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いくぞ新作⁈   (24)

アナログ作家の創作・読書ノート  おおくぼ系

連載小説  はるかなるミンダナオ・ダバオの風   第24回

        〈いままでのあらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。ダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオをふりかえる。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本国〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓していた。ダバオの市長選はドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いを学べと、アンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返る。シオリは警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、デタラメな時代へなったと嘆く。アンガスはタツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリは、それは、国の安東秘書の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する計画の手助けもせねばならなかった。タツヤは銃扱いの訓練を続け、一方、安東は、よくぞ小説〈雪解けのプラハ〉を書いたと感慨深かった。シオリは、サツマ環境センターの事業参入でノリノリであったが、天羽は事業の資金繰りに窮していた。こういう状況に、突然アメリカで同時多発テロが起こり、ミンダナオのアル・カイダもイアスラム過激派の仲間だという。天羽は、事業の縮小をきめ、アンガスがその旨をタツヤに告げると、彼は、〈自由ダバオの風〉を立ち上げるという。アンガスは相談に乗り、タツヤの援助を約した。安東は、パトカーの寄贈について交渉を重ねていた。
シオリは目論み通りに、環境センターのコンペを勝ち取った。ダバオは、渡航困難区域となり、天羽は交流を模索していた。そんな中、タツヤとラルクが、タスクフォースに連行される。アンガスが、二人を救出せんと留置場へ急行し、無事に救出する。シオリにはタツヤの抑留ことを知らせなかった。
シオリは、市電軌道の緑化事業に動き出し、江夏(安東)は、〈はるかなるミンダナオ〉を出版する。天心館館長一行がダバをを訪問し、その答礼会が催される。江夏の小説〈はるかなるミンダナオ〉が発行される。サツマとの交流も再開され、アジア文化まつりへの参加が計画される。シオリは、サツマへ帰ってきた天羽と話し合う。


       *    *    * 

年度末の予算編成にかかる繁忙期には幾分間があった。外務省での現役時代の習慣であったように食堂でゆっくり時間を使いながら、うどんをすすっていた。このところ、ノドから胸のつかえがあって気にしているところだった。

議員事務所にもどると天羽から電話が入った。時差は一時間ほどである。

「体調が今一つだったので、サツマで精密検査をうけたんだが、とうとうガンにつかまってしまったよ。まだ初期だから大丈夫だが」
天羽が、カラッと言う。

不思議なもので、同年代の天羽とは似たような齢のとりかたをし、お互いをなぞっているようだった。

「七十歳までが健康年齢といわれるが、こっちもまだ先のことだとタカをくくっていたのだが、そうでもなかったようだった。食べたものがつかえるような感じがあったので、近所のクリニックで診てもらったのだが、逆流性食道炎ということだった。薬を飲んでいるのだが、なかなか完治しないようで、再度、精密検査を受診するつもりだ」

 幾分の気落ちも重なってきた。〈はるかなるミンダナオ〉は、発売から十か月も経ったのだが反響が乏しかった。代わって東都歌劇シアターで〈雪解けのプラハ〉が上演され、こちらは好評だと聞いているが、万全な体調でないので、まだ観劇できていなかった。なんとなく活力がしぼみつつある。

「サツマの方へは〈はるかなる……〉の招待券を六枚ほど贈ったよ。みな都合をつけて見に来てくれるようだ。天羽さんはどうする? 東都へ出てくるときはぜひ見てほしい」

「東都まで出ていく機会があればぜひと思うんだが、東都との距離は、サツマ、ダバオの距離より遠く感じるよ、ハハ、ところで、肝心の小説の売れゆきはどんな具合?」

「前言ったように、ここ四、五年で出版環境が変わりつつあるようだ、激変している。紙から電子へと、若い世代が紙本離れをおこしているようだし、そもそも読書人口が激減していて、マンガ、アニメーション、ゲームへとシフトしつつある。編集者がいうには、ひとつのパラダイムシフトがはじまって、小説は古い価値観として追いやられていると。テレビのドラマにしても働き盛りは録画していて、あとで三倍速で見て話があえばいいとのことだ。コストパフォーマンスの時代に、ゆっくりの読書はないでしょうってさ」

