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二周年・新作にはしれ!

アナログ作家の創作・読書ノート  おおくぼ系



 NOTEに参加してからちょうど二年たった。
 手軽でかつ自由に創作活動ができることは、まさに天国だ(笑)。
 
ふりかえると小説家になりたいと思いQ文学同人に参加して、本格的に小説を発表しだしてから、ゆうに十年を超えている。いろいろなことを通して得られたものは何だったのか?
ふと、周りを見回したら、時代の変化が加速度を増しつつあって、その中でポツンとたたずみ、ただ生きてきたのだという感慨がある。
 
思うには、アナログ作家の小説は、なろう系、ライトノベルのフィールドでは、〈それって引く~〉みたいで、読まれにくいのだと感じる。面白さへの変化が著しく、ファンタジーやアニメ、お笑い系へと若者中心の文化が主流を形づくり、様がわりしたようだ。
 
当時は、作家になろうと紙本を主体に書き続けていたのだが、Q文学同人時代は、それなりに書くことが楽しくて、夢中だった。
同人とは、志を同じくする人々の集まりで、文学的歴史のあるQ地に所在をおき、100名をこす会員が参加していた。みな作家を目指して、H編集長のもとで四半期ごとに300ぺージ前後の割りと厚い同人誌を発行していた。同人の中には、直木賞などの各賞候補になった人などもおり、地方の文学賞をとった人はあまたいた。
それぞれの文学的業績により、いまでいうカースト感はあったが、講評会では激論が戦わされて、みなそれなりに熱かった。やはり作家を目指すからには、自身の作品が一番面白いと思わなければやってはいけない。
 
 発行される毎号への掲載をめざして、次々と短編や長編を出し続けたが、「百日紅の海」をはじめとして、長編の『海紅豆の秋』を三回に分けて連載されて、新参者から定席を得つつあった。その間に、編集長のH氏から、ダメだしや書き直しは毎度のことであったが、とにかく書き直しを含めて、書くことに没頭したのである。
 
 そうこうしているうちに、Q文学同人誌に掲載された小説の講評を述べていたS先生の紹介とのことで、執筆依頼が届いてびっくりした。内容は『戦国逸話伝説総合辞典』というノンフィクションの各項目を書く執筆者の一人で、稿料は20字につき55円とのことであった。小説の依頼ではなくとも断る理由もなく、さっそく快諾して執筆に取り組んだ。
北畠具教、鉄砲鍛冶、砲術、飯盛山の戦い、などの12項目について、資料を読み込んで、意気込んで書き上げて提出したのだが、同辞典の出版話は、いつしか立ち消えてしまったのである(笑)。
 
 そんなこともあろうかと思ったが、次にまた『古事記の真相』の執筆依頼が来て、〈熊襲〉について四千字以内でまとめてもらいたいとのことである。なんでも書いてやろうの意気込みで、熊襲の穴などを取材して締め切りのずいぶん前に送った。
 これが、『古事記小事典―古代の真相を探る』という書籍になって出版された。不本意ながら、小説ではなくてノンフィクションでのデビューを果たしたのである。
 その後、『真田幸村歴史伝説文学事典』、『吉川英治事典』、『島尾敏雄とミホ 沖縄・九州』などの各種ノンフィクションの共同執筆者となった。
 その中で、『金子みすゞ作品鑑賞事典』において、六編の童謡詩の解説を書いたのだが、筆書きの詩をいれた装丁が素晴らしかった、想い出深い本に掲載された二つの詩〈お寝着〉、〈灰〉についての感想を再掲したい。
 
お寝着(おねまき)
 〔初出〕『金子みすゞ全集』(JULA出版局、一九八四年)    〔収録〕『さみしい王女・下 金子みすゞ童謡全集⑥』(JULA出版局、二〇〇四年) 
 時計が八時を打つと寝(ねま)着(き)を着せられ、今日が終わっていきます。しかし、みすずは、まだまだ空想の世界を夢のなかまで広げたいのです。夢のなかでお花や蝶々になりたいのです。白い寝着では、白い夢しか湧いてきそうではありません。ややすねたみすゞで詩が終わります。おかあさまへの想いは、同じ寝着の詩でも『夜』の方が、より近くに感じられます。みすゞの詩には空想だけでリアリズムが感じられないといいますが、どうして、「白い寝着」「白い夢」にも子供の目を通した透徹したリアリズムを感じるのです。有名な『大漁』の詩についても、漁港や漁市場には独特の臭いが漂います。子供には耐えがたい臭いではなかったかと、そういう現実から魚をとむらうという発想が出たのではないかとも考えます。さて、今宵(こよい)、みすゞはどんな夢を見るのでしょうか。                       (おおくぼ系)
 
 灰(はい)
 〔初出〕『金子みすゞ全集』(JULA出版局、一九八四年)      〔収録〕『空のかあさま 矢崎節夫と読む金子みすゞ第二童謡集』(JULA出版局、二〇一〇年) 
 この詩は、「私はいいことするんだよ」と、はじめの連に私が出てきて、「どんなに私もうれしかろ」と最後も私でしめくくって作品が成立しています。いわゆる一人称の一人語りのかたちを取っており、詩心を子供心に変えて、独自の世界を縦横無尽(じゅうおうむじん)に描いています。花咲爺さんの灰をもらったみすゞの役割は、「さくら、もくれん、梨(なし)、すもも」は、飛び越して、森の木に花を咲かすことです。ここにみすゞのよって立つところを感じます。「赤い」でなく「あかい」という仮名を使うことも、みすゞの感性とやさしさの表れに思えます。みどりの森の木にあかい花が咲けば、どんなになるのか、みすゞの描いた情景を実際に見てみたい気がおこってきます。繰り返し読んでいくと、灰のなかに色彩の息吹を感じさせ、みすゞの詩心が絵画になりそうな不思議もおこります。                    (おおくぼ系)
 
 なんといっても書くことは楽しくて喜びであるので、今年も小説を中心にして、長編小説も書き続けるつもりです。みな様の応援ヨロピク!!


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