
いくぞ新作⁈ (26)
アナログ作家の創作・読書ノート おおくぼ系
連載小説 はるかなるミンダナオ・ダバオの風 第26回
〈いままでのあらすじ〉
中城紫織(なかじょう・しおり)は、中城設計工房を主催している。ある日、中年の制服警官が訪ねてきた。〈ダバオに行った長男タツヤが過激派に拉致された〉とのこと。フィリピン・ダバオ支店長の天羽隆一(あまばね・りゅういち)はシオリからの電話にでた。拉致について総領事へ問い合わせると、拉致は聞いてないという。天羽はアンガスとジープを走らせ、アポ山裏の小屋にたどり着くが、タツヤは非番でいなかった。ダバオの市長選も現グスマンと前ドウタテイの戦いで、ねじれていた。
帰り道、天羽はダバオをふりかえる。ここで、日本人の村長さんともいうべき総領事安東博史と出会い意気投合した。天羽は安東を衆議院議員上國料の政策秘書として紹介した。二人は共通項があり、天羽が、〈ダバオの日本国〉というノンフィクションで新人賞をとっていたこと。安東も外交経験を書き綴った〈雪解けのプラハ〉という小説を上梓していた。ダバオの市長選はドウタテイの返り咲きとなった。天羽は施策が転換され、再び犯罪者や麻薬密売人の粛清がおこなわれると危惧する。タツヤが、天羽を訪ねてきて拳銃を買いたいという。天羽は、まずは銃の取り扱いを学べと、アンガスに訓練を託す。安東も国会議員事務所で半生を振り返る。シオリは警察庁から、またもや〈息子が、窃盗事件を起こしたので賠償してくれ〉というメールを受け取り、デタラメな時代へなったと嘆く。アンガスはタツヤに射撃訓練を行う。天羽は、ドウタテイ新市長を訪問してパトカーの寄付が欲しいと請われ、安東やシオリに相談をする。シオリは、それは、国の安東秘書の仕事だという。天羽は、ダバオに国際大学を創設する計画の手助けもせねばならなかった。タツヤは銃扱いの訓練を続け、一方、安東は、よくぞ小説〈雪解けのプラハ〉を書いたと感慨深かった。シオリは、サツマ環境センターの事業参入でノリノリであったが、天羽は事業の資金繰りに窮していた。こういう状況に、突然アメリカで同時多発テロが起こり、ミンダナオのアル・カイダもイアスラム過激派の仲間だという。天羽は、事業の縮小をきめ、アンガスがその旨をタツヤに告げると、彼は、〈自由ダバオの風〉を立ち上げるという。アンガスは相談に乗り、タツヤの援助を約した。安東は、パトカーの寄贈について交渉を重ねていた。
シオリは目論み通りに、環境センターのコンペを勝ち取った。ダバオは、渡航困難区域となり、天羽は交流を模索していた。そんな中、タツヤとラルクが、タスクフォースに連行される。アンガスが、二人を救出せんと留置場へ急行し、無事に救出する。シオリにはタツヤの抑留ことを知らせなかった。
シオリは、市電軌道の緑化事業に動き出し、江夏(安東)は、〈はるかなるミンダナオ〉を出版する。天心館館長一行がダバをを訪問し、その答礼会が催される。江夏の小説〈はるかなるミンダナオ〉が発行される。サツマとの交流も再開され、アジア文化まつりへの参加が計画される。シオリは、サツマへ帰ってきた天羽と話し合う。一方、安東は逆流性食道炎は誤診で胃ガンと診断され、〈闘病記〉を書くようになる。天羽は住田とバナナ繊維やソバ栽培に傾注する。
闘病記は続いている。
ーー胃の全摘手術を受けることになった。遺書を残して決死の覚悟をきめた。東邦大附属病院のベテラン医師チームにより行われたオペは、八時間もかかったのだった。胃に接続する噴門部から小腸にいたる胃袋をすべて切除し、食道を直接小腸に接続する手術が行われた。意識が回復した時に、手術は成功したと言われたのだが、その後の消化機能が回復していくのかは心配した。ダンピングという後遺症と戦わねばならなかったーー
胃の全摘出をしたので食べ物が急速に小腸へ流れ込む。このことにより、動悸や発汗、めまい、脱力感がおこるのだ。果たして猛烈な下痢が起こり、食べたものがそのまま排出されてしまうのだ。脱水症状により体力が急速に失われ、ベットで起き上がる気力も失われた。
