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いくぞ新作⁈  (22)

アナログ作家の創作・読書ノート  おおくぼ系

連載小説  はるかなるミンダナオ・ダバオの風   第22回

        〈いままでのあらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。彼女はダバオの天羽(あまばね)へ連絡を取る。
フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、人質事件で混乱しているが、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。今おこなわれているダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオの運命にひたった。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本国〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も、チエコスロバキアでの外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓していた。ダバオの市長選はドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いを学べと、アンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返り、チエコ大使館を訪問してチエコ時代のデモビラなどをあずける。シオリは警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、とり締まりのない時代へなったと嘆く。アンガスはタツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリは相談を受けるも、それは、国の安東秘書の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する計画の手助けもせねばならなかった。タツヤは銃扱いの訓練を続け、一方、安東は、よくぞ小説〈雪解けのプラハ〉を書いたと感慨深かった。シオリは、サツマ環境センターの事業参入でノリノリであったが、天羽は事業の資金繰りに窮していた。こういう状況に、突然アメリカで同時多発テロが起こり、ミンダナオのアル・カイダもイアスラム過激派の仲間だという。天羽は、事業の縮小をきめ、アンガスがその旨をタツヤに告げると、彼は、〈自由ダバオの風〉を立ち上げるという。アンガスは相談に乗り、タツヤの援助を約した。安東は、パトカーの寄贈について交渉を重ねていた。
シオリは目論み通りに、環境センターのコンペを勝ち取った。ダバオは、渡航困難区域となり、天羽は交流を模索していた。そんな中、タツヤとラルクが、タスクフォースに連行される。アンガスが、二人を救出せんと留置場へ急行し、無事に救出する。シオリにはタツヤの抑留ことを知らせなかった。
シオリは、市電軌道の緑化事業に動き出し、江夏(安東)は、〈はるかなるミンダナオ〉を出版する。天心館館長一行がダバをを訪問し、その答礼会が催される。江夏の小説〈はるかなるミンダナオ〉が発行される。

       *    *    *

渡航制限のダバオにサツマから二組の交流団が訪れてから、天羽は多忙になった。

閉ざされつつあったサツマとの交流の窓口が、かろうじて再生された感があった。

六月になり、バシラン島ではなく北ザンボガン州で、アブ・サヤフと政府軍との遭遇戦が勃発した。一年以上人質にされていたアメリカ人宣教師やフィリッピン看護婦が交戦において死亡し、宣教師婦人も重傷を負った。アブ・サヤフのこのグループは十数名で、最高指揮官アブサバヤに率いられていたが、この激戦で指揮官は死亡したと伝わってきた。バシラン島に封じ込められていたアブ・サヤフは、今年二月の政府軍の一斉攻撃でせん滅されたとしていたが、小グループになり自由に各地へ移動していることが明らかになった。いわゆる少数のゲリラとなりさらなるテロの恐怖を招いている。

サン・スター・ダバオはこの遭遇戦報道に関して、さらに

ーー比米共同軍の攻撃を受けて、アブ・サヤフがバシラン島を抜け出してミンダナオ島、またルソン島の遠くまで広域的に分散した可能性がある。合同軍は、せん滅したと述べているが、真の意味で彼らを〈せん滅〉したといえるのは、イスラムコミュニテイ全体を破滅させるしか手段はないのではないかと考えられる。ならず者のであるとはいえ、イスラム教徒である以上、地域イスラム住民のシンパシイーは、アブ・サヤフ側にあるーー

と、述べて過激派集団の難しさについて述べている。

ただ、麻薬撲滅、凶悪犯撲滅を除けば、ダバオに混乱はなかった。

秋に、ダバオ市の親善大使としてミスダバオがサツマを訪問して、サツマ市で開催されるアジア文化交流まつりに参加する計画が持ち上がった。そのため市の観光局主催のミスダバオの選考会に天羽も審査員として呼ばれた。
私にとって、こういう審査は初めての経験であって勝手が違った。となりの審査委員の感想を聞きながら、「そうですね私もそう思います」で同調することで、乗り切った。 

ミスダバオに選出されたアラウナ女史は、頭に羽飾りが生え、赤いヘアバンドからは、青や黄色、赤のビーズ玉が両ほほにたれさがり、衣服も筒袖に八部ほどのスカートに大きな格子模様が描かれて腰にはビーズのフリルがついている、カラフルなバゴボの民族衣装をまとい、屋外のステージに映えていた。プロフィールを見ると、アテネオ・ダバオ大学の三年生で、政治学専攻の才媛であった。趣味は、デイベート、ダンス、絵とあるように、よくみると知性派をおもわせる美人であった。

