「自己肯定感を高めよう!」にモヤッとするのはなぜなのか、ひとりで考えてみた
今日こんな記事を読んでいて、思ったことです。
最近、「自己肯定感」っていうワードが注目されているように感じます。生き辛いこの世の中で、生き易くするための特効薬!っていう印象です。
実際にGoogleで検索してみると、
(学術記事は置いておいて、)「自己肯定感低い人はこうだよ」「当てはまってるアナタはこうやって高めてね」という記事がユーザーのニーズに合致するとGoogleさんは判断しているようです(2021/10/1現在)
他の検索キーワードとしてサジェストされてるものを見ても同じような傾向ですね。
ただ、個人的にはこの
「自己肯定感を高めよう!そしたら生きやすくなる!」
みたいな主張へのモヤモヤがあって、なんでなんだろ?と思ったときに、
「意外と言葉にならへんな……」という気付きがあったので、
自分の中でnoteを借りて言語化してみることにしました!
そもそも自己肯定感ってなんなの?
最初に上げた記事によると、
「私が私であることに満足でき、自分を価値ある存在だと受け入れられること」
とのことです。個人的に納得感高かったのは、
引用:最近よく聞く「自己肯定感」って何ですか?
という記載で、包括した抽象的な概念 にしっくりきました。
この包括された概念を改善しよう!と言われても、ふわっとしすぎじゃない?ってところに1つ目のモヤッとポイントだな、と。
それぞれの要素が課題となり得るなら一緒くたに議論しちゃうと、本質的な解決に繋がりにくいですよね。。
生きづらさを感じてる人の特効薬…になるのか?
2つ目のモヤッとポイントは、
「こうやれば自己肯定感は上がる!自己肯定感を上げて生きやすくなろう!」
という主張に対して、「ほんとにそれで改善されるんだっけ?」という点です。
僕の受け取り方が悪いだけかもしれないですが、記事とかを読んでいるとあまりにも簡単に改善されるように思えてしまう。
でも自己肯定感って性格とか価値観みたいなところだと思うし、変えていくのって凄い時間がかかって大変なことだと思うんですね。
実際に僕もよく言われるような自己肯定感を上げる方法はやってきました。
・今の悩みをノートに書き出して、第三者目線で見てみる
・毎日自分の褒めるポイント3つ、日記として書き残す
・鏡に映る自分の姿に、今の自分がかけてほしい声をかけてあげる
これらに効果がないと言いたいわけではありません。効果はあると思います。でもじゃあこれをやったからと言って…? 今の悩みが即、消えるわけではない。と僕は思う。
3ステップで自分を肯定できるようになろう!ハイ、ハイ、ハイ!
で変われるようなもんじゃない。
そうやって少しずつ自分が向かいたい方向に、少しずつ色々試しながらしっくり来る方法を見つけながら、そうやって模索してく生き方みたいなもんじゃないかと思うんです。
HIPHOPはただの音楽じゃねえ、文化だ!みたいな(突然の個人的趣味
結局トレンドワードに乗ってちょっと煽ってやろう!みたいな部分が見えて嫌なのだ
と思いました。そんな簡単じゃねえだろ、と。
自己肯定感を上げよう!→試す→上がらない→やっぱり自分はダメだ…
みたいなことも起こりうるじゃないですか?
「自己肯定感」自体が、いまの自分を受容してあげるところから始まると思うのですが
それを勧めている人たちが「生きづらくない方が良い!」「肯定できた方が良い!」というような画一的価値観に誘導してるのもモヤッとポイントですね(3つめ)
やっぱり「~~すべき」って考えはしんどいし、別に生き辛さをめちゃくちゃ感じながら、それでもそれと共存する道もあると思うわけです
(↑すべきはしんどいということを書いた過去note)
本来スーパーポジティブな人間なハズですが、少しネガティブな記事を書いてしまいました。
まぁ何が言いたいかというと
「みんな大変だし、生きてるだけで偉い。変わっていくのも大変だけど少しずつ頑張ろうね」
ということです。少なくとも僕は今かなり頑張る出力を落として生きていますが、穏やかに生きられています。
なにか思ったことや感じたことがあれば、コメントやTwitterでのメンションしていただけると、泣いて喜びます😭