好事家_芸術論_抄
好きな服は?好きな本は?好きな食べ物は?
あたしは、そんな物差ししか持っていないのだけれど。「好事家」を自称するからには、譲れない一線がある。
自由帳にガンダムばかり描いていた、幼い頃のあたしが卒倒するような文言の羅列。関心事の広さが物を言う。「善き創り手になりたければ、柔軟な受け手たれ」ということ。知識と経験の蓄積、それらの組み合わせが新規性に結実するのなら、内々ばかり攻めていても仕方がない。「引き出し」の「幅」と「深さ」。上に引用したのは、映像作家志望向けに紡がれた言葉だが、好事家(志望)にも刺さる。
作家だって人間だもの。
時間が経てば変わっていくでしょ。
「機動戦士Vガンダム」という作品がある。以下に示すように、放映当時(1993年)には作者(監督)の富野由悠季自身の評価も(視聴者の評価も?)、芳しくなかったようだ。スポンサーの介入や未熟なスタッフばかり集められてしまった等々、理由はいくつかあるだろう。
それでも、時間が解決する部分もあったようだ。すなわち、時間が経てば、作品の評価が(良くも悪くも)変わる。そういった事態は、往々にして起こりうると。
以上を踏まえると、「受容美学」(とりわけヤウス)の強度を痛感できるのではないか。作品の評価、は同時代に決まるものではない。時間が経って時代が変われば、評価も変わりうるのだ。さて、宮崎駿はどうだろう。「風立ちぬ」以前と以後、「君たちはどう生きるか」公開後、作風と視聴者に与える印象はどのように変わっただろうか。
参考文献
富野由悠季、2011、『映像の原則 ビギナーからプロまでのコンテ主義(改訂版)』
キネマ旬報
参考URL
https://youtube.com/watch?v=EVkKMVvg67Q&si=Zo03YyAP3uvZ2QZ8 11月16日閲覧
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