 高度成長とはなんだったのだろう、最後はバブルで弾けた……幻だったのだ。

 天羽は、いつもと違って今日は、感慨深く述べる。

「時代の移り変わりが、加速度をもって速くなってきているんだ。それだけわれわれが年を取ったんだと。もっとも、主題が禁断の恋をテーマにした〈雪解けのプラハ〉と違って、老年のオジサンが自分探しの旅をするというのは、やはり受けないだろう。女性読者の推しがなければ、むつかしい」

 こっちも独白のようにつぶやく。

「それに東南アジアものは、読者がつかないというジンクスもあるようだ。編集者が言っていたのだが。また、突然ブームになってベストセラーになる、何故かわけもなく売れ出すというのもあり、予測がつかないと言う。まあ、慰めだろうが、そんなもんかなと思う。ところで、来年には、〈はるかなる……〉を文庫本にする予定だ。文庫の方が、廉価であり手軽に読めるから早めに出そうということだ。それで、巻末に載せる解説を上國料議員にお願いしたのだが、原稿を書いてくれれば目をとおして、議員の名前で出してもいいと了承をもらった。天羽さん、一年後に出す予定だから、十枚ほどの解説原稿を書いてくれないかい」

「それは、書かないでもないけれど、締め切りのメドはいつ頃になる」

「半年後に上げてほしい。稿料は一枚五千円ぐらいにはなる」

「……わかった、やってみよう、それじゃまた」

 電話を切ると、しばらく考えた。

キャリアに応じた山を頂上まで昇りつめると、後は、下るしかないのか。山頂で壮大な景色を見回し天をあおいだ気分になったのは、ほんのつかの間だったようだ。長い人生の日々を生きることは喜怒哀楽に満ちあふれていて、突然に幸や不幸が押し寄せてくるーー生きることは、おもしろ過ぎるーー自然、かすかな笑いが出る。

〈はるかなるミンダナオ〉は、そういった小説なのだ。

 

年が明け新たな執筆に向けて希望に燃えた……のだったが、またもや食べ物がつかえる。そのまま放っていたところ、お茶やビールを飲むにもつかえて苦労するようになった。やはり、食堂ガンかもしれないと、決心して近所のクリニックで診察を受けた。

胃カメラのチューブを飲み込み、鼻からも内視鏡を通し、三度ほど慎重に診てもらった。だが、やはり食道ガンは見つからず、ガンではなくて、逆流性食道炎であるという。

「胃から胃液が食道に逆流し、食堂と胃が接続する噴門部が、胃液のためにびらんし、閉塞している状態です」と、医者は、厳かに説明してくれる。

「これが、その写真で、ここの箇所がびらんです」と、指示したところは、白くふやけたようになっており、胃につながるところは、赤く炎症を起こしている。

「歳とともに食道括約筋の働きが低下してくるんですね。近年、老化による発症が多くなってますね」とのことで、またもや飲み薬を処方してもらった。

 ガンではないとのことで安堵したので、しばらくの間、服薬を続けてみたが症状の改善はみられなかった。ますます食欲がなくなり、体力の消耗がすすみ、あきらかに悪化しているようであった。やはり何かおかしい、自分の体は自分が一番よくわかるのだ。

 症状に納得がいかないので、セカンドオピニオンならぬサードオピニオンを求めて、すがる思いで東邦大病院の消化器専門科を受診した。

「食堂と胃が接続する部分が潰瘍状態になって、ふさがっていますね。逆流性食道炎が悪化したものですね。食道を確保する拡張手術を施しましょう」

 食堂の閉鎖部分に、バルーンを入れてふくらませて、拡張する処置をうけたが、三回繰り返すことになった。それで、やっと流動食や水が通るようになった。しばらくは経過を見てみましょうと入院をしていたのだが、食事がとれるようになったのもつかの間、今度は激しいゲリがはじまった。はかばかしくない症状に、主治医が疑問を持ち、またまた精密検査を行うことになった。結果、胃ガンが発見された。それも末期である。

 なんだ、これは誤診だったのじゃないか、不信感のかたまりが吹き出した。くそー、憤慨したのだが、患者とはみじめなものだと思い知らされた。主治医に文句を言ってもガンがよくなるわけではないし……死とは隣り合わせだと思っていたが、突然にやってくるものだ。