これらは、今後の交流の展望をあかるくしたのは言うまでもないのだが、交流プロジェクトを推進するための障害はまだ多かった。一番のネックは、かかる費用をどう調達するかということである。なんにしても事業を立ち上げるには莫大な初期投資が必要であったし、交流と言う善意から始めた、自然発生的な交流会事業は、資金計画があるはずがなく、ボランティア感覚でなんとかなるさと、成り行き任せであった。ただ、マスコミでいろいろとクローズアップされてくると、海外で何か新規事業の手掛かりがえられ、儲け話に育つかもしれないと企業からの接触が多くなってきた。注目をあび出したのはいいが、海のものとも山のものとも分からないので形だけの応援が多かった。サツマーダバオ交流会議を発足してからは、会員一人年一万円を会費と定めたが、七割ほどしか納入はなかった。

あつまった会費にしても事務費十万、活動交通費など十万とすぐに無くなった。アイ・コポレーションの本業である上下水道敷設事業が、ダバオ市に新規参入ができ、軌道に乗ればいいのだが、都市や周辺のインフラには予算はまわりそうもなかった。

ドウタテイは、生活基盤を整備するより、治安や安全を確保することに集中している。

サツマ市のアジア文化交流まつりも、アジア交流の時流に推されて策定されたものであったが、先行していたサツマーダバオ交流会議は、アイ・コーポレーションなどの民間主導の事業であったので、フェスティバルへの参加案内はあったのだが滞在経費などへの公的支援はなかった。公共の事業と民間との事業には、基本的な構想において明確な違いがある。今回のアジア文化まつりは、サツマ市の公的事業として開催されるもので、市の国際交流課は、タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシアなどアジア各国の主要都市に対し、フェステイバルへの招待状を発送した。市の招待によるイベント参加は、儀礼としてサツマでの滞在経費については原則サツマ市もちである。よって、往復の渡航旅費だけを参加者がもてばいいのだが、都市同士の公的交流となると、招待を受けた都市が公費として支弁してくれるのも一般的である。よって、各都市を代表しての参加は、公務扱いとなり個人負担は小遣いのみでの参加が可能となる。

ダバオ市への招待は、これと違って、サツマーダバオ交流会がきっかけであり、交流を推進する母体が存在しているとして、滞在費用などの経費については交流の母体が、考えるべきこととしており、補助等も一切でない。 

組織を立ち上げるのは割と簡単だが、維持していくとなると大変だと、天羽は思う。

さあーて、どうしたもんか? いつもの金策で頭を悩ますのだ。

ダバオ市は、能天気なもので費用についてはハポン側が何とかしてくれるさと、タカをくくっている。ミスダバオに随行して、公費出張扱いで旅行を楽しもうと、みな、意気揚々である。

華麗な舞台の裏方は、資金難をどうするか、日程をどう調整するか、やることがありすぎる。天羽は、肩がはって体がこわばってきたので、椅子から立ち上がってノビをし、デスクの周りをうろうろとし始めた。考えにふけるときは、じっとしているより、体を動かすと、リラックスできる。リズムが必要だ。散歩がいいのだが、事務所の外は日の光が、まぶしすぎる。

「ボス、住田さんが、おみえですぜ」

 アンガスが、事務所のドアを開けて、はいってきた。

「ああ、住田さん、ソバの方はどうですか」

 住田は、同年配でダバオ交流団の答礼宴で日本人会会長から紹介され、そのときの行きがかりから、ソバ栽培に係ることとなった。

海外で事業を立ち上げた経験が豊富で、フィリピンを訪れたのは、ベンチャー企業を起こし、バイオデイーゼルの原料となるひまわりを栽培するためであった。東都大学の工学科を卒業したインテリであるが、日に焼けた四角張った顔からは、そうは見えず、タフな実務家に思える。

「台風の被害が少ないミンダナオで、ひまわり農地と搾油工場を立ち上げるところまではきたんですが、販路が確保できずにとん挫しましたよ。ハハハ」

 途方に暮れているといいながら、なかなかの豪傑に思える。

「専門は、船舶用の機械工学でガスタービンの研究だったんですが、大手空調設備会社では、液体を瞬時に粉末化する乾燥装置、スプレー・ドライヤって言うんですが、その技術を学ぶために米国へ派遣されたのが手始めに、インド、ドイツ、メキシコなどを飛びまわったんです。そのためか、家庭なんかもてなかったですよ。ハハハ」

 屈託のない笑いが、和やかに響いてくる。

「天羽さんは草の根の民間交流で貢献されており、敬服しておりますよ。優秀な私の同窓生で国連大使をしている者がいるんですが、彼が常々、国家間での外交だけでは十分な理解は得られなく、熱い気持ちをもった住民同士の交流が、絶対的に必要であると言ってまして、なるほどと思いましたね」

「それは、よく言われますね、政府や行政による交流では、ザックバランにと言うわけにはいかず、形式めいて堅苦しく、国益などの利害の対立になりがちで、交流者どうしの理解が得られず、お互いがなかなか親密になれませんからね」

