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いくぞ新作⁈ (15)

アナログ作家の創作・読書ノート     おおくぼ系

 連載小説  はるかなるミンダナオ・ダバオの風   第15回

        〈いままでのあらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。彼女はダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。
フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、人質事件で混乱しているが、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。今おこなわれているダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオの運命にひたった。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本国〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も、チエコスロバキアでの外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓していた。ダバオの市長選はドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いを学べと、アンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返り、チエコ大使館を訪問してチエコ時代のデモビラなどをあずける。シオリは警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、とり締まりのない時代へなったと嘆く。アンガスはタツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリは相談を受けるも、それは、国の安東秘書の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する計画の手助けもせねばならなかった。タツヤは銃扱いの訓練を続け、一方、安東は、よくぞ小説〈雪解けのプラハ〉を書いたと感慨深かった。シオリは、サツマ環境センターの事業参入でノリノリであったが、天羽は事業の資金繰りに窮していた。こういう状況に、突然アメリカで同時多発テロが起こり、ミンダナオのアル・カイダもイアスラム過激派の仲間だという。天羽は、事業の縮小をきめ、アンガスがその旨をタツヤに告げると、彼は、〈自由ダバオの風〉を立ち上げるという。アンガスは相談に乗り、タツヤの援助を約した。