白いカーテンに日光が映え、意識が朦朧とする明るい部屋に、突然、人影が浮かび上がったようだった。
「安東さん、だいぶ消耗しておいでですね」
背広姿の人物を一分ほどながめていただろうか、ぼーっとしていた意識と人影がピントが合ってきて、鮮明になった。
「あーあー、これは。松乃井社長さんですね……こんなザマになってしまって」
「いやー、大変なオペだったようですね。入院されたとは聞いていましたが、しばらく中国へ出張しておりましたので、お見舞いがおそくなりまして」
松乃井純男は、日中交易社の社長であり、別途に漢方研究所を運営し、漢方薬の研究と製造販売も手掛けている。松乃井氏とは現役時代に知遇を得て、特に作家江夏和史が誕生するさいに多大な助言や援助をいただいた。漢方薬の事業をつうじて出版界や芸能界へも人脈があり、〈雪解けのプラハ〉が世に出るために、そして今回の東都歌劇シアターでの公演実現に多大な尽力をいただいた。私の大恩人であった。
「江夏先生、ご存じかも知れませんが、歌劇の公演は大盛況ですよ。十万人を超えてロングランになるかもしれない。地方公演も検討されてるようです」
「ああ、そうですが。いつもご助力をありがとうございます。原作者の江夏は、このようにベッドの上で生死をさまよっていましたので……」
ハハハと笑おうとしたが、声にならなかった。
「だいぶ衰弱していらっしゃるようですね」
そう言うと、松乃井は、おおぶりの手提げ袋を横のテーブルにおいた。
「これは、当社の〈長寿仙〉という人気商品なのですが、人が本来持つ免疫力を高める効能があるものです。評判がいいので今回お持ちしました」
薬の治験者になるのかといぶかしく思ったのだが、今はワラにもすがる思いである。
「これは、鹿角霊芝、菊花、余甘子、など七種の漢方成分を抽出したもので、成分分析によるとビタミン類の他、多種アミノ酸、ミネラル成分や微量元素を含んでいて、高血圧、糖尿病など成人病のほか、肝臓保護、胃腸機能調節、ガン細胞抑制などの効能があるんです。臨床実験でも効果が確認されています。副作用がないので安心して飲むことが出来るすぐれものです」
では、長居をしてもいけませんので、お大事にと、松乃井氏が病室を去ったあとに、白っぽい部屋の中で、いくぶんかのわだかまりがしこりのように残ったが、ここまでくれば実験マウスになってみるのも面白いかと、好意を信じるほかはないかと考えた。
まだ死んでたまるかと気力を奮い起こし、〈長寿仙〉を一日四本ずつ服用してみた。
十日目から、次第に下痢が治まり始めた。それにつれて食欲が回復して、ほとんど手をつけることが出来なかった病院食の朝昼晩を三食とも完食できるようになった。ナースを驚かせる回復とともに口から入れる食事は、点滴とは比較にならない効果を得ることを実感した。エネルギーを徐々にとりもどすと、なすこともない空いた時間を有意義にと、ノートパソコンで、思いのたけを発進し続けた。
ーー作家とは、失意とどん底に身を置いてもがきながら、ある瞬間に、突然の光明をえて天空に舞い上がるときがある。しかし、その光が強烈であるほど一瞬の輝きを残して重くかすんでいく。やはりいつの時代でも読者に受けるテーマは禁断の恋であり、この原型はすでにロメオとジュリエットでできあがっているのだ。愛も恋も時とともに変化する。恋を求めて飛び回るのは女性だけにあらず、男女とも愛と恋の衣をまとって青春と讃えられ燃えたぎる、生殖期をすごすのだが、この〈恋と愛〉という朱夏を頂点として秋へと移り変わる。若いエネルギーが徐々に劣化するとともに〈恋と愛〉以外の価値観も必然的に浮かび上がってくるのだ。それは〈美〉や〈善〉であり〈人の確かさ、面白さ〉といった類のものに思える。さらに目くるめく性の本源も生であったことに思い至るとともに、老いを迎え老醜が忍び寄り、晩年をそのささやきと暮らすことになる。今までの作家がそうであったように、老いにより自身の価値が山頂から滑り落ちていき、ゼロをも下回りマイナス世界に向かうと、底もまた限りがなくて留まるところが見えず、自身の存在自体に堪えられなくなる。絶頂の時に凋落(ちょうらく)がはじまる……大作家ほどその落差の大きさを痛切に感じるのだーーだから、
