好事家_芸術論_抄

 好きな服は?好きな本は?好きな食べ物は?
あたしは、そんな物差ししか持っていないのだけれど。「好事家」を自称するからには、譲れない一線がある。

すべからく良い芝居をみて、良い本を読み、良い映画をみて、面白いゲームをして、良いファッションを意識して、自己修養するしかない、ということです。アニメだけ、デジタル物だけ、絵画だけ、小説だけでは、ひろい見識もセンスも身につきませんから、複合的な作業である映像作家にはなれません。

富野、2011、P.73

 自由帳にガンダムばかり描いていた、幼い頃のあたしが卒倒するような文言の羅列。関心事の広さが物を言う。「善き創り手になりたければ、柔軟な受け手たれ」ということ。知識と経験の蓄積、それらの組み合わせが新規性に結実するのなら、内々ばかり攻めていても仕方がない。「引き出し」の「幅」と「深さ」。上に引用したのは、映像作家志望向けに紡がれた言葉だが、好事家(志望)にも刺さる。


作家だって人間だもの。
時間が経てば変わっていくでしょ。

 「機動戦士Vガンダム」という作品がある。以下に示すように、放映当時(1993年)には作者(監督)の富野由悠季自身の評価も(視聴者の評価も?)、芳しくなかったようだ。スポンサーの介入や未熟なスタッフばかり集められてしまった等々、理由はいくつかあるだろう。

「機動戦士レガンダム』とは
1993年放送のTVアニメシリーズ。作品の暗さと出来の悪さで放映終了後に監が鬱病になる。さらにDVDボックス発売時「このDVDは見られたものではないの
で買ってはいけません!」と全否定。歴代ガンダム最大の失敗作であり、富野由悠季の黒歴史である。

https://youtube.com/watch?v=EVkKMVvg67Q&si=Zo03YyAP3uvZ2QZ8 11月16日 閲覧

それでも、時間が解決する部分もあったようだ。すなわち、時間が経てば、作品の評価が(良くも悪くも)変わる。そういった事態は、往々にして起こりうると。

ガンプラの展示会があって、そこにタイヤ戦盤のそれなりにラフなモデルが展示されたことがありました。あれを見たとき。放送当時スポンサーからタイヤ戦艦を押し付けられて嫌だと思っていた気持ちを全否定できたんですよ。あれっ、アニメってこれでいいんだ!って思えた。この素つ頼狂さを受け止めることができるのが、手描きアニメのいいところだろうと。
(略)当時は「たかがロポットアニメだからいいじゃねぇか、遊んでやろうじゃねぇか」というマインドにはなれなかった。

同上

 以上を踏まえると、「受容美学」(とりわけヤウス)の強度を痛感できるのではないか。作品の評価、は同時代に決まるものではない。時間が経って時代が変われば、評価も変わりうるのだ。さて、宮崎駿はどうだろう。「風立ちぬ」以前と以後、「君たちはどう生きるか」公開後、作風と視聴者に与える印象はどのように変わっただろうか。

参考文献
富野由悠季、2011、『映像の原則 ビギナーからプロまでのコンテ主義(改訂版)』
キネマ旬報

参考URL
https://youtube.com/watch?v=EVkKMVvg67Q&si=Zo03YyAP3uvZ2QZ8 11月16日閲覧

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