        *    *     *

 同時多発テロから一ト月がたった。
日本では、大規模な連鎖テロはたぶん起こりえないと、安東は安堵しつつあった。
ニューヨークは、今だ混乱の大惨事となっているが、アメリカは以前より、中東のアラブ諸国とは武力紛争が絶えなかったのだ。その延長での報復が、今回の〈対米ジハード〉となったテロであった。太平洋戦争後もアメリカは世界の警察を自任し、各国の紛争に介入し、ことに、中東のイザコザにさいしては、米兵は戦火を交えていた。
 対して日本は、アメリカの庇護(ひご)のもとで平和が続いている。安東は、このことのギャップは大きいと思っている。米国とは逆に平和日本の住民は、他国の凄惨さを実感として感じられずに天下泰平を当然と思っている。
いまの自身を顧みれば、ダバオにいたときは、この混乱した地域のために貢献しようと強く思っていたが、日本列島の住民となり不安なく生活できる立場となると、自身の価値さえも高くなった気がするから勝手なものである。まさにポストが人を造るという実体験をしていた。人は置かれた立場で変わらざるをえない。
 ダバオで意気投合した天羽氏は、現地に根を下ろして、地政学的にアジア全般を見据えていた。ダバオは、北に台湾高雄市、中国福建省の厦門(アモイ)市と連なり、南にブルネイ、インドネシア、マレーシアを結ぶネットワークのなかにある。華僑による中国系フィリピン人も多く、また、ダバオ市の中心にはブルネイ国王のホテルチエーンであるマルコポーロ・ホテルもあり、イスラム文化も根を張っている。そのなかに一部の日本人、日系人が紛れ込んでいるのである。
 そういった状況により、天羽氏は、イスラムなど多文化への理解もふかく、ダバオ、ミンダナオは、イスラム勢力と他の文化の協調・融合を目指すべきであると主張していた。
 日本が、かかわる余地もこの点にあった。ひとたびは、この地を占領し、結果、惨敗となった。大戦の反省から不戦を誓っており、事実、大戦以後は半世紀以上戦乱や武力紛争に係わっていない国であり、平和を志向する国であることへの信頼を得ている。
安東のいままでに得た情報によると、外務省は、一九九〇年代から国際協力機構(JICA)を通じて、フィリピンに対して、生計向上、インフラ整備などの支援を実施し、現地にてフィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線の和平交渉の手助け、仲介するフォローも行っていた。 
 上國料議員事務所にいてマクロ観点から眺めたミンダナオ・ダバオは、不思議なもので総領事のときとは全く違って見えている。ダバオの無秩序で錯綜する現場を、安全なところから遠望すると、安全地帯においてただ傍観するだけでしかなかった。
 今回のテロにさいしても、ダバオの混乱はいたし方ないとしか思えない。
だが、天羽とかって意気投合したように、この政策秘書の立場からダバオと彼を支援する気持ちは変わらない。
 この立場から何ができて、何ができないか、考え続けている。
 ただ、視界が広がった分、やらなければならないことが、公私ともに多すぎた。
 公的立場からは、施策の推進を見守っていかねばならない。サツマ湾に橋をかけるというビッグプロジェクト構想があった。さらに、国道の整理拡幅などの箱物の要望もある。さらに、農産物の海外販売経路を見い出すなど、地域の要望は多岐にわたっている。
 私事においては、来春の小説〈はるかなるミンダナオ〉の出版、歌劇団の〈雪解けのプラハ〉の公演を予定している。今後、何が起こるか予断は許さないが、現在のところ変更予定はなさそうでホッとしているところである。
 日本もサリン事件以後、テロなどの破壊工作に対する警備の体制を整えつつある。
 だが、アブ・サヤフに対してだけは、身代金稼ぎの完全な犯罪であり、ましては、理由なき殺人などは絶対的にゆるせない。融和政策はとりえないだろうし、〈グローバル・ジハード〉の騒乱を引き起こすおそれがあり最優先で潰滅させる必要がある。
 ふと、思った……ピンチはチャンスかもしれない、そうだ、チャンスだ。
安東は受話器をとり、短縮ボタンを押した。三度の発信音ののち、相手が出た。
いつもの経済協力課長である。
「電話に出れるところをみると、経済協力課は、ひまなんですね」
「ああ、安東秘書さん、最初から、カラミっこなしですよ」
「それで、余裕のある課長さんへ仕事を一つ持って来たってわけです」
ここは強気の押しが肝心である。
「また無理難題の口ですか、少しは、デザインが描かれて、まとまったものですか?」
「ハハ、前お願いしていた二十台の自動車ですがね。割と事業内容が精査されてきて、地域のパトロール強化に資するバンを配置する、に落ち着いたところです。しかも左ハンドルの中古車にすれば、単価がおちるでしょう」
「ああ、あのダバオの案件ですね。テロ勃発により、取り下げだろうと思ってました」
「いやいや、そう簡単に降りられません。今後のテロを予想して、困難な時ほど出来る手助けをするというのが、われわれの信条ですから。ダバオ市の地域パトロール事業を支援するために、左ハンドルのバン二十台を整備するプロジェクトです」
「あちらの基本計画かなんかで、決まったものがあるんですか?」
 ここは、首尾一貫して押しとおせねばならない。
「ええ、至急、ダバオ市から計画書をそえて、事業への国庫援助申請を上げさせてもらいたい、と言うことです。それで、ぜひともと、検討の順番をはやめに抑えたくて連絡したところです」
「お気持ちはわかりますが、やはり十分に検討して来年度予算に回すわけにはいきませんかね」
申請して一発で決まりという前例を残したくはないのだろう。
「いや、緊急対策として、高度な政治判断において、今年度で対応して欲しいのですよ。年末に近づいて予算の執行状況も見えてきたでしょう。いままでの執行残をかき集めれば、三千万円ほどは何とかなるのじゃないですか」
「お気持ちはわかるのですが、事業の援助額からして、政治判断まで持っていくようなことじゃないでしょう」
「ここは、無理を通してもらわねばならないのですよ。緊急だから事務管理に近い考え方ですね。違法と言うわけではないし、いわゆる当・不当の範囲の問題ですから、国益になるかどうかの政治的判断が必要だと考えているんです」
 ここまでいけば、押せ押せの一点張りである。
「んん、この場では何とも言いようがないですね。考えはわかりましたので、至急正式にフィリピン政府を通して外務省へ援助申請をしてください。それには、現実にバンの種類、購入手続きやダバオまで送る実施費用など、支援する費用の内訳を添えた資料を添付してください。支援団体が何処であるかも明記して、今までの実績も必要でしょう。確約はできませんが、なんとか検討してみましょう。こんなとこでしょうか。今後ともおてやわらかに」
ついに、〈検討する〉の回答を引き出した。
「御高配たまわり、まことに恐縮しております。さっそく取り掛かりますので、なにとぞご教導の段、よしなに」 ケリがついて一応受話器に向かって深々と頭を下げた。
「要望額もそんなに大きくないので、何とか事務レベルで解決したいので、政治判断にしないでくださいよ。この点くれぐれもご注意ください」
 かしこまりましたと、慇懃無礼にアイボリー色の受話器をおいた。
 なんとかチャンスをものにできたかも入れない。話しあったことがらを整理すると、さっそく天羽へ連絡することにした。
内容的にメールにした方がいいと思える。
ーーひとつ、ダバオ市が、一般車両のバン二十台を使って、地域パトロール事業といったものを計画すること。この事業は、広い意味で地域の環境をよくするための見回りをすることである。そのなかでは、ゴミなどの不法投棄などの指導もあるが、当然に治安対策もかねており、バンは覆面パトカーの役割をもつ。
 バンは日本製の中古で一台百万円で見積もる。仕様は、再塗装はせずに一般車両の形で覆面パトロール車として運用する。
 本考えをドウタテイ市長に理解してもらって、地域パトロール基本構想計画書をダバオ市で作成してもらい、ダバオの総領事にも相談のうえ、フィリピンの外務省を通じて日本の外務省へ上げること。日本の外務省の窓口は経済協力課の課長さんだ。
また、今回の事業を仲介する日本側の窓口であるサツマーダバオ交流会議についても、今までの実績を入れてダバオ及び日本人会、日系人会に貢献しており、今回の事業を今後発展させて、国際的に平和貢献をなすことが大である主張をなすこと。こんなところだ。不明な点については、連絡を乞う。
 余談ながら、来春刊行予定の小説〈はるかなるミンダナオ〉において、なかほどに貴兄の著書〈ダバオの日本国〉に日本人移民の波乱万丈の歴史が書かれており、格好のテキストになる、という一節を書き入れたからな、ご了承をーー、
 打ち終えて送信のキーを押すと、何となく一段落の感があった。
 再度、外交だけでなく産業面での国益になるのかを考えた。平和と安全を志向し、日本車の扱いやすさ、故障の少なさなど、品質の良さを積極的にアピールすることが国際常識を築くことになるのだと、強く思った。これらは、直に天羽に伝える必要がある……
 
