必要と十分
これは私が詭弁と屁理屈で構成されているということをわかって読んでください。
最近気がついたことがある
理解できないことは許容できない、ということ
1+1=1→わかる
1+1=2→わかる
1+1=3→わからない
世の中「1+1=3」なことが多い気がする。
怒られたから泣く・機嫌を損ねるとか
お年寄りに席を譲るとか
50件リストを毎月3件ずつ契約してこいとか
もう全くわからない、自分の中のいろんな角度から考えてみてもわからない。
そしてそのわからないを人に聞いてみても納得できる答えはもらえない。
ChatGPTにも聞いたけどAIのくせに概念的なことばっかり言う。
概念で理解できる「1+1=3」ならとっくに理解してる。
反対に、自分が理解できたことはある種、遵守すべきこととして認識しているので他人がその線を踏んでくるのも許せない。
通行区分を逆らって歩いてくる人とか
感謝と謝罪が言えなかったりとか
期日を守らないとか
自分が許せないことの中におそらく常識や正論から外れたものはないと思う。
「1+1=1」と「1+1=2」に誤った情報はないんじゃないかな
そうして、自分の中にある正しさと許せないを人に向けた時、高確率で相手は何も言えなくなる。
それで言うと、やっぱり他人の感情が理解できないのかもしれない。
正しいかどうかに感情は関係ないし、判断材料にもならない
理解できないし、私の生きる基準の中には必要ないことだからどうでもいいんだと思う。
でも映画や本など、創作物は大好き。
でもそれは作者がいて、最初から最後までその作者によって作られためちゃくちゃ筋の通ってる正方形にハマったモザイクって感じ
だから全部観て・読んでたとえどんな内容と結末だったとしても納得できる。
作中が混沌でもある程度作者の意図や思惑は読み取れるし、その部分がわかるまで作中の不理解にいるのも面白い。
作られたものとしても安心感があるのかもしれない。
人の感情は突発的だし計画性がないから無駄だと思ってしまうのかな。
うん、特に全然オチとかはなく自分へ向けた壁打ちでした。
でもなんか整理できたような気がする。また一つ自分のわからない部分が理解できたようでよかった。