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テラサカトモヒロという男

24歳ぐらいの頃だったと思う。
当時、交際していた幼馴染が

すごいやつがいるから見てよ

と言うので、慣れない東京の街のライブハウスを訪れた。
爆音と好みにならない音楽に疲れたころ、その「すごいやつ」が舞台に立った。

無言のままに演奏に入る。
そのライブパフォーマンスに僕は息をのんだ。

爆音で聞き取りづらいはずの歌詞が、気持ちいいほど僕には届いたのだ。
耳障りの良い高音が、ロックなメロディにいびつな様で完成度高く乗っていた。

その日から僕はずっと、その音楽に囚われている。

インディーズレーベルからデビューをして、ローカルのラジオや新聞でのインタビュー。

地元岡山のレコード店では専用POPも掲げられた。

その人を知る人は皆「天才」だという。

ギターの腕も言うまでもなく、作詞作曲、アレンジまですべてをこなす。

ハードロックでありアコースティックで、ジャンルに囚われなかった。

今ではそんなシンガーソングライターも増えてきたけれど、当時のライブハウスでは異色だった。

レーベルがなくなり、メジャーへもきっと挑戦したのだろうけれど。

ある時から、僕はその音楽を聴く機会をすっかり失ってしまった。

「天才」ってなんだ。

その道だけで家が建てられたら、誰もが認める天才かな。

その道だけで親孝行ができたなら、誰もが認める天才かな。

道を歩けば人が群がるほど有名になれば、誰もが認める天才かな。

そんなものはクソっくらえだ。

その歌は「ファンは自殺志願者なんじゃないか」と言われるくらい、それをモチーフにしたりイメージさせたものもあった。

そんな歌に「自分だけが孤独じゃない」と救われた人は僕だけではなかったはずだ。

言葉だけではなく、メロディーだけではなく、その声だけではなく。

その存在に、僕らはしがみついていた。

音楽なんてものは「気持ちいいか、そうじゃないか」そんな選び方でいい。

その音楽は僕にとって最高に気持ちのいいもので。

当時の寂しがりな僕の心を、きれいに埋めてくれたのだ。

「天才」ってなんだ。

誰かの心に一生涯、残る何かを作る人を、そう呼んだっていいだろう。

僕の中でその人は紛れもなく、今でも「天才」だ。

15年くらいの年月が立ったかな。

ここにきて、またその音楽を聴くきっかけが巡ってきた。

中年になって聴くあの頃の音楽は、変わらず美しい。

コロナの騒ぎが過ぎ去れば、またあの声を聴きに行こう。
あのころと変わらずきっとまた、挙動不審になりながら挨拶をするのだ。

大好きだからね。

そしてまた、おいしいお酒を飲みながら笑えたらいい。

歳を重ねたことが嬉しくなるような、そんな時間が過ごせるといい。

written by NORiX

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