 サツマ環境センターの基本構想コンペは、十数社からの応募があったのだが、けっこう難航したようだ。そして、こういったコンペのまことしなやかな情報は、どこからともなく漏れるから不思議なものである。
 シオリは、昨夜、新東都設計の担当者からの連絡で聞いた。
今日は、十時過ぎに事務所に出てきて机に向かったが、やはり嬉しさがこみ上げてくる。
 最終選考に残ったのは、五社であったそうである。もちろんシオリの推す新東都設計社もその中に入っていた。議論は、新東都設計の屋上ドームの全面芝化の案と、それに対抗するドーム型の建物ではあるが、池や木立を配し、ビオトープを備えた二社の提案が人気をあつめ、六人の選考委員の意見が分かれたのである。
 新しい環境技術の未来を展望するという新東都設計に対し、ビオトープを前面に打ち出し生物や自然との調和こそが未来だと、喧々諤々(けんけんがくがく)の意見が出た。午前十時に始まった選考委員会は、十一時半を過ぎていた。
「では、意見も出尽くしたと思いますが、全会一致とはなりませんでしたので、評決にて決めたいと思います」
議長である部長が六人の委員・関係課長を見渡して、議事を採決へすすめた。
「ドーム屋根の屋上緑化に賛同の方は、挙手をお願いします。はい、次にビオトープ型に賛同の方の挙手をお願いします」
ざわめきが起こった。どちらも三人ずつの賛成で、同数であったのだ。
「両案に対して同数となりました。最後は、議長票の判断となるようですね。ところで、もう昼食時間となりましたので、議長としても慎重に判断したいと思いますので、一応、休会として午後一時から再開することといたします。一時になりましたら再度ご出席をお願いします。よろしくご了承ください」会議は午後一時まで休会となった。
 午後一時になって会議が再開され、出席した委員は固唾をのんだ。
「議長として、新東都設計の屋上緑化案を是とします」
 終わってみると、あっけなかったと言えよう。ただ、どっちに振れるかは、重大だった。空白の昼休み時間に、議長であった建設部長はどうしたのか、推測すると、おそらく彼は、知事室へ緊急飛びこみをして最終判断を仰いだのではないか?
 シオリは、運がついてきているのを感じた。総額五十二億円の事業に参画することとなったのだ。どこのプランが採用されるかは各社の総合力の勝負であり、勝つことは運でもあり、その時の流れに選ばれたことでもあると思えた。
グリーンワークスとは、正式なコンサル契約を交わしていたわけではないが、新東都設計にくいこむことや時任知事へのアピールなど、全面協力をした。工事請負金額に応じて何パーセントかの報酬を得ても当然である。さらに、この成功を基にして路面電車の軌道敷きへの緑化も考えられる。浮き立つ気持ちで、グリーンワークスへ電話をかけた。
「フジサキシオリです。社長さんをお願いします」
午前の時間は、社長は社内にいることが多いと聞いていた。
「お待ちください。代わりますので、社長お電話です」すんなりと社長に変わった。
「 社長さん、今回のコンペは大成功でしたね。それで、お祝いの食事会はいかがですか?」
「ああ、シオリさん、お世話になりました。そうですね、お礼と打ち合わせをかねて、一席設けましょうか。今週末は県都まで出ていきますから、金曜日でいかがですか」
「了解です。では、よろしく」
 微笑みながら、受話器を下ろすと、もう一人、大事な人物を思い出した。
 ……イワベン先生だ、前にムラサキラーメンで昼メシデートをしたが、一言、結果報告とお礼をせねば、先生は酒も好きな辛党だが、けっこう甘党でもある。よし、ハチミツあんの回転焼きを手土産に挨拶にうかがおう。これで一区切りとなる。
 
