空を飛べ⁈
アナログ作家の創作・読書ノート おおくぼ系
長い灼熱におわりを告げ、澄んだ青空の季節に変わった。
この澄んだ空に無限に吸い込まれて、自由に飛びまわり、遊びたいとの思いが飛行機へのあこがれであった。
オトコの子は、だれもが紙飛行機を隠し持っていると歌われるごとく、空へのあくなき冒険心は、いまだに続いている。
年少からの憧れが生じて飛行機オタクとなったが、キャリアは長く尾を引き、ソリッドやプラモデル製作から何とか実機に接近し、セスナのプロペラなどを手に入れた。汗をかかぬ季節となったので、いままでの懸案であったプロペラのデイスプレイにとりかかった。なんのことはない、木切れを組み合わせてプロペラを乗せる台を作ることなのだが、このプロペラが結構重いのである。
よくぞ、こんな重いものが空を飛ぶなと思えるが、材質はジュラルミンではなくて、時代からして、もちろんカーボンでもなく鉄の特殊合金のようである。マホガニー色のクリア塗料を木製台座にぬると、なんとか二枚羽のプロペラを持ち上げて据えることができて、モニュメントが完成した。最後にペラのキャップ部分のサビを落として、スプレーで塗装した。
ここまで完成すると、系どんは子供にかえって、にんまりとする。右に行ったり上から見たりと、飽きることはない。やはり無機質なメカが大好きなのだ。
飛行機をとりあげた小説も昨今多くなったが、想い出深いのは、今や古典ともなった三島由紀夫の〈F104〉である。この作品は三島が自衛隊のF104戦闘機に同乗してイカロスになるという短編である。
――私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を燕みつづけることによって鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせている最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた――
三島は気密室での訓練を終えて、F104複座戦闘機の後部座席に乗り、4万5千フィートの空に急上昇しマッハをこえる。その果てに何を見たのか?
詩とは、宇宙を表現するものであると習ったが、三島は最終章を〈詩〉でまとめている。
この〈F104〉戦闘機は各種のエピソードがある。自衛隊の第二次防衛力整備計画にもとづいて、次期戦闘機をどう決めるかが検討されたが、当初グラマンGに決定されものの、これがくつがえりロッキード社のF104が、最終的に正式決定された。この事件を取り扱った小説に山崎豊子の著名な〈不毛地帯〉があり、次期戦闘機の選定の模様をラッキード社とグラント社の対立として書きあらわしている。この〈不毛地帯は〉いろんな観点からして、日本の戦前戦後史を書き表わした不朽の名作である。ただ、ここまで日本の深部に踏み込んで書くことが出来たのは、山崎氏が女性であり、その強気を生かせたものと、系どんは考えている。
現実の〈F104〉は、ペンシルロケットに薄い翼がついた形状で、マッハ2の速度重視の設計であった。系どんは、〈空飛ぶサンマ〉と呼んでいるのだが、スマートで銀色にかがやく機体は、セクシー以外の何物でもないと思う(笑)。
ただ、スピード重視のために翌面積が極端に狭いため、小回りや旋回性能については劣る。ドッグファイトには向かないとされ、緊急スクランブルや一撃離脱戦法での運用となった。低速飛行や迎え角を高くとると失速の恐れがあるので、警報システムもついている。
さらに加藤寛一郎は、〈飛行秘術のはなし〉のなかで〈F104〉のジャイロ・モーメントについて述べている。
有川浩は自衛隊を題材に取り、陸、海、空の三部作や〈図書館戦争〉で人気作家となったが、航空自衛隊広報室を舞台にした〈空飛ぶ広報室〉で勇猛果敢・支離滅裂といわれる航空自衛隊の現在の姿をいまふうに書きあらわしている。
有川浩にかぎらず、女性作家が航空自衛隊を描く時代にもなっており、福田和代〈迎撃せよ〉や高野裕美子の〈ホット・スクランブル〉などもある。
さらに驚愕するのだが、より専門性を備えた作家が登場する。三須本有生という東京大学航空工学科卒の本格派による、体験をモデルにした小説で、松本清張賞を受賞した〈推定脅威〉である。自衛隊機TF-1の墜落原因をさぐるミステリー仕立てであるが、専門の航空工学の内容をわかりやすく説明しており、振動によりおこるフラッターが出てくると、初期のゼロ戦開発の時代の探求が懐かしまれる。受賞二作目は〈リヴィジョンA〉で、航空機メーカ-がTF-1戦闘機を開発・改修する物語である。防衛省の予算獲得などリアルな開発現場を余すことなく書きしるしている。
このように、航空機関連の小説もあまたあり、飛行機オタクとしては紙のなかで際限もなく自由に飛び回れ、大空のなかに浸れるのである。
余談ながら、系どんも〈サンシャイン・レデイース パラダイムシフト(上)(下)〉という航空小説(笑)をものしている。今後とも、応援をヨロピク!
(適宜掲載します。ヨロピク!)