 しかし、誤診、運の悪さ、この事実は何かで訴えねば気がおさまらなかった。

 告発だ、〈闘病記〉を書き綴らねばならない、これが遺作となるのか。昨年の違和感から一年足らずで急降下してしまった。主治医が、申し訳なさそうに胃の全摘手術をせねばならないという。ここに至って上國料議員へ休職を申し出た。

 少子高齢化が進行するにつれて、若い働き手を確保せねばならぬと海外からの出稼ぎ労働者を増やす施策にとりくんでいたが、不法労働につながる面もあり、法制の改正は遅々として進まなかった。だが、日本の高梨首相とフィリピンのアロヨ大統領との首脳会談が行われた際に、介護や看護に携わるフィリッピン人労働者を受け入れることが決まった。これまで海外からの単純労働者は受け入れない方針としていが、この会談で海外からの門戸が開かれ、ひとつの成果を上げることが出来た。フィリピンに係わるものとして、いくばくかの貢献ができたところだった。名誉市民であるダバオへ、ささやかな貢献ができたと感じだした矢先であったが、ガンでそれどころではなくなった。

 病院のベッドで痛み止めと栄養剤の点滴をうけながら、時間があまりあることから様々なことを考え始め、パソコンの〈闘病記〉で語り始めた。

――あとどれほど生きられるかしれないが、人生はそれなりに楽しんだ。腹をくくって生きるしかない。独居老人生活を楽しんでいたのだが、臨死体験なるものを体験した。はじめはうとうとしていたのだが、いつのまにか行きつけのクラブで飲んでいた。なじみのホステスを両脇に侍らせてだいぶ酔っていた。と、ブランデーを飲んだとたん胃が熱く燃えだして、突然、場面が白黒のモノトーンになり、反転していく……意識がしだいに鮮明になっていくと、白いカーテンをめぐらすベッドにかなり年配の男性が横たわっている。酸素マスクをあてがわれ苦しそうにしている。どこかで見たような男である。よく見れば何のことはない、俺じゃないか! でもどうして? 病気! 事故! まさか自殺未遂! 朦朧とする意識が自問自答していた。あ、気がつかれましたか、メガネをかけた白いマスクをする温厚そうな紳士に話しかけられたーー

日本フィリピン協会の理事、さらにサツマーダバオ交流会議顧問なども体調不良として、辞任することになった。天羽氏ほかの人々が、残念であるとの思いを伝えてくれて、くれぐれも療養に専念して早く復帰してくださいとのことであった。

 

「やはり、東都へ出てくるとあわただしいなあ」

 アリコの相田副社長が上座に着くなり、ホッとしたように述べた。

「地下鉄もくるたびに複雑になってるようですね」西南日報の記者が言う。

 午後七時すぎに、サツマーダバオ協議会の一行、六人は、今日の日程をすべてこなして、赤坂和膳にたどり着いた。シオリは今日の日程の幹事役を担っていた。

「ご苦労様でした、では、さっそくですが懇親会を始めたいと存じます。なお、先ほどのお見舞いでご存じのように、この懇親会は、安東秘書さんが、せっかく東京へでてきてお食事もできなくて申し訳ないからと、出席はできないけど楽しんでいただきたいというご厚意によるものです。では副社長、乾杯の音頭をお願いします」

 目の前に前菜がならべられ、生ビールのグラスが六人の前におかれた。

「では、座ったままで失礼します。本日はご苦労さまでした。みな様のご健勝と、安東秘書、作家の江夏先生の早いご回復を願って、カンパーイ」

 個室となった和室は、和テーブルを中心にして掘りごたつの座席になっていて、足を延ばせるのがありがたかった。シオリは、戸口を背にして坐している。

 今日の日程は、午前十一時に六人それぞれが議員第一会館のロビーに集合して、そろって上國料議員事務所を訪問した。あらかじめ議員は、不在ということがわかっていたので、第二秘書さんにそれぞれがあいさつをして、議員の執務机に名刺を置かしてもらった。

