたぬいぐるみ🐻、大好きだったジャイアンツグッズ、式場の方の心遣い、彼女の大好きだった辛口カレーと手作りのつんく♂のアルバムも、棺に納められた。最後は花で埋め尽くされて、顔しか見えない状態だったけど…。勤め先の病院を一周して火葬場まで。

 彼女は乳ガンの首の骨への転移から発覚した。私も同じ年に乳ガンになったが、私は転移もなく、手術で左胸を全摘するだけですんだ。だから、彼女の苦しみを知らない。彼女は、それでも、抗がん剤を2週間に一度続けながら、首にカラーを巻いて、約3年働き続けた。本当に頑張りやさんで、愚痴も言わない、静かな人だった。子どもの頃から難病を抱えていたので、人並み以上に我慢強い人だった。

 お母さんが「この子は子どもの頃から難病を抱えて、痛いことばかりで、かわいそうな子だと思ってきた。でも、皆さんとお友だちでいられたから、幸せな人生だったのですね。」と、言ってくださった。

 ずっと、コロナ禍で面会できなかった間、私の差し入れを届け、食事介助しながら、LINE電話で面会を手伝ってくれた妹さんとのお付き合いは、今も続いている。一緒に食事に行く度に、「美香ちゃんが、皆さんとお友だちでいて、どんなに居心地が良かったのか、皆さんと一緒にいると良く分かります。美香ちゃんは、皮膚に腫瘍ができる難病だから、きっと、誰かに何か心ない言葉を言われたりしたのだと思う。あまり他人に心を開かないタイプたった。家族にも、殆ど本音を話さず、いつも男みたいな格好で、笑顔も見せなかった。でも、皆さんとの写真を見て、あんなに笑顔で、ドレスとかも着て、皆さんと知り合えたから、幸せだったんですよね。」と言って涙ぐむ。

 50年以上共に暮らし、傍にいて、きっと、ずっと、お姉さんの事を気にかけ続けていたであろう妹さんの、グリーフワークはまだまだ続くのだろう。 

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