「型」は大事だよなあとしみじみ思う
とある記事の感想
文章において型が決まってると、これから書かれるであろう文脈が読みやすい。
さらにあらかじめ型が共有されていると流れが分かりやすい。想定外の情報や展開に余計な思考を使う必要がないから、文章をそのまま素直にうけとめやすい。少なくとも私には。
単調?そうは思わない。エンタメで読む小説のようなダイナミックな大どんでん返しや伏線回収をいつも期待しているわけではないのだ。
なのでフォローしてる人の作品やnoteがいつも通りだと安心する。
型は日常生活においても役立つ
身の回りの作業に些細な不便や面倒くさい感じがするのは、わたしにそこに使うべき型や統一された作業フォーマットが整理されてないからかもしれない。
日常生活でいえば、日々の家事炊事や仕事はもちろん、生活費の管理や余暇の過ごし方も含めて、私にはあらゆることに型がない。ここでいう型とはルーティンと言い換えられるかもしれない。
「規則正しい生活」の正しさ
思い返せば、自分なりの型やフォーマット探しは昔から気にしてて、何事も〇〇術とか△△法とかそういう情報を求めてきた。ちゃんと定着した型は、まだ、ない。
むかし親や学校のよく言われたような「規則正しい生活」。アレって案外大事。いちばん規則正しい生活をすごしていたのは、大学受験時だと今でもおもう。当時、自宅で浪人をしており、一日の過ごし方を週単位の時間割で自分で決めていた。
アレがきっと自分を律するピークだった。一人暮らしが長くなり、その対価は自由気ままであるが、代償は型がないことかもしれない。
いつもやり方が変わるから生活も仕事にも統一性がないことが少なくない。本人視点では似たようなことを毎回少し変えてしまう、あるいは変わってしまうからストレスでもある。
「型破りたれ」
型を作ること。型があって初めて型破りができる。まずは、自分の型を見つけることが大事なのだ。これは恩師の一人である早稲田大学元教授の内田和也先生の言葉である。
型がないのが型ならば、型通りにやってみよう。そして、そこからオリジナリティを出していく。
そう、これは守破離の考えだ。
noteで取り上げるテーマ、文体、ボリューム、更新頻度、美術の楽しみ方や生き方など、世の中にはまだまだ身につけたい型に溢れている。
#書く部
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#不器用
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