 第二秘書は、せっかくですので、議事堂を案内しましょうと、衆議院を案内してくれた。ちょうど臨時の総務委員会が開催されていて、委員会室の廊下を通るときに、会議が終わって各議員が部屋を出てきた。数人の議員のなかに、テレビで見知った阿久津早苗議員がいたので、シオリは、「あっ、アクツさんだ」と小声で叫んでしまった。閑静ななか、阿久津議員にも声が届いたようで、彼女はシオリを向いて軽く頷いてくれた。シオリはタレントを直にみたようでうれしくなり、頑張ってくださいと心の中でつぶやいた。 

昼になると議員食堂でそれぞれが好きなものを注文して、シオリは天ざるを注文した。 

昼食を済ませると、三人ずつタクシーを乗り合わせて、港区の東邦大病院へ、安東氏のお見舞いに向かった。病院前の店で、花束と果物のバスケットを購入した。

ベッドの安東氏は、だいぶやつれて急に年を取ったように思えた。

「いままでの激務がたたったのでしょう。ゆっくりと療養してください」

相田が代表で見舞いの言葉を述べると、

「いや、体調が悪くなってから、診断をうけたのだが一年ほどのあいだ、診断は逆流性食道炎であり、ガンではないといわれたので、憤慨のしようもないです。いったい何なのですかね。私は、ガンじゃないかと何度も訴えたのですがね」

「それは、何と言っていいのかわからないですね。医者の世界も、最初の診断が下ったら否定するのは、できにくいのかもしれませんね」

「おかげで、笑い話にもなりませんよ、その間にガンは転移していて、胃の全摘手術を行わなければならないと」

 不運に同情するしかなく、皆はやめに病室を退出したのだった。

「わざわざ時間を割いておいでいただいたのに、このような状態でゆっくりとお話もできずに申し訳ありません。それで、皆様に一席食事の座をもうけてありますので、東都の夜をお楽しみください」

安東の気遣いにより、六名での赤坂和膳での懇親会となったのである。

「これは、穴子明太子真丈というんですね。さすがに手の込んだ料理ですね」

 シオリは、席においてある御献立の和紙と見比べながら、ひとつ一つ味わっていく。前菜ながら、山東菜お浸し、ごま豆腐にアワビ蒸し、出汁巻き玉子、ちいさなローストビーフ寿司というものなど、七品が細長い皿に盛られている。

「さすがに、女性の花園っていうか、はじめてで感激でしたが、圧巻で華麗でしたね」

安東を見舞ったあと、午後三時から、招待を受けた〈雪解けのプラハ〉を観劇するために東都歌劇シアターに直行した。これが今回のメインイベントでもあった。

「主人公の渡会博史が登場するところは、かっこよすぎたなー、〈わたしは、日本国二等書記官、渡会博史です〉と、見栄を切る場面は、安東さんも若いころはあんなだったかなーってね」

サツマパブリシング社の社長が、笑いながら話を盛り上げた。

「だが、周りは若い女性やおばさんばかりで、オジサンたちは、ちょっと恥ずかしかったな」

「やはり、女性の理想ってのは、あのレビューみたいにキラキラ輝く衣装の世界であり、オトコとしては、きらびやかだが、そこには、入り込めなかったのが、実感だ」

 やはりオトコどもとは感性が違う。ボクも中性的と言われるけど、やはり美しいものにあこがれる。究極の美に。

 鯛や赤貝の造り、蕪と甘鯛の蒸し物と、次々と料理が運ばれてきて、同時にヨモギ色に映える和装をした若女将が、現れた。

「安東さまには、いつもご利用くださり感謝しております。本日はご都合が悪いので丁重におもてなしくださいと、承っております。これからのご利用をおまちしております」

 さすがに、若女将である。ハッとするような華やかさを残して退出していった。

 伊勢海老と茄子の天ぷらなど、運ばれてくる品々に、伝統的な日本の美を感じる。

 ただ、オトコどもは、この細やかな料理を、愛でることもなくパクついている。

シオリは、ダバオにいるタツヤは、この雅(みやび)な世界が分かるだろうか、ふと思った。

西南日報の記者が、

「小説っていくか、作品っていうか、芸術っていうか、作者を超えて生き残っていくんだろう……」独り言のようにつぶやいた。

                       
                 (   つづく )

*もうひと山超すと終章に入ります。もうしばらくお付き合いください。
 ヨロピク!
 


                     

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