        *    *    *
 
 安東秘書からのメールを受け取った。
 天羽は、なるほどと思った。こういう考えもあるか。さしあたり概略をボンゴヤン議員へ伝えて、早急に地域パトロール事業計画を立ち上げてもらわねばならぬ。この案が受け入れられなければ、パトカー案件は再度検討する時間をもらわなければならない。ドウタテイの要望に、いちはやくボールを投げ返すことが出来たのだ。
 これが無理なら、安東秘書と話し合いつつあった、自動車メーカーにダバオ向けの左ハンドル仕様のパトロールカーを製作してもらい、宣伝の一環として処置してもらう。輸送などの一部経費は、外務省が負担するという案に落ち着くのだが、なにせ、この案の調整には、時間がかかりすぎるのである。上手くいって最低でも一、二年、場合によっては、五年はかかるだろう。そこまでドウタテイが待てるかは疑問である。とりあえず要望に緊急対応をすることによって、何とか関係を固く保ちたいのだ。
 これからボンゴヤンを訪問しようと決めた。一つ一つ素早く対応していかないと、案件は無数にあった。優先案件から即対処していかねばならない。
 サツマーダバオ交流会議から、今秋のダバオ訪問は見直しするといっていたが、三十名のうち五名がなんとか訪問したいとの連絡があった。厳戒態勢をとっているような雰囲気のなかで、実施するのが果たして妥当かどうか考えたが、五名の中のひとり、地元食品会社の社長の長男は、今のダバオの現状をあえて見たいといきごんでいる。頼もしいと思い直接話してみたが、親の事業を基に、新しく食料の現地生産という事業を自身で立ち上げてみたい、現地調査をかねて来訪したいとのことである。若いエネルギーに、ホウとため息の出る思いがあった。日本人の若者もまだまだ捨てたものではない。
さらに、天心館の館長も訪問を望んでいた。ダバオ国際大学は、開校計画通りには進まずに、とりあえず教育学科のみで始まった。空手の天心館は、これに合わせて、別途ダバオに道場を設けたい意向で候補地を視察したいとの申し出があった。
これらによって、何とか切れかかっていた絆が、かろうじてつながりつつあった。
 アンガスからの情報によると、テロに対するアメリカの大統領の宣言は、首謀者であるB・D率いるアルカイダをアフガニスタンで壊滅させ、同時に世界のアルカイダ・ネットワークを根絶することだと言う。そのアジア最大の拠点としてアブ・サヤフも名指しされている。
 アメリカは、フィリピン軍の戦闘能力を向上させるために、早急に比米共同軍事演習の実施を申し出ていた。演習の場所は、アブ・サヤフの拠点であるバシラン島であるという。
演習であると言明しているが、演習の実施場所からして、比米軍合同のアブ・サヤフ掃討作戦であることがうかがわれる。米特殊部隊のグリーンベレー、一千二百名も参加し、米軍事顧問団の指導のもと対ゲリラ戦夜間戦闘装備や無人偵察機なども投入するという。
フィリッピンにおいては米軍の直接戦闘行為は、憲法違反とされているので、苦肉の策かとおもうが、米軍の手を借りてでもアブ・サヤフを根絶しないことには平和は永久に訪れないと言う。
 そして、機会があれば、アンガスも訓練に参加したいと言い出した。元モロ民族解放戦線にいた奴は、一体何者なのか、とかすかに疑問が生じた。

                                   (  つづく )

*搭乗人物が、かってに動き出しました。いよいよ、佳境に入っていきます。読書士の応援ヨロピク!
 

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