キーボードがここまでは走ったが、ふと止まってしまった。白いカーテンから外の方へと目を向けたのだが、光を浴びた白色以外はみえなかった。まだ、魂はぬけていない……もう少し生きたい、と思ったが、そのことは文字に出来なかった。〈だから〉の三文字を画面から消した。
〈長寿仙〉の効果は著しくて手離せないものになった。体重が六十キロまで戻ってきて、四十キロを割っていた時に比べると、エネルギーが満ちてきたのがわかる。
それで、四月に入り温かくなったころを見計らい、二年ぶりに自宅に帰ることになった。
再発の可能性もあるので自宅では完全自立というわけにはいかず、ヘルパーさんに買い物や掃除をお願いしての独居老人生活であるが、自由が回復したのを受けて江夏和史が復活して執筆活動が再開される。
念願の〈はるかなるミンダナ〉が、文庫として発刊された。文庫本には、末尾にあらたに書き下ろした解説などが収録されるのだが、以前、天羽に原稿をお願いして、上國料議員のお目通しを願って、〈ダバオと私 衆議院議員 上國料 毅〉との表題のもとに発表された。十枚にもわたる長文であり、ダバオとの交流の経過を語っていて、サツマーダバオ交流会議のレジメかと思われる。その文末では、
ーー本書は、日本人とフィリピンとの関わりあいについて、改めて再考を促す力を秘めているとともに、政治家の道を歩む私自身にとっても、多くの示唆を与えてくれる読書体験となった。これまでの江夏作品同様、一種のサスペンス小説として読みごたえがあると同時に、日本人の歴史認識を問いかける啓蒙の書という趣をも兼ね備えていると思うーー
と結んでいる。
濃い緑のヤシ林と緋色のブーゲンビリアが咲き乱れる本の表紙をながめると、はるかなるミンダナオ・ダバオの日々が、ゆらめき立ってくる。
安東、いや江夏和史から〈長寿仙〉一ケースが送られてきた。
メールによると、免疫力を強化する漢方薬とのことである。さらに、この薬により回復に至ったと賞賛している。最近、体調がふるわないのは、物言わぬ臓器、肝臓が疲れているのに酒をやめられないせいであろうし、胃もシクシクしているので、おそらくと、考えていた。
こちらの医療制度は、オープンシステムといって、同一建物に診察するクリニックが入っていて独立採算制をとっている。検査と診察は別れていて、まずレントゲン室に行って前金払いをして、撮ってもらったレントゲン写真をもって診察室に行く。診察結果が出たら薬局で薬と注射器を購入して処置室に行って注射してもらうといった具合だ。時間がかかるし、個人に対しての細やかな治療は望むべくもない。私立の病院もあるのだが、アメリカ並みの費用がかかる。さらに都市と地方の医療の較差は、これまたすごいものがある。
それ故に、江夏氏からの漢方薬はありがたかった。
ふり返れば、この三年ほどで、ダバオ交流の主役もうつり変わりつつあった。
アイコの支店との位置づけであった事務所を整理しなければならなくなった。ドウタテイの登場とともに、水道資材や技術協力の方向が反転して、事業化できる見込みが立たないのである。また、バブルがはじけてからのサツマも不景気のスパイラスにおちいっていた。人口と経済成長は密接な関係にあると大学の講義で学んだが、ベビーブームと言われたわれわれの世代が、四十代の時が活力に満ち、景気のピークであったと思えた。アイコの支店が閉鎖されると、どうやって生活を支えるのか、今までスポンサーだったアイコが手を引くとなるとサツマ―ダバオ交流会議を存続していけるのか、サツマの実家を処分したことで、しばらくはもつが、この先の展望がないとやっていけない、今までにまして窮地に追い込まれてしまった。ますます、胃の痛みが激しくなる。
重くのしかかってくる現実のなかで、新たな希望がひとつ芽生えた。
