私という人間について
私はずっと愛を探していた。
全ての人間に嫌われるのが怖かった。
昔からそうだった、
人に何かを与えることで
保険をかけ、自分が嫌われないようにする。
幼少期からそうだった。
優しさとその人の望む物を与えていれば大丈夫だと思っていた。
人のことも全て信用していた。
でも思うようにはいかなかった。
裏切られてばかりの人生だった。
自分の人生において"嫌われない"ということが
1番重要だった為、本来の自分の姿を他人に見せた事は一度もない。
嫌われる可能性があるからだ。
最近までは他人に対して自分は偽っているのだろうか、と思っていた。
だがその自分も、自分自身なのである。
偽っているわけではない。そう思えるようになった。
私は数々の裏切りを経験し、感情をコントロールすることができるようになった。
そのせいで人に対して感情的になることがなくなってしまった。
だからいつも薬を使って感情をコントロールできない状態に持っていっていた。
薬で自分自身を洗脳している瞬間はとても楽しかった。
情熱的に人間に接することができるからだ。
情熱的に、感情的になった方が人間関係は楽しいと知っていた。
だが、もう薬を使うことはないだろう。
私はもうこのままでいいと思った。
人間と芸術どちらかを取るとするなら、私は芸術を選ぶだろう。
薬を抜いてありのままの自分で芸術を創り上げたいと思った。
もう薬をを使わなくなった今、人に期待をすることはないだろう。
期待しないというのは本当に楽である。
人に期待をし、裏切られ絶望の淵に立つのもまた芸術の為になると考えるが、散々そういう経験をした。
だからもう経験する必要がない。
私はこれから自分が経験したことないことを知りたい。
絶望の種類はもう全て知っている。
だからもう大丈夫。
人間については知りつくした。
輝きたいとも希望を知りたいとも思わない。
私が生きる意味、
それは死ぬまでの人生という芸術を彩っていくことだ。