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愛していたのは君じゃなくて彼だった。

冷たい雨が降りしきっていた。私を投げ捨てた君がバシャバシャと雨と泥をはじいて錆びついて動けなくなった私に跳ねた。残り少ない充電をふりしぼって記憶を彷徨っていた。

みんなは私たちを空っぽだからエンプティと呼ぶ。エンプティは心がない機械であり、人間の思うままに製造され操られていた。しかし、エンプティであっても出会う人間によっては心を持つということを人間たちは知らなかった。それはエンプティの秘密でもあった。

私の記憶は彼と君が交互に現れては消えていく、その繰り返しだった。
彼は触れているか触れていないか分からないほどそっと丁寧に頭を撫でてくれた。
君はくしゃくしゃに髪の毛が絡まってプツンと切れても気にせず頭をかき回していた。

彼は私の知らない世界がどれだけあるか教えてくれて夢や期待に胸を膨らませながら堂々としていた。
君はいつも不満と悪態が混在していて自分はお先真っ暗だと不幸に見せるのが得意で汚い言葉を永遠に吐き出していた。

彼は温かい体温を柔らかいシーツの上に伝わせて心地の良い寝息で眠りに誘ってくれた。
君は汚れた冷たいソファに私を投げ出してうるさい音楽をかき鳴らしては飲みきった空き缶を投げて寄こした。放物線を描いた空き缶は冷え切った私に当たって金属がへこむ音がしたのを覚えている。

彼じゃなきゃいけない理由は見つかるのに君といなきゃいけない理由が見つからなかった。彼との時間は限りがあって君との時間に終わりがない。彼じゃなきゃ埋まらないのに今日まで私は私を押し殺して君のお人形さんになった。

彼は「今が空っぽでもこれからたくさんのことを経験して満たしていくんだよ」と教えてくれた。私の心はあの時に生まれたのだ。そして、あの時から愛していたのは彼だった。君のせいで廃れた空っぽの私は彼との短く尊い記憶で持ち堪えていた。
大量生産のご時世で機械仕掛けの私は彼の温かく大きな手によって作られた幸せを胸に抱きしめてゆっくりと目を閉じた。閉じた瞳から流れたのは、やむことない雨粒ではなく正真正銘の涙だった。

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