三年まえに、同時テロ後の混乱の最中にダバオを訪問してくれた、新田海鮮食品工業と冷凍食品の社長の子息、新田好信が、念願の工場を立ち上げたのである。この工場、〈ニッタ・ダバオ・インターナショナル〉は、ダバオの独立法人ではなくサツマ本社の子会社として開業した。フィリピンで独立会社を設立する場合には、フィリピン資本が六割以上でないと認められないのである。子会社設立について、天羽は手続きに付き添い忙しかった。工場は当初、魚肉加工を予定していたが、最終的にはフルーツに移行して稼働した。マンゴーやパイナップル、バナナなどのフルーツを、冷凍果物やプリン、アイスクリームに加工して鮮度を保ちつつ、日本、フランス、中国などへ届けている。親会社の販売ルートにのっかかるために、好発進できたのだ。タツヤもバナナやマンゴー、果物を供給するために食材調達担当として社員となった。
また、バナナ繊維やソバに取り組む、住田氏が以前からダバオ日本人商工会議所を設立しようと動き回っていたのだが、私に会頭になってくれとしきりに頼んでくる。アイコ社員を辞めた後は、それもいいかなと思うが、体力や気力に自信がなくなっていた。
「設立し、しばらくの間はやってもいいが、後任のことも考えていてくれ」
「時がたつと、新田君やら若手も育ってくるだろうから大丈夫だ、心配ない。先細りを嘆いて傍観してるだけじゃ最低だ。やるだけやらねば枯れてしまうだろ、私が会頭になれればいいのだが、新参者だからそうもいかないだろう、ハハ」
彼、住田は何でも簡単に決めていく、決断に行動あるのみのイケイケである。
まだ、いろいろとあった。一昨年、ダバオ日本人会で内乱が発生した。会長が突然に、日本人会館の建設をめざすとし、建設費用の確保のために会員おのおのへ寄付の要請があったのだ。なぜ今になってと、建設費の内訳や土地の確保の問題など、疑問の声があがった。会員は五十七人いたのだが、一年ほど在籍していた有川氏が、真っ先に何のメリットもないと主張し、強引に皆の脱会をさそった。
すったもんだのあげく有川氏を中心にして十数人が出ていき、新しく〈ダバオ桜会〉という親睦組織をつくった。私は、この事件には係わらずになだめるだけだったのだが、〈桜会〉は、シャレにもならないと思った。確か、戦前の反乱組織にも同様な名前があった。反対者は、維新とか桜会とかいう洒落たネーミングに固執する可笑しさを感じた。
そんななか、ダバオ日本人商工会議所は、マニラ日本人商工会議所を参考にして、日本商工会議所の了承をもらい、不肖、天羽を会頭、住田武志を副会頭にして発足した。アイコの支店をそのまま借り受け会議所の事務所とした。当初は、二十社ほどに声をかけ賛同をもらい法人正会員、法人準会員、賛助会員に区別し協賛金を募った。
事務所の看板は掛け変えたが、アンガスは、そのままボデイガード兼運転などの雑務を。事務の女の子もそのままで、人は依然のままで変わらなかった。主な業務は、ミンダナにおける商売の支援というコンサル業務であり、もっかのところ新田海鮮食品工業の〈ニッタ・ダバオ・インターナショナル〉を軌道に乗せるためのアドバイスが主だった。
設立後三ケ月ほどたったころ、日本人コミュニテイにおいて悪評がたった。つきつめると、桜会の中心者、有川氏がウエブサイトに、〈ダバオ商工会議所は事務所を構え、受付の女子事務員や電話などで、毎月の経費で大変だそうだ。それに比べてダバオ桜会は、経費負担などないからマシだ〉と、われわれをからかい、中傷する文面であった。
苦労して立ち上げただけに憤りはひとしおだった。
一言注意をせねばおさまらないと、気を静めながら受話器をとった。
「有川さん、あのブログあんまりじゃないですか」
「ああ、あれですか、思うことをつれづれに書いているんですよ」
「書くことはかまわないんですが、あの記事は悪意に満ちているようです。訂正してお詫びの言葉を述べてください」
「天羽さん、そんなに目くじらを立てることはないんじゃないですか。大人気もない、単なるエッセイみたいなもんですよ」
のらりくらりとかわす有川の返答に、さすがに気分を害した。
