「許せない」という気持ちを知った息子へ。
生きている色んな複雑な感情に出会う。それは年齢を重ね、経験を積むにつれて増えていくし、扱いの難易度が上がっていく。
4歳の長男は最近、「許せない」という感情を覚えたと思う。
保育園での帰り道、お友達との楽しいやり取りのエピソードに混じって、「〇〇ちゃんがいじわるしてきていやだった」「いっしょにあそぶのいやだな」というような事を話す事がある。子供同士のやり取りだ。園の先生からもトラブルの報告もない。頻度も多くないし、次の日には仲良く大笑いしているから、全く深刻な状況ではないのだろう。それでも、息子には「許せない」という瞬間があったんだろうなぁと受け止めている。
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「ごめんね」と「いいよ」はセットになりやすい。そして謝られた側は、瞬発的にその場で許すことを望まれる。それが優しさであり、器の大きさを示す事であるように。逆もある。「ごめんなさいは?」と謝罪を強要するケース。本当に非があった場合を除いて、すぐに謝らないと非難される。
私が傷ついてきた言葉は、その殆どが母の口から発せられたもので、その事を言及すると、「悪気はない」「そんなつもりじゃない」「そんな捉え方してると思わなかった」と言うのだ。そして許せない私を卑しい、意地悪な人間だと言った。「いつまでも被害者面している」「根に持ってる」と。そして、逆に「ごめんなさいは?」と詰め寄られ、謝罪するまでがセットだった。「悪気はない」、それは分かった。でも、だからと言って謝らなくていいわけではない。悪気はないとは言え、傷つけた事実は変わらない。相手が傷ついていた以上、誠心誠意謝らなくてはいけない。“悪気はない”という言葉は免罪符ではないのだから。傷つけられた側は、謝罪を「受理」した後、「納得」するタイミングを図っていい。そして許すという行為に時間がかかる人が居る事を、どうかわかってほしい。
傷つけた側、傷つけられた側。謝罪する側、謝罪される側、どちらにも共通して大切な事は、「感情に向き合う時間を取る事」だと思う。自分と、相手の感情の双方に向き合う事。
「ごめんね」と「いいよ」は、必ずしもセットであるとは限らない。謝りたくない気持ちがあっても、許せない気持ちがあってもいい。どちらかが、あるいはどちらも納得していない状態で表面上の言葉を用いてその場を収める事はあまりに悲しい。自分の気持ちに嘘をついて謝ったり、許したり。感情のこもっていないそれは偽りであって、傷つけた側にとっても、傷つけられた側にとっても優しさとは言えない。気づきを得たり、与えることが出来ないからだ。必要な事はお互いの複雑な気持ちを言語化して表出しあった上で、着地点を見つける事だ。これはかなり骨が折れる。だから「ごめんね」と「いいよ」がセットになりやすい。
君はこの先、傷つく事が沢山あるだろう。そして傷つける事もあると思うよ。それは生きていく上で避けられない事だからね。でも、どんな時も自分の感情に嘘をついてはいけないし、相手の感情を理解する努力も辞めてはいけないよ。
と、言うようなことを息子に伝えたい。伝えたいけど、結構難しい。母はまだまだ未熟です。共に勉強させてもらいます。