
アナログ作家の創作・読書ノート
「今回はエッセイでーす! ヨロピク、ピク!!」 おおくぼ系
コーヒーブレイク
歩いて十五分ほどの二車線の通りに面して〈ジョイフル〉がある。
ファミリーレストランであり、昼どきは結構にぎわい、二人から六人が向かいあって座れるボックス席のみでカウンター席はない、ためにゆったりできる。散歩にちょうど良い距離でもあるので、週にニ、三回ランチのために通い常連となっている。
通っているうちに、定点観測とでもいえようか、いろんな人々が食事を楽しんでいるざわめきが、ほどよい心地よさを感じさせ、交わされる会話に、なんとはなしに聞き耳を立てることもある。
ランチメニューも充実しているが、最近は、著名ユウチューバ―の考案したカレーを大々的に宣伝し結構な注文があるらしい。だが、世代からか、または地方であるからか何となくのれない感があり、いまだ味わっていない。季節を限定してのメニューもあり、はじめてパエリアを食べた。また価格はリーズナブルで、ドリンクバーもあり、私の場合はおもにコーヒーであるが、何杯もおかわり出来るのがうれしい。なんといっても食事後に直引きのカフェラテを堪能しながら、優雅で自由なひとときを過ごせるのがありがたいのである。
一人またはグループで、ノートを広げて宿題に励んでいる中高校生やパソコンに集中しているサラリーマンも見受けられる。もちろん孫世代を連れた家族も多い。せわしい現代において、いくぶんゆとりを感じる空間であり、ここでゆっくりと食事をとり、体にエネルギーを充電したのち、しばし読書や思索をするには最適の場所に思える。作家は一人仕事が好きな存在であり、定番ランチの後、カプチーノを片手に独りでにんまりとしていると、周囲から変人、奇人に思われるかもしれないが、適度な雑音と緊張からか、考えがさまよいながらも形をとってくるもので、文章のフレーズがどこからか現れるから不思議と言わざるを得ない。
瞑想やタロットにこっている女友だちからすると、いかなる場所でも心静かに集中すると浮き上がってくる想念があるという。そんなものかもしれないなと思い、内面を深くさぐる能力は男性には理解しにくく、女性ならではの固有のものであろう。反対に外界に対する冒険心は、男性特有であった(のだろうが、現在はそうとも言えなくなってきている気がしている)。
内面的、外面的の問題を考えるとき、一つの基軸として、日本と外国との関係、特に島国である日本と大陸にある国とに思いをはせる。地政学的な側面からしても日本という島国は閉鎖的に感じられ、ために内面の探求にエネルギーの多くが向かっていった。それ故に私小説と呼ばれる内面(精神面)探求の物語が発達したのだと考えているのだが、アメリカ、オーストラリア、中国などの大陸の印象は壮大かつアバウトで、さらに多民族からなる国家は価値観も多用性に満ちている。
若いころは、この狭い日本の同質性がやりきれなくて、海外へ想いをはせたものだが、ウエットな日本に比べてオーストラリアでの公平かつ自由なドライさを体験すると、自身の矮小さと、やはりウエットなジャパニーズであることを再認識させられた。こんなことをおぼろ気に思い浮かべていると、ストロングコーヒーを飲みながら、とりとめもなく自身の存在がいとおしくなる。
このランチ空間は読書にも適しており、バッグの中から今日は、落合信彦の『小説サブプライム』であるが、おもむろに選んできた文庫本をとりだした。落合信彦氏はひと昔前のハードボイルドやノンフィクションを手掛けた作家であり、十年以上も前に読んだ本なのであるが、サブプライム問題についても書いていたとは、記憶に残っておらず意外であり、認識をあらたにして読み直した。
彼は、高校卒業後アメリカにわたり大学院を終えて、オイルビジネス事業に飛び込んだ国際的な経験をもち、その後、ジャーナリズム作家となった。『傭兵部隊』『石油戦争』などハードな世界の現状をとりあげ、ビールのCMもかねて一世を風靡した。
『小説サブプライム』は、いわゆる経済小説の分野であるのだが、コーヒータイムしながらページをくり精読していくと、主人公と彼女との場面に出くわした。
しばしの沈黙のあとーー
「みゆきちゃん、これからおれたちは馬鹿にならないか」
「えっ?」
「あるフランスの作家が言ったろう。愛とは二人で馬鹿になることだって。おれと一緒に馬鹿になってくれるかい」
「馬鹿になるなら私の方が上手よ。だってあなたに初めて会ったときから私は馬鹿になっていたのですもの」――
以前は気づかず、心に残らなかった一節、このような新たな発見をみいだすと、うれしさに満たされる。これこそが、CIAやFBI、それにCFTC(連邦商品先物取引委員会)のストーリーに隠された作者のホンネ(隠し味)に思えるのだ。
ところで、経済小説の分野についてであるが、城山三郎の『総会屋錦城』、清水一行『小説兜町』などにはじまり、高杉良『金融腐蝕列島』、江波戸哲夫『小説大蔵省』、池井戸潤『下町ロケット』,真山仁『ハゲタカ』、黒木亮『トップレフト』など、いまさかりなりの感があるが、「日本にもついに経済小説を書く女性が現れたか」といわしめた、幸田真音がいる。彼女は、米国系銀行や証券会社での債権ディ―ラ―や外国債券セールスなどの仕事を経て、『小説ヘッジファンド』で作家に転身した。彼女の経験からなる金融・経済小説は、一種のサスペンス。ミステリーにも感じられ、いつの時代にあっても題材となる事実は小説よりも奇なりの感が否めない。
カフェラテからカプチーノにかえて、本日も〈ジョイフル〉の椅子に腰かけながらあれこれと妄想と読書の世界に遊んでいる。
* 次回は短編小説をいきまーす!