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私を変えた、推しの話。

中学生の時、マイケルジャクソンに夢中になった。

先に言っておくけれど、彼のスキャンダラスな話題や疑惑についての私の考えをここで言及したり議論するつもりはない。

まぁとにかく、私の推しと、それに纏わる話を聞いてくれ。

私の生まれた年(1987年)に行われた彼の来日公演、“BAD TOUR-Live in Yokohama”のVHSを両親の部屋の棚の奥から発掘したのが、中学生の夏休み。テレビ放送されたものを両親が録画していたものだった。ほこりをかぶったそれを興味本位でビデオデッキに突っ込むと、年季の入った古めかしい映像が流れ始めた。

見た事のないマイケルがそこにいた。ワイドショーのゴシップコーナーでしか、彼を見ることがなかったから。エキセントリックな行動を繰り返す、奇妙な見た目の、それもたくさんの疑惑を抱えた彼しか知らなかった。

しきりに動く繊細な長い手足、華奢な身体から発せられる信じられない声量、美しい歌声、息切れ一つせずに続くパフォーマンス、片手だけにはめられた煌めくグローブ。

Billie Jeanは圧巻だった。小さなスポットライトの中、帽子とグローブのパフォーマンスを見終わった頃、勢いよく彼の沼に飛び込んだ。

人生で最初の“推し”である。

中学生当時の私の語彙を拝借すると、「めっちゃくちゃかっこよかった」。「天才やん」と。

そしてとても驚いた。
彼を偏見の目でしか見ていた自分自身に。
好奇の目でしか見ていなかった事実に。

正しくない見方だと思った。彼は元々は音楽家なのだから。

そこからの私の行動力は凄まじかった。

なにせ年季の入った大昔のVHS。保存の仕方も悪く、劣化が進んでいた。マイケルの虜になってしまった私は、そのVHSを文字通り「擦り切れるまで見る」事になるだろうと悟った。これには危機を感じた。こんな大事なもの、本当に擦り切れられたら困る。

VHSの映像をDVDに映してもらうべく、しらみ潰しにカメラ屋を当たった。「あなたの映像、守ります」という広告を見つけた時は天にも昇る思いだった。これでマイケルに何度も逢う事ができた。(これを書いている今も流している。)

しばらくはそのDVDを毎日見て過ごした。それから中古品店に行き、彼のCDを買いあさった。彼の経歴を遡ったりして、どんどん彼を知っていった。


もののけ姫に登場するアシタカがえぼしと対峙した際に言う、こんな台詞がある。

「曇りなき眼で見定め、決める。」

あの時の私は子供ながらに、まさに曇りなき眼で見定めようとしていたと思う。好きになるかどうかを自分で決めたかった。マイケルジャクソンと言う人がワイドショーが言うような、ただの奇妙な見た目の奇妙な人なのかを自分の目で確かめたかった。知りたいものに自分で手を伸ばすという最初の経験だった。

その過程でアメリカや世界の歴史、白人至上主義の概念や黒人差別。そういった世界の残酷な歴史を知った。

正しい手段で正しく情報を得た。

偏見だけで物事を見ることをしなくなった。



ある程度すると、手元のものでは足りなくなってきた。そこで親に触るなと言われていたデスクトップのパソコンにこっそり手をだした。
同級生にマイケルが好きだと打ち明けるとギョッとされる事も多かったし、母もいい顔をしなかったからとても寂しかった。

パソコンの中には世界が広がっていて、彼の名前で検索すれば見たことのない画像や、ファンサイトが山程出てきた。

毎日毎日ずーっとパソコンの前にいた。マイケルジャクソンを知っていくと、ポールマッカトニー、プリンス、エルヴィスプレスリー、スティーヴィーワンダー、レイチャールズ、シンディローパー、マドンナなどの音楽を知り、私の世界は一気に広がった。

当然言語が違う。彼らの曲から感じる印象、湧き上がってくる自分中のイメージ。そういうものと曲の内容が合致しているのか確かめたくなった。

だから英語の辞書を引くようになった。

単語と単語を合わせると意味が分かるようになり、曲への理解が深まった。
大人になった今でも雨の日のBGMはpurple rainで、プリンスのこの曲に出会ってから、雨の日がとても美しい。

多分これが、「勉強が楽しい」と思った始まりだった。特別な勉強をしなくても英語は満点に近かった。



そんなインターネットの海を泳いでいたある日、日本人が運営しているウェブサイトを見つけた。

親の影響でファンになったという彼女のウェブページはマイケルへの愛で溢れており、日本中からファンが集う場所になっていた。

どこを見渡しても居なかった彼のファン達が、そのウェブスペースにはわんさかいた。同い年の女の子もいた。勇気をだして掲示板に書き込むととても歓迎された。

そこはワールドでワイドなウェブスペースだった。

当時色々な事情を抱えていて、家では育てにくい子だと言われいた。学校ではそんな自分を周りに悟られないように必死に偽っていたから、家にも学校にも居場所がなかった。
それがこのウェブという世界を知ってからは驚くほど楽になった。

そして、自分だけの居場所を作ってみようと思った。

HTMLやCSSなんかのwebの言語を学んだ。独学だけど見様見真似で何とかサイトが出来上がった時の達成感は言うまでもない。
(母に見つかりそうだったので泣く泣く削除したのだけれど)

この間、一年足らず。多分数か月だったと思う。

THIS IS IT Tourが発表された時は、記者会見を見ながら泣いた。あと10年早く生まれていたら彼のライブに行けたかもしれないのにと、ずっと思っていたから。日本公演はもちろん、世界中のどこへでも行くつもりだった。でも叶わなかった。彼は居なくなってしまった。

その後公開された映画、THIS IS ITは劇場で3回見て、3回とも泣いた。彼が私に残したものはあまりにも偉大で、喪失感もまた、巨大だった。


いくつも特技ができた。好きな物が増えた。物事を正しく見定めようと心がけるようになった。学ぶことの楽しさを知った。そうしたらどんどん好きな物が増えた。好きな物に没頭する時、孤独が消えていくようだった。

たった一人を推し始めただけで。

だけどそのたった一人が私を変えた事実を、彼が居なくなった今でも大切に胸に持ち続けている。

推しっていいよ。

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