 ダバオで出会う人々は、住田にしても、いつも個性的でいろいろな苦難のなか、生きぬく気力にみちあふれている。

「それで、今後の計画は何か考えていらっしゃいますか」

「何にしようかと、いろいろと模索しているところですよ」

 そこで、天羽は力説したのだった。

「若者が、開墾してフルーツパラダイスを造ろうとしてます。それに合わせて、ソバを植えてみたらという意見もあり試験的にやってみたいと思っておりますが、収穫できても販路がみえません。フルーツの方は将来、冷凍食品会社を設立できるかもしれませんが、ソバをどうするか、思案中です」

 ソバですか、やってみますか、と言うことで、タツヤの農場でソバの試験栽培をやってみることとなったのだ。

 ソファーにかけ、住田に向かいあった。住田もソバの話は聞いたことがあるとし、

「ソバは四十五日で収穫できて、三毛作も可能ですが、気温がもう少し低いところが適しているのと思いますよ。水はけと害虫対策も考えないと。販路は、一定品質のものを一定量継続して供給できるなら調理めん製造会社が、引き受けてくれる感触をえてますが、ミンダナオ高地の涼しいところを開発したほうがいいでしょうね」と言う。

「それも考えたのですが、高地はモロ民族解放戦線の基地などがあって、混乱を招くようなことはできないとあきらめたのです」

「以前ですね、衣料品の原料にするためバナナ繊維作りをやってみたのですが、地元の有力者からミンダナオ・イスラム自治区のバラン氏を紹介されてですね。海抜千二百メートルの高地ですよ。ここを開発してくれないかとの依頼をうけたのですが、決心がつきませんでした」

 アシスタントのミオ女子が紅茶カップを運んできた。アンガスは外へ出ていったらしい。面白いもんだと一息ついた。めぐりめぐってソバに帰ってきた。

「天羽さん、いっしょにやってみませんか。作付け面積は百五十ヘクタール、年間百万トンを見込めます」 

「モロ民族解放戦線と係わるとなると、チョッと引いてしまいますけどね」

「私は、私なりに壮大な構想をもっているんですよ。なぜ若い者が、解放戦線に参加するのか、貧困ですよ、食べることが出来ないから、武力集団でもって生活の糧をえているんです。ライフルを持って一日中ブラブラしていれば、給料がもらえるんです。楽なもんですよ。本気で戦う気はないでしょう。彼らに生活の基盤を作ってあげる。これもバラン氏とも協議したことなんです」

 天羽は、また、一息ついた。考えてみれば、アンガスもモロ民族解放戦線にいた兵士だ、さらにラルクも解放戦線に友達があまたいる。

「ミンダナの人々は、それなりに住む人同士がバランスをとって、ある種の良識ある現実的な人々なのかもしれませんね」

「アブ・サヤフは、れっきとしたならず者集団ですが、モロ民族解放戦線などは、政府とイスラムの自治区について交渉しているのですから、ちゃんとした組織だと思いますよ。その手の交渉は私がやりますので、高原でソバ栽培をやってみませんか。成功すれば会社組織にして若い者の雇用を安定させたい」

 熱い思いを秘めた住田に押し切られた。協力することを承諾をした。

「それと、もうひとつ、天羽さん、ダバオにしっかりした商工会議所を立ち上げませんか、これも考えてみてください」

 ここしばらくは胃が重苦しく、かすかな痛みから体調がおもわしくなかったが、住田氏のエネルギーに圧倒されて、まだやれると、満たされた思いが湧いてきた。

 

        *    *    *


 シオリは、〈市電軌道敷緑化事業の試行報告書〉を読み込んでいた。

 市庁舎まえの百五十メートルの軌道敷きに芝を張り、効果を測定した文書である。

まず、芝生表面の温度が下がっているのが確認された。芝生と土壌の蒸発作用による結果と考えられた。さらに、電車や車両が通行する時の周辺への騒音の減少効果が得られた。四デシベルの軽減が報告されている。

シオリは、にんまりとなった。これは、期待以上の出来である。後は、財源が確保できれば事業化できる。

グリーンワークスの社長の話によると、副市長も全国初の試みであるとのことで、乗り気になっており、建設省から町づくり交付金を持ってこようとのことだった。市の持ち出しを半分にして倍の事業ができれば市益にかなう。よっぽどのことがない限り、市民や議員の反対もないだろう。市電そのものが電気で走る、ノーカーボン時代の乗り物なのだ。

上手くゆけば、来年度から事業がはじまるであろう、またいくらかでもキックバックがはいってくるし、軌道敷き緑化は、路面電車を有する自治体に売り込んでいける。

調子のいい時ほど、慎重にことを運ばねばならぬ。報告書を机のすみに重ねると、自身のマンション設計の図面にもどった。

八階建てに五階建てを併設した〈く〉の字型で、八階建ての方の六階と七階を自身の住居として、内階段でつなげる。上階には念願の茶室を設ける……・夢が次々にふくらんでいく。七割はワンルームマンションにして、賃貸借の回転率をあげて効率化をはかる……アイデアが次々と湧いてくる。

           ( つづく )

*ソフトランデイングを目指しつつありますが、果たして、果たして?
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