「わかりました、それなら、威嚇業務妨害で訴えるつもりです。そこで決着をつけましょう」
「そこまで言われると、そうですね、今度お会いしてゆっくりと話し合いましょうよ」
有川はそういうと電話を切った。後日を約束したのだったが、結局は行き違いとなってうやむやになった。日本人同士のせまいテリトリーをめぐって、つまらないトラブルはけっこう起こった。
第五章 ダバオの風
光陰……のごとしというまでもなく、月日は過ぎてゆく。
シオリは、自宅マンションの建設が完了してホット一息ついていた。建設中の一年半は、現場の管理業務に徹して没頭していた。八階建ての方は、ワンルームを三十室。五階建ての方は、三LDKを十三室となった。八階建ての六階と七階には、内階段で行き来できる自宅を構えて、テラス風のバルコニーから湾に浮かぶ火の島が真正面に見える設計である。この夏の花火大会では、バルコニーで鑑賞パーテイを開こうと思っている。上の階には念願であった茶室をそなえ、和様の心休まる空間がある。一階部分はコインランドリーを具えて独身者の便宜を図っている。中高校に近く大学までも歩いていける距離である。入居率は立地も良く新築でもあるので、九十パーセントを見込んだ。
やっと完成したのだが、今後は運営や管理業務もこなしていかねばならない。登記手続きや税金の処理もけっこう面倒くさいのだった。
多忙で緊張した日々を過ごしていて気が付かなかったのだが、サツマーダバオ交流会議については失念して、気にかけていなかった感があった。
特に、安東秘書については、東都歌劇シアターでの〈雪解けのプラハ〉観覧のため上京した際に、体調不良で入院中と聞いていたのだが、予後がどうなったのか、わからぬままに時間が過ぎていた。
天羽さんに聞いたところ、闘病記なるものを書いているのだが、それを読むと大部悪いらしいという。その当人の天羽さんにしても、サツマーダバオ交流会議のその後が続かずに宙に浮いた感じになっていた。発足から何とかやってきたが、約八年も経つと目新しさもなくなってきたし、日本経済もバブル崩壊後の後遺症に苦しんでいる。
ミスダバオの訪問は続いており、昨年の秋もダバオからの訪問団があったが、サツマーダバオ交流会単独での受け入れは困難となり、サツマ市の方へ振った形になった。シオリも、唯一の交流会が主催した歓迎会には出席したが、百人を優に超えていたころに比べると四分の一以下の二十七名に減っていた。理事の一人でもあった安東秘書官は、所用が重なったため欠席とされていたが、実情は、まだ入院中であるとのことであった。
天羽さんも主席出来ずに、彼からのメッセージが各出席者に配布された。
ーー今回は、ミスダバオの訪問にあわせて、帰郷できませんので現地ダバオから大成功を祈っております。ダバオとの交流実績ですが、天心館空手ダバオ支部の開設とともに、空手が普及し来年の世界大会には、選手を派遣することが決まっております。新田海鮮食品工業の〈ニッタ・ダバオ・インターナショナル〉支店につきましても一ヘクタールの土地を取得し、工場を建設してマンゴーやパイナップル、バナナなどのフルーツを、冷凍果物やプリン、アイスクリームに加工して日本や海外へ輸出しているところです。さらに、サツマのメトロ社が、メトロ・ダバオ・トレーデイング社を設立し、ダバオの良質な砂利を沖縄に輸出するとともに、中古漁船やボートをこちらへ輸出するビジネスを立ち上げました。また、退職し年金生活者の居住地としても注目をあつめ、国際大学卒業生の日本での各分野での受け入れも進んでいます。このように交流会議を基点とした各種取り組みがなされていることをご報告申しあげ、皆様のご協力に深く感謝しつつ、ご多幸をダバオの地よりお祈り致しますーー
このお礼の文を最後に、シオリと天羽との連絡が途切れがちになってしまった。
タツヤを早く呼び戻さねばならない……
( つづく )
*連載小説は、書きおろしの習作であるので、見直してはいるのですが、
変換ミスや誤字などが散見されます。ご容赦ねがいます。ヨロピク!